ドイツは12月25日がナショナルホリデーなのですが、私は一足お先に休暇中。明日からハンブルクに行くのですが、今回は珍しくベルリンにて静養中です。大掃除したり、住所変更したり、歯医者に行ったり(本日は雨でいまだにいけてないけど)雑事でお休み無駄にしているパターンです。いや、...



ドイツは12月25日がナショナルホリデーなのですが、私は一足お先に休暇中。明日からハンブルクに行くのですが、今回は珍しくベルリンにて静養中です。大掃除したり、住所変更したり、歯医者に行ったり(本日は雨でいまだにいけてないけど)雑事でお休み無駄にしているパターンです。いや、いいんです。こういう休暇もたまには必要ですよね。

ちょっと早いけど、今日はクリスマスの話。こないだドイツ人の同僚とクリスマスについて話していると、ドイツではサンタさんの住所があってそこにお手紙を送ると返信が来るそう!なんて素敵なアイディア!日本にもこういうのあるのでしょうか? 

実は私、11歳までサンタクロースを信じてました 笑。

クリスマスシーズンになるとみんなでツリーの飾りつけして、24日にケーキ作って子供用のシャンパン飲んで、25日の朝になると枕元にプレゼントがあって・・・・というおうちでした。そして、私、サンタさんにお手紙書いて、サンドウィッチ作って、水筒に暖かいコーヒーを煎れて枕元に置いてました 笑。今はこういう仕上がりになっちゃったけど、実はかなりファンシーなおうちに育ったんです~私。 

どうしてそういうことをしてたかというと、「サンタおじさんのいねむり」という絵本が大好きで大好きで!サンタおじさんのワイフが忙しいサンタさんのためにサンドウィッチを作って彼に持たせるんですが、劇的に忙しいサンタさんはサンドウィッチを食べてなんと眠ってしまうんです!でもそれを観ていた動物たちがサンタさんの代わりに子供たちにプレゼントを配る・・・というお話。

「サンタクロース=サンドウィッチ」という構図が出来上がって、サンドウィッチ作ってました。「サンタさんがいねむりしないように」ということで、母がちゃんとコーヒーを煎れてあげてました。

しかしながら、年を重ねてもいい加減気がつかない私に焦った両親は11歳の頃、「サンタさんはお父さんとお母さんだったのー」とカミングアウト。「いまだにサンタさんを信じてて、いじめられたら困るから」というのがカミングアウトの理由とはなんとも切ないですね。でも、10歳の頃にサンタさんから手紙をもらって、その字がほぼ母の字だったから、あれ?とは思っていたんです。でも「いや、サンタさんは外人だろうから日本語にお母さんが訳したのかな?」と思うことにしてましたが。

しかもその手紙の内容は、「サンタさんの国には、『紙コロジー』はありませんでした。」(*紙コロジー;私がその時どうしても欲しかったおもちゃ。ミキサーみたいな紙を再生できるやつ)。
なんとも現実的~ 

でもそういうファンタジーの世界に生きていた私ですが、同じ年小学5年生のときは山口智子主演の「29歳のクリスマス」を見てました。「大人って大変だなー、でもよくわからないなー」って思ってたけど、もう遥かに超えちゃいました。とほほ。 

まぁ、そんなわけでちょっとはやいけど、Merry Chiristmas Xoxo

UK版ポスター【邦題:つぐない】 久々にこの映画を観た。私、この映画が大好きで、大好きで。何回も観てるのに、何回見ても号泣してしまう。  元々はUKのイアン・マキューアンの小説が原作で、キーラ・ナイトレイ主演の「プライドと偏見」の監督ジョー・ライトによって映画化。舞台...

UK版ポスター【邦題:つぐない】
久々にこの映画を観た。私、この映画が大好きで、大好きで。何回も観てるのに、何回見ても号泣してしまう。 

元々はUKのイアン・マキューアンの小説が原作で、キーラ・ナイトレイ主演の「プライドと偏見」の監督ジョー・ライトによって映画化。舞台は1930年のイングランド、政府官僚令嬢のセシーリア(キーラ・ナイトレイ)とその使用人の息子ロビー(ジェイムズ・マカヴォイ)は幼い頃からきょうだいのように育つ。2人はいつしか思いを寄せ合うことになるが、セシーリアの妹がついた“嘘”、それから第二次世界大戦によって2人は引き裂かれてしまう・・・

