火曜日, 12月 20, 2022

精神科の先生との話の記録 

 気が付けば2022年が終わろうとしている。 

このブログで日記をつけようと思い立ったものの、すぐに更新を止めてしまい少し反省している。今年後半は時間はたっぷりあったものの、何から手を付けていいのかまったくわからずにぼんやりとしているうちに日々が過ぎてしまった感じだ。 

今年のうちにもう一度ブログを更新するとして(本当か?)、1年の振り返りはその時に譲ろう。今日は最近精神科の先生と話した時のことを書こうと思う。

最近精神科の先生と月に2回話すのだが、今朝何をしたかとの問いに「今日は10時に起きて、少し自己嫌悪に陥りました」と先生に伝えた。なぜ自己嫌悪に陥るのか、という先生からの問いに、わたしは「自分がだらしない人間のような気がして。それに早起きした方が1日のうちにもっといろんなことをできるんじゃないかと思ってしまいます。夜更かしが好きなのでどうしても夜更かしして、朝遅くまで寝てしまいます」とわたしは答えた。

「それで何か問題があるのですか?」と先生が聞くので、しばらく考えた後に答えた。

「仕事の時は起きれるので、問題とまではいきません」

「それでは別にそれは大丈夫ですよ、問題ありません」と先生。 

朝起きれない自分にいつも罪悪感を感じてしまっていたので、先生の言葉に少し救われた。

確かに何が問題だとわたしは思っていたのだろう。別にいいじゃない、朝遅く起きたって。

でもダメ人間になるのが怖い。ダメ人間になったらもう戻れない気がする。

でもそれよりなにより、わたしは「こうあるべき」という形に囚われていたのではないかと感じる。朝早く起きるべき、規律正しくあるべき、特に「女性は」そうあるべき、って。だってだらしない女性って、だらしない男性に比べても遥にだめだって思われるから。

わたしはだらしないってずっと叱られていきてきたから、もう叱られたくないんだ。だれに、かはわからないけれど、わたしの中にいるだれかに。 

わたしは男女平等の社会になってほしいと願いつつ、自分の中にはこういう「女性はこうあるべき」論をしっかりと持ってしまっているんだなぁ、と気づかされた。

別に規律正しくなくてもいいじゃないか。フランスに来てまでそんなことを思う必要ないし、今後日本に住むことがあっても別に規律正しくなくてもいい。

一つ自分の中の手錠を外して、自分を解放した。

来年はもっとこの手錠を外していくことが目標だ。









金曜日, 6月 17, 2022

灼熱、欧州 2022  

写真はベルリンの湖

ついこないだ6月はとても良い季節だと書いたばかりなのに、もうすでに来てしまった、熱波、猛暑、灼熱欧州2022。 

現在午後8時を過ぎても温度計は34度を示している。先ほど散歩に出かけたら、とてもじゃないが長くは外にいられなかった。湿気はなく、からっと乾いているものの、太陽が容赦なく照り付ける。欧州の日差しは日本のそれよりも強い。じりじりと肌が焼かれていく。


日本の蒸されるような暑さに比べたら、フランスの熱波などまだましにも思えるが、それでも30度超えが続くと死者が出てしまうほどだ。

というのも、ここフランス(そして昔住んでいたドイツ)では多くの建物にエアコンディショナーがついていない。もちろん、我が家もない。暖房設備(セントラルヒーター)は非常に整っていて冬は比較的ぬくぬく過ごせるが、エアコンのない猛暑はなかなかの地獄だ。

我が家も扇風機を購入しようと夫に提案したことがあるが、喘息持ちの夫は拒否権を発令。わたしとて、愛する夫の命を危険にさらしてまで扇風機もエアコンも欲しくは、ない。いじらしいわたしである。

さて、ではどうやって猛暑を乗り切っていくのか?

