無職でひまなので(すべきことは山のようにある)、本ばかり読んでいる。映画も見たいけれど、日本語で本を無制限に読めることが嬉しくて、図書館から借りてきては片っ端から読んでいる。「情報を集める」にはインターネットでも事足りるんだけど、結局本の方が読みやすいと思うのはや...

 



無職でひまなので(すべきことは山のようにある)、本ばかり読んでいる。映画も見たいけれど、日本語で本を無制限に読めることが嬉しくて、図書館から借りてきては片っ端から読んでいる。「情報を集める」にはインターネットでも事足りるんだけど、結局本の方が読みやすいと思うのはやっぱり純粋に本が好きだからなんだろう。
今回読んだのは、「戦争と平和」という大それた題名の本で、本と言うよりは記録という方が正しいのかな。2004年にイラクで武装勢力に拘束された日本人のボランティアワーカーが書いたものをまとめたものだ。
 私はイラク人の友達もいないし、ましてやイラクなんて行ったこともないのだけれど、イラクで何が起きているのかということが気になって、読んでみた。気になると言っても、本当に気になるだけで、この本の作者の高遠さんのようにまさかまさかイラクにボランティアに行きたいなんて思いもしない。いつか平和になったら旅行に行きたいな~なんて漠然と考えているだけ。そして“旅行”という暢気な響きに、自分は平和な場所にいるんだなぁと思う。本当はそう思っていいのに。日本が戦後勝ち取ったもののはずなんだけどね。
この本にはイラクの人々、そして2003年の時点でのイラク情勢、アメリカ軍、自衛隊の活動、小泉元首相の「自己責任」発言、それから日本のメディアについて書かれている。こういう本を読む度に、アメリカがとても遠い国に思える。日本にいた頃はアメリカが一番近い国だと思ってたのにな。
「人道支援のための自衛隊イラク派遣」がイラクではどのように受け止められていたか、私は正直知らなかった。憲法改正が議論されている今日、これは10年も前の昔の話ではない。

気が重くなる本ですが、真実を知りたい人はどうぞ。でも真実ってなんだろ。

 

高遠菜穂子さんのブログ
http://iraqhope.exblog.jp/

イラク人ブロガーリヴァーベントさんのブログ
http://www.geocities.jp/riverbendblog/

実は数年間密かに悩んできたことがある。悩んでいる、という表現を使うには大げさかもしれない。ずっと気になってはいるものの、今まで逃げてきたというか、見えないことにしてきた。今後の人生どうしよう、どうやっていきていこう、お金がない、親も心配になってきた、でもそろそろ結婚もしたいな・・...

実は数年間密かに悩んできたことがある。悩んでいる、という表現を使うには大げさかもしれない。ずっと気になってはいるものの、今まで逃げてきたというか、見えないことにしてきた。今後の人生どうしよう、どうやっていきていこう、お金がない、親も心配になってきた、でもそろそろ結婚もしたいな・・・なんて、30歳女子の抱える悩みを挙げたらキリがない。けれども、そんなこと、全部解決出来る問題だ。と言うよりも、解決するように努力は出来る問題だ。自分のことならばそう思える。私が悩んでいるのは他人の問題だ。だからこそ、今まで見えないことにできた、とも言える。
 どんな内容かというのはプライバシーがあるからここでは書かない。私は自分以外のその人が長い間その問題を抱えているのを知っていた。私はその話を聞いた時、その人が選択したことならば、それは尊重されるべきだと思った。私が干渉すべきではないと。それは人から見たらどうしようもない人生を送っている私が最も大切だと思っていることだから。自分で決める。そのことを。そのくらい、私は自分で選択したことに関して責任を持っているということだとも思う。もちろん間違いだらけだけど、それでも後悔することはあまりない。本当は選択とはそうあるべきだと思っていたいのだと思う。だから他人が決めたことに関しても、あまり反対しないし、興味本位で干渉しない。そういう思いで決断したのだと勝手に決めているから。一応客観的意見を述べることにしている。選択肢はたくさんあるべきだとも思うから。「でも最後はあなたが決めることだから」と言う。それは冷たいようで、自分にとったら他人を尊重しているつもりだった。
 しかし。問題が長引いているのを見るにつけ、そろそろ干渉した方がいいのではないかと思うようになってきた。その人のことを大切に思っているから。不幸にはなって欲しくないから。そして、自分も後悔したくないと思うようになってきたから。本当は私が干渉すべきなのかは、わかりかねている。本人にしかわからないことも多々あるはずだとその人を尊重しているつもりでも、長い目で見れば、その人をだめにしているのかもしれない。男女のことでもそうだけど、尊重と干渉のバランスって難しい。大人になって覚えた尊重というものも、時には必要ないってことなんだろうか・・・
 干渉の決意は固まりつつある。伝えるのはとても勇気がいることだけれども、伝えよう。私はあなたを思っている。それがきちんと伝わればいいけれど。

