気が付けば2022年が終わろうとしている。
このブログで日記をつけようと思い立ったものの、すぐに更新を止めてしまい少し反省している。今年後半は時間はたっぷりあったものの、何から手を付けていいのかまったくわからずにぼんやりとしているうちに日々が過ぎてしまった感じだ。
今年のうちにもう一度ブログを更新するとして(本当か?)、1年の振り返りはその時に譲ろう。今日は最近精神科の先生と話した時のことを書こうと思う。
最近精神科の先生と月に2回話すのだが、今朝何をしたかとの問いに「今日は10時に起きて、少し自己嫌悪に陥りました」と先生に伝えた。なぜ自己嫌悪に陥るのか、という先生からの問いに、わたしは「自分がだらしない人間のような気がして。それに早起きした方が1日のうちにもっといろんなことをできるんじゃないかと思ってしまいます。夜更かしが好きなのでどうしても夜更かしして、朝遅くまで寝てしまいます」とわたしは答えた。
「それで何か問題があるのですか?」と先生が聞くので、しばらく考えた後に答えた。
「仕事の時は起きれるので、問題とまではいきません」
「それでは別にそれは大丈夫ですよ、問題ありません」と先生。
朝起きれない自分にいつも罪悪感を感じてしまっていたので、先生の言葉に少し救われた。
確かに何が問題だとわたしは思っていたのだろう。別にいいじゃない、朝遅く起きたって。
でもダメ人間になるのが怖い。ダメ人間になったらもう戻れない気がする。
でもそれよりなにより、わたしは「こうあるべき」という形に囚われていたのではないかと感じる。朝早く起きるべき、規律正しくあるべき、特に「女性は」そうあるべき、って。だってだらしない女性って、だらしない男性に比べても遥にだめだって思われるから。
わたしはだらしないってずっと叱られていきてきたから、もう叱られたくないんだ。だれに、かはわからないけれど、わたしの中にいるだれかに。
わたしは男女平等の社会になってほしいと願いつつ、自分の中にはこういう「女性はこうあるべき」論をしっかりと持ってしまっているんだなぁ、と気づかされた。
別に規律正しくなくてもいいじゃないか。フランスに来てまでそんなことを思う必要ないし、今後日本に住むことがあっても別に規律正しくなくてもいい。
一つ自分の中の手錠を外して、自分を解放した。
来年はもっとこの手錠を外していくことが目標だ。