実は、「窓を全部閉め切る」のである。 

朝方空気を入れ替えた後、夕方まで鉄の意志で窓を開けない。フランスは日差し除け(日本の雨戸みたいなもの)が付いているので、それを閉め切るのも良い。

欧州では外は猛暑でも部屋の中は比較的涼しいことが多いので、熱波を部屋の中に入れない、ということが大切なのだ。日差し除けも閉めて、太陽光を遮って人工的に影を作り出せば、部屋の中は過ごしやすい温度に保たれる、と言うわけ。

大昔ベルリンに住んでいた頃、この知識を知らず、「こんなに暑いのになぜ閉め切っているの!」と思い窓を全開にしたら、ドイツ人のシェアメイトからこっぴどく叱られた。「せっかく閉めてたのに・・・ブツブツ」確かに彼には物の道理のわからない小娘と思われたであろう。

あのフラットでエンペラーと呼ばれていた彼、元気かなぁ。

そんなわけで灼熱の欧州、みなさん水分補給をしっかりね! 





水曜日, 6月 15, 2022

よく晴れた6月の日 



日本はもうすぐ梅雨の季節。最近は梅雨と言えばすっかり水害が定着してしまったように感じるが、一昔の梅雨はしとしと鬱陶しいながらもなんとなく情緒に訴えるものがあった。わざわざ鎌倉まで足を運び、長谷寺の紫陽花を見にいったりして。

若々しい緑の中に色とりどりに咲く紫陽花たち。はっとするような鮮やかさを持つ青色だったり、心が元気になるような明るいピンク、それから赤と青が混ざり合った、あわーい絶秒な紫。いつまでも見飽きない。 

紫陽花。紫の陽のような花?それとも陽に向かって咲く花? 

何はともあれ、なんと美しい漢字なのだろう。漢字って美しい。こういう美しい漢字を見ると、心が洗われるようだ。

ふと思い立ち、紫陽花のピンクは日本語名はなんなのだろうと思ってしらべたら、「薔薇色(しょうびと読む)」という色が近いようだ。とは言え、紫陽花なのに薔薇色と呼ばれることは紫陽花のプライドが許さないであろう。わたしだったら許せない。では何色と呼ぶべきなのか。桃色もでもない、ブーゲンビリア色でもない。一体何色と表現するのが一番しっくる来るのであろうと途方に暮れ、結局ピンクに戻る。  

参照: https://irononamae.web.fc2.com/ja/ 

さて、6月。フランスには梅雨はない。むしろ6月は天気に恵まれることが多い(年によっては熱波が来る場合もある。冷房のない家が多いフランスでは熱波が来ると熱中症で多くの方が亡くなる)。

澄み渡った濃い青空に燦燦と降り注ぐ太陽。日差しがとても強いので、日焼け止めとサングラスが必需品である。もちろん、フランス人は日焼けを避けはせず、こんがりと焼くのであるが。 

人々はそろそろバカンスに出かける。海辺にいったり、田舎でハイキングしたり、バカンスの楽しみ方は人それぞれではあるけれど、一か月ほど会社を休んで文字通り「夏」を楽しむのだ。

大昔、わたしがまだ19歳だった頃、6月のパリに遊びに来たことがある。その話をパリジャンにしていたら、「ふん、6月なんてフランス人は皆バカンスにいくから、街は観光客しかいないよ」と教えられたことがある。バカンスに出て楽しまないなんてありえない!と言わんとばかりに6月はやはり良い気候なのだ。夏にバカンスに出ないのは貧乏人だけ、と口の悪い人もいたっけ。  

さて、貧乏人の私に話を振ろう。6月は自宅に籠って仕事をしている。夏のバカンスは7月半ばに一週間と、8月末に一週間、計二週間取る予定だ。たった二週間だけではあるが、そのために鬼の形相で6月に仕事をがんばっている。必死である。この素晴らしい気候の中で働いている自分を恨めしいと思ったりするほど。 

でも、パソコンからふと目を上げて窓の外を見上げる時。澄んだ青空が目に飛び込んでくる。そこを横切る飛行機雲も。

立ち上がって窓を開けると、湿気のない爽やかな風が仕事で少しささくれた気持ちをリフレッシュさせてくれる。木々たちが豊かな緑の葉を揺らす。さわさわと心地よい音。雲の流れ。時間もゆったりと流れているように感じる。今日なんて家から一歩も出ていない。それでも部屋の中から見える6月の景色だけでも十分に幸せだと思ってしまう。そんな6月の晴れた日、この多幸感。セロトニンが放出されるのを感じる。 