公開されたのは、2007年。私は公開当時には実は、見てない。なぜなら日本のポスターは、これ↓
日本版ポスター
もうさ、テレサ・テンの歌が流れてきてしまうのね、どうしても。チープな感じがしてしまって(いや、テレサ・テンの“つぐない”は大好きだけれども)、興味がなかったの。挿入文も・・・なんだかさーという感じじゃない?でもある日マカヴォイ観たさに、かるーーーーーーーーーい気持ちで観てしまったの。

もうね、やめとけばよかったよ。観なきゃよかった映画って何本もあるけど、その内の一本。観たことがある人はわかると思うけど・・・

悲しすぎるんです。

この世にこんな救いのない映画があっていいのか?というくらい悲しい。私はこの映画を観た後、1週間通常の思考回路に戻って来れなかった。救いのない映画の代表(私の中で)「ダンサーインザダーク」に並ぶ程の救いのなさなんです。でも、私、何度も言うけど、この映画が大好きで。 

前半部分の戦前のイングランドの美しい風景や、ブリティッシュアクセントの英語、キーラ・ナイトレイの壊れそうな美しさ、ジェイムズ・マカヴォイの演技、それから目線・・・・とにかく、映画史に残る映像美だと私は思っている。そして、“I love you”という言葉の持つ強さ。

つい先日The notebookを観たからか、この映画と比較してしまうけれど、この二つの映画、結末が対照的なのね。私は今までthe notebookの最後を理想だとずっと思ってて、今でもやっぱりそうでありたいと心のどこかでは思うけど、今回Atonementを見返してみて、もしかしたらそうでもないのかもしれないとも思った。この映画は本当に救いのないくらい悲しい結末なんだけれど、同じ場所、同じ時間に“その時”を迎えることが出来ないとしても、一度繋がったことがあるなら、離れていても、もう二度と会えなかったとしてもやっぱりどこかで繋がってるのではないかと。人を愛するってそういうことなのかな、どこにいても、どこで死んでも一人じゃないって思う感じのことなんじゃないかなーと。

今回、初めてこの映画を観て希望のかけらのようなものを感じることが出来た。そもそも監督は、この映画を“ハッピーエンド”だと言ってるんだよね。なんて悲しいハッピーエンド! 

通常のハッピーエンドに飽きた人は是非観てね!最後の10分は手で顔を覆うくらい,悲しいけど。そして2回目観る時は、初めから思い出して泣いてしまうけど。10回くらい観たら、やっと希望が持てます。いや、己の経験次第。 

ここ最近我がドイチェランドでは、ついに(ていうか、もう?)氷点下入りしまして、早速寒さに敗北し風邪を引いた私です。ドイツでは会社を休むのであれば診断書の提出が必要なので、病院へ行った。ドイツにありがちな「今週いっぱいは会社に行ったらだめだよ~」という診断をされた(何かあった時に責...

ここ最近我がドイチェランドでは、ついに(ていうか、もう?)氷点下入りしまして、早速寒さに敗北し風邪を引いた私です。ドイツでは会社を休むのであれば診断書の提出が必要なので、病院へ行った。ドイツにありがちな「今週いっぱいは会社に行ったらだめだよ~」という診断をされた(何かあった時に責任を取りたくないので、幅を持って休ませようとする)。休めるのはいいけどさ、だんだん人間が腐っていってる気がするよ・・・。 

そういうわけで、ひまなので映画だとかYoutubeを見て、ほぼ廃人化している昨日と今日。今日は兼ねてより見たかった“The notebook(邦題:君に読む物語)”を観ました!


邦題:きみに読む物語


もう、すっごくよかった!!