 今朝FACEBOOKを開いてみると、スペイン留学時代に知り合ったトルコ人の友人からメッセージが届いていた。 “今僕はトルコ以外の国に住んでいる僕の友人にお願いがあって、メッセージを送っている。このメッセージが冗談だと思わないで欲しい。君たちも知っていると思うけれど、今イスタン...

 今朝FACEBOOKを開いてみると、スペイン留学時代に知り合ったトルコ人の友人からメッセージが届いていた。
“今僕はトルコ以外の国に住んでいる僕の友人にお願いがあって、メッセージを送っている。このメッセージが冗談だと思わないで欲しい。君たちも知っていると思うけれど、今イスタンブールでは大規模な反政府デモが起きている。今目の前で起きていることが僕にも信じられないけれど、たくさんの若者が集まって『革命』を起こそうとしているんだ。イスタンブールだけじゃない、イズミルやアンカラ、ブルーサ、今はトルコ全土に広がっている。今のトルコに真の民主主義は存在しない。新聞、テレビ、メディアはすべて政府からコントロールされている。政府はこのデモを鎮めるために催眠ガスまで使っているんだ。僕らは今、戦っている。だからどうかこの映像を広めて欲しい。お願いだ”(意訳)
と、内容はだいたいこんな感じだった。日本でもトルコのデモのニュースはやっていて、友達を思い出したけれど、一部の過激派がやっていることだろうと正直タカをくくっていた。イスタンブールに友達のいる私でさえこんなもんだから、トルコに関係のない人なんてなおさらだと思う。今までこのニュースに無関心だった自分を恥じながら、情報収集を始め、ある程度のことがわかった上でFACEBOOK上にシェアした。日本人にも関心を持ってもらいたい。友達の役に立ちたい。でも私は多くのことを知っているわけではないから、友達の安否を気遣う形でシェアすることにした。友達の意図とは違うことを十分にわかっていたけれど。シェアしてみた後の感想としては、実際にトルコ人でもなく、トルコに住んでいるわけでもない私のような立場の人間が、友達に頼まれたからと言って政治関係の記事や動画を大っぴらにSNSにアップするのはやはり危険だと思った。アルゼンチンの反政府運動で拷問・処刑された人は、「ただ友達に付いていっただけ」という人も多かったというくらいだから。政治のことだけじゃない。すべてのことにおいて、明確な自分の考えを持たずに、流されることはやはり危険だ。きちんと情報収集して、自分はどの情報を信じて、自分はどういう風に考えるのか。きちんとこのプロセスを経てないものに関しては、世に出すべきではないのだろうと強く思った。
 それとは別にもう1つ気になったこと。それはただシェアするだけで、私は彼らの何か役に立てたのだろうか?私は動物が好きなので動物に関してアップされたものをシェアすることが多いけれども、それは何か役に立っているのだろうか?“事実を広めて、多くの人に知ってもらうこと”は必要かもしれない。だけど、私はただボタンをクリックしただけなんだ。いいね!を押してもトルコのデモは終わらない、動物だって救えない。それにはデモに参加することや、寄付やもっと地道な活動、例えば動物の糞を処理することが必要だ。自分はシェアした後のことが出来ているんだろうか?しようとしているんだろうか?
必要なんだ。情報収集すること、どの情報を信じるのか、どう考えるのか。そして、行動することが。
 
 どうせ生きてるならば、何かの役に立って死にたいと思う反面で、便利な世の中になった分、“何か”をした気分になっている自分がいる。そんなことを考えるトルコのデモだった。
 

 ところで、さっき、違う友達に“Are you okay?”ってメールしたら、「私は大丈夫!ところで来年結婚するから、式に来てね!」と言われた。どうなってんだ、トルコ!?でも結婚の報告は素直に嬉しかった!おめでとう!(ちょっとはやいけど)