太宰治もフランスに住めばよかったのに。そしたら「6月に死にたくなる」なんて思わず、ましてや本当に6月に死ぬことなんてなかったのに。  


そもそも、ヨーロッパの冬は寒く、暗い。その冬を耐え忍んだ後の春、そして夏の訪れは格別だ。それはきっと厳しい冬を過ごした人からなのだろうと思う。 



・・・じゃあ、治はきっと6月に死ななくても、ヨーロッパの冬に死にたくなったであろう。 

皆さん、夏を楽しんで! 

月曜日, 6月 06, 2022

10年前の答え合わせ 

昨日、日曜の午後8時すぎ。開け放たれた窓から、美しい鱗雲たちが空を漂っているのが見えた。


欧州は、ただ今夏時間。午後10時すぎまで明るい。鬱蒼とした暗い冬の欧州と比べると、天国とにいるようだ。翌日はペンテコステと呼ばれるキリスト教の祝日で、街はどこもコロナ禍が100%終わったかのように賑わっていたのだろう。

こういう美しい風景を見つけると、「今、わたしは、幸せだ」と臆面もなく感じてしまう。少女の頃に憧れていたフランスに住んでいること、仕事もそこそこうまくいっていること、夫との暮らしを平和的に送れていること、何より自分の精神が安定しているおかげである。

今思えば、このブログを最初に書き始めた2012年から数年の、わたしの生活はなかなかに大変であった。昔のブログを読み返してみると、あまりに未熟、あまりに不器用、そして何より青臭さがわたしの生活をより困難にした事は確かだが、理由は何であれ、大変だったことに変わりはない。

あれから10年。今の自分が「幸せだ」と感じているということは、この10年悩みながら小さなことをコツコツコツコツ積み重ねてきたことやその時その時の決断は大幅には間違いではなかったのだと感じる(死ぬほど間違いも犯してきたわたしであることはもちろん忘れてはいない)。


40年ほど生きてきて切に思うことは、自分が下した決断の答え合わせができるには10年くらいかかるということ。 

「これだ!」と“本能”に従った決断は意外と自分が楽をしたくて易きに流れてしまった決断だったりする。数年は楽しくても後々すごく大変だったり、そもそも根本的に道を逸れてしまうこともある。

一方で、「本当にこれでよかったのか・・・?」とその時は答えがわからなくても、長い目で見ればそっちの方が断然良かったりもする(結局楽な道を選ぶな、ということなのだけど。入口の看板に「楽」と書いてあっても、意外とそこは地獄の一丁目)答えが出るまでには10年くらい時間を要することはざらにある。

鱗雲を見て「あぁ幸せだ」と感じた時、今その率直な気持ちをこのブログに書きたいと思った。あの頃一つ一つの小さなことに「果たして本当にこれでいいのか」という10年前の自分に対しての答えを見せてあげたいと思った。 

そして何より現在進行でさまよえる「妹たち」に何かアドバイスができないものか、と思った。だってね、困ってる人、本当にたくさんいるもの。

わたしは間違いも失敗も人様の5倍以上してきた人間なので、アドバイスなんてたいそれたものにはならないかもしれないが、それでも今泥水の中を足をもつれさせながらも必死に前に進もうとしている人たちに何かしたいと思った。私も20代後半からとても悩みながらとにかく人生の駒を一つでも進めようとして生きてきたので、その経験をシェアして誰かの救いになるのなら、とこのブログを再開することにした。

