なぜこんなにも登場人物全てが不幸になるような話を書かなければならなかったのだろう?この映画を観終わった時の一番最初に私の中に浮かび上がった感想はそれだ。アルコール依存症の恋人から日々暴力を受けるクリスタル、夜な夜な男性と出会っては一夜限りの関係を持ち続けるタンジー、将来有望...

 なぜこんなにも登場人物全てが不幸になるような話を書かなければならなかったのだろう?この映画を観終わった時の一番最初に私の中に浮かび上がった感想はそれだ。アルコール依存症の恋人から日々暴力を受けるクリスタル、夜な夜な男性と出会っては一夜限りの関係を持ち続けるタンジー、将来有望だったのに妊娠してしまうタンジーの妹ナイラ、敏腕編集長だが、旦那とはうまくいっていないジョアンナ、いい人だと思って部屋に上げた男に手ひどい目に合わせられてしまうヤスミン、そして不甲斐ない男にいいように扱われるローズ・・・。
 この映画の登場人物のすべてが“Colored girls”、つまり黒人女性たちだ。そして彼女達のパートナーも全員が黒人男性なのだ。黒人以外の人種はほとんど出演していない。
 この映画のプロデューサーは、“Precious”という映画のプロデューサーと同一人物でもある。この映画でも、黒人以外の人種はほぼ出てこないと言っていい。Preciousは80年代アメリカが舞台だから少し話が違うのだが、昨今の“表面上、人種がある程度ミックスされた国・アメリカ”というイメージを持っていたので、この話が黒人俳優だけで作られた映画ということに少し違和感を覚えた。そしてこの中の黒人女性が、皆、不幸。この中の黒人男性だって不幸だし、それ以上にとってもホープレス。黒人世界とほとんど関りのない日本人が見たら「黒人ってかわいそう」って簡単に思ってしまうような映画なのだ。正直、アメリカの人種問題は複雑すぎるし、アメリカで暮らしたことがないので理解できていない部分がたくさんある。ただ、この映画から黒人以外の人種、特に白人を排除することによって、これは差別の問題ではなく、黒人という人種の内面の問題なんだと私には読み取れた。監督自体が黒人なので、黒人にフォーカスすることは当然のことだとは思うけれど、もしもこの映画に白人を出していたならば、映画のニュアンスはもっと違うものになっていただろう。差別される対象だから黒人の生活はこんな風で、だからこそアルコール中毒にもなっちゃうし、暴力もふるってしまうんだ、悪いのはおれではなくて、差別する世の中だ、と映画の中の男達に簡単に責任転嫁させることができただろう。この映画の中の主人公たちはそれぞれの理由で不幸ではあるけれども、決して「差別される対象」としては描かれていない(でももしかしたらアメリカではそういう映画すらもはやタブーなのかも)自分の責任において犯した罪や、自分の責任による人の弱さが書かれている。これは、黒人世界の現状を非黒人に伝えるという意味の映画というよりは、黒人に向かって発せられた映画のような気がしている。そういう意味で、この監督はこの段階で自分の最も痛いところを人前に晒さなくてはいけなかったのだろうとも思った。そこから進んでいくために。
 今後どういう風に黒人社会を描いていくのか、とても気になる監督だ。私の日本に対しての思いがこの映画をそう思わせているだけのような気もするので、もう一度ちゃんと見直したいし、別の作品も見たいなと思う作品だった。

何年前の映画を今更見ているんだとお思いの方もいらっしゃると思いますが、イギリスの雰囲気とブリティッシュアクセントが聞きたくてこの映画をチョイスしちゃいました。  この映画に関しては、私がわざわざ説明することもないと思いますが、念のため。年齢=彼氏いない歴のぽっちゃりさんの...