と、公開された2004年だったら言ってただろうなー。10年観るの遅かったなー、いろんな意味で。20代前半で観たかったよ。そしたら、大河ドラマ並みの2人のラブストリーに感涙していた筈。

舞台は1940年代のアメリカ南部。青年ノア(ライアン・ゴスリング)は別荘にひと夏を過ごすためにやってきたシティ・ガールのアリー(レイチェル・マクアダムス)と恋に落ちる。2人は深く恋に落ちるけれども、身分の違いが2人を引き裂いていく・・・

ライアン・ゴスリング、すっごく好きなんだけど、この映画の中の彼、完全にアウト。アリーをデートに誘うシーンがあるのだけど、まずその強引さが、なし。今流行の『壁ドン』的な?いや、違うか。アリーについて。こういうアメリカ人女性が近くにいたら、私、疲労困憊しそう・・・。きっといい子に違いないんだろうけど、疲れる自信あり。

身分の違いで引き裂かれた7年後、ノアは第二次世界大戦に巻き込まれたり、理解ある父親が死んだり、そしてアリーは身分相応の男性と婚約する。が、ある日ノアに会いに行ってしまい、2人はやっぱり離れられないことを知る・・・

日本のウィキペディアには「結婚式前にけじめをつけるため」と書いてあったけど、「けじめ」という概念がアメリカ人にあるのでしょうか?英語でなんて言うんだろ?ということは置いておいて、なんだかなー。結婚式の前に、昔の恋人に会いに行く必要、ある?自分がものすごく愛してた人にもう一生会えない、もう一度だけでもいいから会いたいと思う気持ちはわかるけど、もうそんなのみんなを傷つけるだけじゃない?そして何より自分が一番傷つくよ。

かと言って、会わないと決めて後悔する気持ちもどっちもわかってしまう、女30歳、いや、プラス1歳。そういう意味で、20歳そこらで観たかったな、と。そしたら「めっちゃ大恋愛!」って思えたのに。年を取ると、観なくていいところを観てしまってだめだね。

数箇所、すごく印象的なシーンがあったのだけれど一番印象に残ったのが、ひと夏を終えてニューヨークへ帰るアリーと離れ離れになるシーンでアリーが「あなたもニューヨークへ来たらいいじゃない」と言う。ノアのその時の表情がなんとも言えなくて。「俺がニューヨークに行ってどうするって言うのさ?」そうなんだよね、彼は“そこ”にいるから、“彼”でいられるんだよね。その場面は非常に切なかった。

私の印象は結局この男性はアリーのために手紙を書いて待ってることしか出来ないし、(強引なのに、ツメが甘いと思うのは私だけ?その気になれば、家に押しかけられたよね?1年に365通も手紙送ってんだから)ノアと一緒になるためにアリーだけがいろんなものを捨てないといけないとしたら、それはやっぱりフェアじゃないなと思いながら観続けてたけど、最後は見せてくれましたよ、懇親の愛を。他人を巻き込んで、犠牲にしたこういう純愛系の映画って、「ハッピーエンドの続きがハッピーだとは限らないよ、あんたたち」っていじわるなことを思ってしまう私だけど、そう思う余地がないほど完璧な結末でした。 

私が年を取って、いろんなことを忘れてしまったら、私にもこういう風に自分たちのストーリーを読み聞かせて欲しいものだよ。 

写真展は残念ながら本日まで! 先日、写真同人誌九州という写真展に行ってきた。九州出身、九州在住のカメラマンの人が撮った写真を展示していて、そこには私の故郷の佐賀県もあった。友達が偶然見つけて私に教えてくれたのだけど、「今見たら、ホームシックになるかもよ」と言われてた。泣き...

写真展は残念ながら本日まで!
先日、写真同人誌九州という写真展に行ってきた。九州出身、九州在住のカメラマンの人が撮った写真を展示していて、そこには私の故郷の佐賀県もあった。友達が偶然見つけて私に教えてくれたのだけど、「今見たら、ホームシックになるかもよ」と言われてた。泣きはしなかったけど、自分の生まれ育った場所が一枚一枚大切に記録されていて、心に響くものがあった。カメラマンは1990年生まれの佐賀県唐津市出身の若い男の子で、少しだけ話をすることが出来た。彼は現在福岡在住なのだけれど、唐津を撮るのが大好きで、唐津に帰っては唐津のポートレイトを撮っているのだそうだ。唐津は唐津城や唐津くんちで有名だけれど、ひとまずはそういう写真は展示されていなくて、そこには唐津の日常があった。唐津の路地裏だとか、昭和の匂い漂う小さな駄菓子屋さんとか。唐津がホームタウンではなくても、「あるよね、日本のそういう風景!」と、懐かしくなるような写真ばかり。この写真展のコンセプトは「九州という場所を知ってもらおう!」というもので、九州を深く愛しているからこそ、世界の人にもっと九州を知ってもらいたくて、ベルリンで展示会をやる運びとなったそうだ。