自分が20代、30代の頃、年上のお姉さんたちの言葉たちほど、わたしを励ましてくれたものはない。今度は自分がそれをやりたいと思ったのだ。 

そういうわけで、2022年再開したこのブログの裏タイトルは「妹たちへ」笑 

本当は「ハイヒールを脱ぎ捨てて」とかのブログ名にしたいが、おいおい考えていくことにしよう。















金曜日, 6月 03, 2022

オンライン生活万歳



先日からオンラインでフランス語を習い始めた。

先日投稿した記事で、2020年にフランスに引っ越してきたと書いた(その前は7年間ドイツのベルリンに住んでたのですよ)。今年の3月でフランスに引っ越してきてまるっと2年が経つのだが、いかんせんフランス語が・・・話せ・ない。

一応DELFB1には合格したものの(英検で言えば2級くらいかな?)、日常会話はまだまだ困るレベル。本日メディカルチェックアップのために病院に行ったが、受付の人がフランス語でなにやら説明してくれているものの、なんのこっちゃ、という感じ。  

書いたり読んだりするのはいいのだけれど、オーラルのリスニング、スピーキングがどうも苦手なのだ。2年もフランスにいてこれかよ。仏人夫に助けを求めなくてはいけないのがなんとも情けない。

情けない、と自分を投げつつ、わたし自身はこういう自分ができないことやコンプレックス、後悔などが燃料になり、やる気スイッチを点火するタイプなので、自分ができないことを自覚させられる機会というものは逆に有難い。

よっしゃ、フランス語、やるしかない。やるしかないのだ! 

フランスには長く住むと決めているので、逃げる気は、ない。向き合う。

フランス語学習を一旦止めてしまった理由というのが、この半年仕事が忙しすぎたということと(土日も働いていたのよ)、わたしの住んでいる街にそもそもフランス語学校の選択肢がなかった、ということにある。 

わたしが今住んでいる街はパリから電車で1時間、牛たちがのんびりとくつろいでいるような田舎町ではないものの、パリやベルリンなどの大都会ではないので、日常の様々な選択肢が非常に限られていると感じている。例えば今回のようにフランス語勉強したいと思っても、私立の語学学校などは皆無だったり、B2以上のコースがなかったり(大学の付属の語学学校しかない。もちろんあるだけマシだが)、自分に合ったコースがなかなか見つけられないのだ。 

わたしは九州の田舎町で育ち、都会と地方の教育機会の不平等さはいやというほど味わって来ているので、いくら田舎がのんびりしていて暮らしやすいといえど、こういう機会の損失をどうも苦々しく感じてしまう。 

しかし、時は2022年。わたしたちが学生だった頃からは時代が変わった。そう、今はオンラインで学習ができてしまう時代なのだ。 

一昔ならば、都会と地方の教育格差に不平不満を言うだけだったが、今は「じゃ、それならオンラインで」とささっとクレジット決済してしまう(もちろん、今でも都会と地方の教育格差を憂いている一人であることに変わりはないけれど) 

2年前にレッスンを受けていたフランス人の先生がレッスンを引き受けてくれるということで、週二回の個人レッスンを受けることにした。実はその先生、アルゼンチンのブエノスアイレスに住んでる。アルゼンチンだよ、いつかは行ってみたい遠い国のアルゼンチンである。フランスとアルゼンチン、数時間の時差はあれど、オンラインでレッスンを受けることに何の支障もない。二人の所在大陸が違っても無問題。 

彼女はブエノスアイレス、わたしはフランス。やっぱりRの発音が悪くて、ひたすら矯正してもらう。

いい時代になったものだと思う。今は地方に住んでても、オンラインでいろいろできちゃうんだから。自分の住んでる街にいい語学コースがないから、じゃオンラインでレクチャーしてもらおう、ってなことがさらっとできちゃう。

オンライン学習だけじゃない。昔は地方在住だと職の選択肢もとても限られたものだったが、今はそれこそフランスに住んでいてもオンラインで日本やアメリカの会社と働ける。そういう働き方をしていた人は作家とかだけだと思ってたから、今誰しもがそういう働き方ができることにわたしは純粋に感動してしまう(もちろん職種によるけど)少なくとも10年前ですら考えられなかったことだ。 

もちろん、オンラインやリモート、大陸跨いで仕事することには様々な問題が不随するのだろうけど、それでもいろんな新しい扉を開けることができるのはやはり良いことだと思う。これだったら、今まで先輩の女性たちが諦めざるを得なかったことを、次の世代の人たちは諦めなくてよくなるのかもしれない。もちろん女性だけではなく、男性も、みんな。

そういう未来が来るといいなと思い、わたしは今日もフランス語ペラ子を目指し、邁進するのだ!