何年前の映画を今更見ているんだとお思いの方もいらっしゃると思いますが、イギリスの雰囲気とブリティッシュアクセントが聞きたくてこの映画をチョイスしちゃいました。

 この映画に関しては、私がわざわざ説明することもないと思いますが、念のため。年齢=彼氏いない歴のぽっちゃりさんのブリジットが今年こそは!という心意気を日記につけるところからこの映画は始まります。まぁその中で、上司とのラブアフェアがあったり、裏切りにあったり、転職してみたり、最終的に運命の男性と出会ったりするわけです。が!個人的には、ブリジット、好きじゃないです。身の程をわきまえないと、痛い目見るよ?と思ってしまうのです。だって、どう考えてもヒュー・グラントは落とせないでしょ。だって、ねぇ?ヒュー・グラントだよ、ヒュー・グラント。長年のパートナーはあのエリザベス・ハーレイだよ(映画とは関係ないけどね)。そう、私は“Love Actually”の中の彼が好きなんです。
 そのヒュー・グラントもこの映画では嫌な奴。でもなんだか・・・。長年の違和感から解放された気分。ヒュー・グラント好きなんだけど、なんでか大嫌いなトム・クルーズを連想してしまうの。たぶん常ににこにこしているところが共通してるんだと思うけど。今まで見た彼の映画の役どころがいい人過ぎたけれど、この映画の中の彼が実際の彼と近かったりしてね。というよりも、love Actuallyを見る前の彼のイメージがトム・クルーズに近かっただけにLove Avtuallyで違和感を覚えながらも好きになったんだな。だから、この映画を観て、これこそヒュー・グラント!(あくまでも勝手な私のイメージ)しっくりきたのかも。そしてこの頃の髪型が嫌いだ!でもこの髪型こそ、90年代の象徴という気がする。

 ブリジットに関して言えば、彼女が不幸かと聞かれれば、答えはNO。彼氏はいないけれどもあんな風に自分を思ってくれる友達がいてくれるなんて、幸せじゃない?友達から遠く離れて暮らす私にしてみれば、十分幸せじゃん?って思ってしまったよ。きっと彼女もわかっているだろうけどね。

あぁ、私も日記でもつけて、今年こそは!と一念発起してみようかしら。ヒュー・グラントは無理でもコリン・ファースはつかまるかしら。そして私は彼が好きだ。


2003年にリリースされたドイツ製作の“Good Bye, Lenin ”を観た。日本公開当時から気になってはいたものの、個人的にドイツ映画がなんとなく苦手(フランス映画も暗いけど、ドイツはもっと暗い気がする)で、この映画もそういう類の映画ではないかと危惧して、今の今まで放置...

2003年にリリースされたドイツ製作の“Good Bye, Lenin ”を観た。日本公開当時から気になってはいたものの、個人的にドイツ映画がなんとなく苦手(フランス映画も暗いけど、ドイツはもっと暗い気がする)で、この映画もそういう類の映画ではないかと危惧して、今の今まで放置してしまっていた・・・。

 時は1989年、東西ドイツ併合前の東ドイツ。父が愛人にそそのかされて西ドイツへと亡命し、その反動から熱烈な社会主義者へと変貌してしまった母を持つアレックスはある日、家族に内緒で反体制デモに参加する。その姿を偶然目撃した母はショックから心臓発作を起こし、意識不明に陥ってしまう。その後8ヶ月の長い昏睡状態から抜け出すものの、今度強いショックを受ければ命の保障はないと医師に勧告される。その頃、母が信じていた社会主義体制、そして東西分断の象徴であるベルリンの壁は崩れ、東西統一も時間の問題となっていた。アレックスは母を守るため、あたかも東ドイツが存続しているかのように振舞うことを決意するが・・・・
 
 
 私の中の東ドイツは、ソ連の手先になってチェコなどの周辺諸国を監視していた国という負のイメージがあった。もちろんそれは間違いではないとは思う。だけど実際には着実に生活を営んでいる人たちが大半で、ほとんどの人はイデオロギーに関係なく生活していたのだろうな。この映画の主人公もただただ母を思う優しい男の子だもの(おバカだけどさ)。本当はレーニンなんてくそくらえだけど、母のためならばそんなイデオロギー簡単に捨てます!というところが私は好きなのだ。

21世紀はイデオロギー“名目”のための戦争ばっかりだけれども、イデオロギーってそもそもなんのためなんだろうなぁ。なんかよくわからなくなっちゃう。

と、イデオロギーなんて出しちゃって話が難しい方向に行ってしまったけれど、これは声を出して笑えるコメディです。それでも、背景から学ぶ事柄も多く、こういう映画を観る度に、知らないことがたくさんあることに気がつき、もっと勉強したいと好奇心が刺激される!
 それにしても、自分の国や信じてきたものがある日突然「あなたの国は無くなりました。そして今まであなたが信じてきたものはすべてでたらめです」と言われた時の気持ちとはどういうものなんだろう。想像すらできない。戦後の日本で教科書を黒く塗り潰した時の気持ちを今の私達が理解することは絶対にないのだろうな。中国に占領されない限り。これは・・・ないとは言い切れない・・。
 

 
ドイツにはあんまり興味がなかったけど、もうちょっと深く知りたい気持ちになりました、ゲルマン魂。来年か再来年行けるかな??楽しみ、楽しみ。


大好きな女の子で、大学からの友人が、とある料理教室の先生の助手をやっている。ヴェジタリアン向けのお料理やオーガニックの食品を使ったお料理を紹介している(と、実は詳しいことについては知らないので、この辺の紹介文はざっくり書かせてもらった)。  その彼女、ツイッターやブログで作った...

大好きな女の子で、大学からの友人が、とある料理教室の先生の助手をやっている。ヴェジタリアン向けのお料理やオーガニックの食品を使ったお料理を紹介している(と、実は詳しいことについては知らないので、この辺の紹介文はざっくり書かせてもらった)。
 その彼女、ツイッターやブログで作ったお料理をアップしている。今、私と彼女はとても離れて暮らしていて、1年に1回会うか会わないかなのだけれども、インターネット様々のおかげで逐一彼女の活動について知ることができるというわけだ。

 ブログの中の食べ物たち、すんばらしいのよー。ひよこ豆で作ったモンブランやら、もっちもっち感が伝わってくるベーグル、ぷるんぷるんのジェリーたち、お野菜たっぷりのカラフルパエージャなどなど・・・。本当においしそうなお料理ばっかりなの!そして、“金時豆のハヤシライス”なるものが登場したときは私、目から鱗が落ちたよ。ハヤシライスにお豆入れちゃうんだ!という。これならおいしいってだけではなくて、体にもよさそう。当たり前だよね、1つの料理を作るのに、いろんなことを研究して、作品に仕上げるんだもの。一瞬で形は無くなってしまうけれども、自分の体に入れるってことをとてもとても意識して作られた料理たちばかりが並んでるの。

 実は私、そこまで食に興味がない。ましてや、動物愛護の観点から動物性のものを控えること以外のポリシーもない。毎日自炊はしているけれども、栄養補給のために食べているような感じなのだ。やっぱり、味気ないし、つまらない。だからこそ、友達の作った料理を見て、あぁこんな風に愛情を持って料理に真摯に取り組み、おいしそうなお料理を食べるって大切なんだな、なんて、きっと誰もが知っているであろう事実を今更発見した。
食物の持つ栄養以上に、きちんと愛情を持って作られた料理を食べることって必要なんだ。「うま!」っと感動することって必要なんだ。食べた後に、お腹が膨れるだけではなく、「あぁ幸せ~」と思うことって必要なんだな。
 何よりもすごいことは、お料理が人の気持ちを変えることもあるってこと。私の気持ちも変えたように、もしも死のうと思ってた人が彼女の料理を食べて、また明日も食べたいなと思ってくれたとしたら?そんなに素敵なことはない。

 
彼女が食べ物で誰かを幸せにしているように、いつか誰かこのブログを読んで幸せな気持ちになったり、元気になってくれたりしてくれるといいな。まだまだどういう方向でブログを書き進めていくか、完全に迷い子の気持ちですが、ゆっくりと書いて行けたらいいなと思います。

「きみみたいにいつまでも楽しいだけの人生じゃだめだ」 という言葉を先日ある人から放たれ、いろいろな意味ではっとさせられ、「いつかいつか」と思い続けていたブログを始めることにしました。  私のことを少し。私は九州のど田舎で生まれ育ったためか、異文化に対する憧れが尋常ではなく、...

「きみみたいにいつまでも楽しいだけの人生じゃだめだ」
という言葉を先日ある人から放たれ、いろいろな意味ではっとさせられ、「いつかいつか」と思い続けていたブログを始めることにしました。

 私のことを少し。私は九州のど田舎で生まれ育ったためか、異文化に対する憧れが尋常ではなく、15歳の時の家族旅行を皮切りにこの14年ほどで24カ国を周りました。現在はシンガポール、そしてその前はオーストラリアに住んでいました。
したいことをして生きよう!と心に決めて生きてきたので、その意味で明日死んでも後悔はないくらいに満足ですが、
それはただの自己満足に過ぎず、誰の役にも立たなければ、誰も幸せにせず、この世に何も残していない状態です。
今まで見たもの、聞いたこと、私が感じたことすべてを誰にも伝えずに生を終えてしまうのが口惜しく、このブログにてちょっとでも伝えていければいいなと思います。そしてこれこそが私の最もやりたかったことなのです。今まで散々各国々を周り、資料を集めてきたので、そろそろ「楽しいだけ」ではなく、苦痛さえ伴う作業に入っていく時なのだと思いました。

もしかしたら、今は冒頭の言葉に腸が煮えくり返っているだけかもしれません。その言葉を否定したい気持ちがこのブログを始めるきっかけになっているのかもしれません。私だって、楽しいだけじゃない!という未熟な気持ちを伝えたいだけかもしれません。 
 露出魔が自分の体を晒したい願望から逃れることができないように、ただ自分の考えをひけらかしたいだけかもしれません。このブログが誰も幸せにせず、役にも立たず、やっぱり自己満足でしかないブログになるかもしれません。
それでもきっとこの一歩が自分にとって大きな一歩となることを祈りつつ、少しづつ少しづつ前へと進むのみです。