木曜日, 6月 02, 2022

お久しぶりに



ものすごく久しぶりにこのブログに戻ってきた。100万年ぶりなのでちょっとドキドキ・・・。

これを読んでくださってるあなた、お元気でしたか?

このブログを昔読んでくれてた人が偶然またこのブログを見つけて読んでくれたりしないかなぁ。しないか。だって、5年も放置してたもんね。 

最後にブログを投稿したのは、2017年の2月。

最初にこのブログを投稿したのは2012年だから、5年間ほどわたしの海外生活を記録していたことになる。

シンガポールで働いていた時、それからベルリンに移住して、孤軍奮闘していた時のこと。今振り返ったら恥ずかしいことばっかり書いていて冷や汗が出るけど、まぁそれもわたしの人生の一部ということで。 

実は今、わたしはフランスに住んでいる。

このブログを書いていた時には想像してなかったことだけど、2017年に今のパートナーと出会い、2020年ベルリンを離れ、今はパリ近郊の街で暮らしている。

このブログを振り返ると苦しみばっかり書いているんだけど、その頃自分を覆っていた暗雲はすっかり晴れて、今は平凡ながらも幸せな日々を過ごしている。わたしにこういう穏やかな日々が訪れるとは思っても見なかったから、正直とても驚いている。

まぁ、なんだかんだ、がんばったのですよ、わたし。 

自分の中の毒が中和されて、それは喜ばしいことだったのだけど、その反転、「何かを書く」ということがまったくできなくなってしまった。書いては消し、書いては消し。

今やっとまた書きたい欲が出てきたので、久しぶりにこのブログを開いた次第です。

また、何か書けるといいな、という希望を込めて。


ひとまず、短い近況報告でした。

Sui








月曜日, 2月 13, 2017

新しいブログを始めました。

またしばらく更新をしておりませんでした。

日本からベルリンに戻ってはや2週間が過ぎました。やることが多くて、なんだかいっぱいいっぱいでしたよ。常にそうなんですが。

ところで、タイトル通り新しいブログを始めました(http://joshiuri.com/) 

今まで書いてきたこのブログとはがらっと雰囲気を変えてみています。ベルリン情報、移住、海外生活のあれこれ、どちらかと言えば、ドイツ→日本へという目線で書いています。 

いろいろと試行錯誤途中の未完成ブログではありますが、今後はそちらのブログを精力的に書いて行きたいので、今のこのブログはお休み、もしくはごくたまに更新するかもしれません。



このブログを閉鎖するわけではないので、この締めは正統ではないのかもしれませんが…

このブログを始めたのは2012年末。2013、2014、2015、それからほとんど更新が止まってた2016年。自分の約4年間を書き続けてきました。

この4年というのは自分にとってもつらく、大変な時期に当たり、そんな中コツコツと記録し続けたこのブログは私の心の支えであり、小さなプライドのような存在でした。

でもこの4年間が今後の人生の基盤となる気がするので、人生とは不思議なものだな、と思います。

つらい時期ってそれを乗り越えると、自分にとってプラスに変わることが多い。雨降って地固まる、ってことでしょうか。 

このタイミングでこのブログから新しいブログに移行することは、自分にとってもなんだか節目だなと感じています。


新しいブログも読んで頂けたら幸いです。





精神科の先生との話の記録 

 気が付けば2022年が終わろうとしている。  このブログで日記をつけようと思い立ったものの、すぐに更新を止めてしまい少し反省している。今年後半は時間はたっぷりあったものの、何から手を付けていいのかまったくわからずにぼんやりとしているうちに日々が過ぎてしまった感じだ。  今年のう...