私は自分の生まれた場所がずっと好きではなくて、ずっとずっと出て行きたくてたまらなかった。九州はもちろんいいところだけど、かと言って万人に対して優しい、もしくは住みやすい場所はこの世には存在しない。だから私はこんな遠いところまで逃げてきたのだけれど、愛するがゆえに「九州を(もしくは日本を)知ってもらいたくて!」というポジティブな思考の下、外に出て行く人もいるんだなとそのことがとても印象に残った。そういう人にしか表現出来ないものもあるだろうし、私みたいな人にしか表現出来ない世界もあると思いたい。生まれた場所を、もしくは自分を生んだ人、自分が置かれた状況を無条件に愛さなくてはいけないとしたら、私にはそれはある種の拷問だと思えてしまう。愛してもいいし、愛さなくてもいい、くらいの適度さが自分にはちょうどいい。

もちろん、故郷から遥かかなたで暮らしてみると、望郷の思いは日に日に強くなっていくのも事実だ。もうあそこで暮らしたいとは思わないけれど、『故郷は遠きにありて思うもの』とは真実で、私にはこの距離がとても心地いい。離れているからこそ、愛していける場合も絶対にあると思う。 

さて、突如話は変わるけど、自宅の洗濯機が壊れているので今日は朝から近所のコインランドリーに。待ち時間にカフェで本を読んでいると、向かいに座ったゲイのカップルに話しかけられる。話の途中で、私が日本人だと知ると「えー!僕、日本大好きなのー!」と日本の好きなところをあれこれ教えてくれた。もちろん九州も今は大好きだけれど、私はやっぱりベルリンの多国籍な感じや、ゲイ率が高い感じとか、いろんな人を受け入れている感じがやっぱり好きだな。 

佐賀について書いたブログが何個かあったので、貼り付けてみる!
佐賀の風景が、届きますように。 

『私が好きだったもの』
http://amorestaaqui.blogspot.de/2014/06/blog-post_29.html

『無題』
http://liebeisthier.blogspot.de/2014/07/blog-post.html

雑誌を買わなくなって久しくなる。最近はインターネットで情報を簡単に得られるため、お金を 出してわざわざ雑誌を買うことが少なくなったのだけれど、たまに覗く、ウェブ版VOGUE JAPANの特集で、とても心が躍る投稿を見つけた。創刊15周年ということで、15年分のカバーを一...



雑誌を買わなくなって久しくなる。最近はインターネットで情報を簡単に得られるため、お金を
出してわざわざ雑誌を買うことが少なくなったのだけれど、たまに覗く、ウェブ版VOGUE JAPANの特集で、とても心が躍る投稿を見つけた。創刊15周年ということで、15年分のカバーを一挙に公開!というもの。このモデル、懐かしいなー、富永愛ちゃん若いなーなんて思って歴代のカバーガールたちを眺めていた。VOGUEは基本的に「小娘なんてお呼びじゃないわよ」みたいな雑誌だったので、10代の頃はただ憧れるだけで、あんまり買ったことはなかったのだけれど、今でも強烈に覚えているのが、上記のカバー。2001年、私が高校3年生の時、今は無き上峰サティの本屋(超地元ネタでごめんなさい)でこのカバーを発見し、「私はこの雑誌を今買わなくては!」と、胸をどきどきさせながら買ったことを覚えている。特集の名は『Sexy』、そしてサブタイトルは「セクシーで、わるい?」。なんてかっこいい特集なんだろう。ど田舎に住む女子高校生が、どきどきしながら1ページ1ページ捲っている姿は簡単に想像出来るだろう。見てはいけない、でもその先が見たい!という思春期のあのどきどきよ。 

その頃大好きだった元日本代表の中田選手のインタヴューや、当時神のように崇拝していた山田詠美の短編小説が収録されてたことも、少女の心を高揚させたものだ。(「好きな女性は?」と問われ、「マチュアな女性」と答えて私をしびれさせた中田選手が、その後“自分探し”の旅へと出た時のショックは置いておいて)

細かいことは忘れてしまったけれど、「セクシーの定義10項目」みたいなものがあって、「トートバックを持たない」などのどうでもいいことから、「セクシーであることを恐れない」、それから「都会の孤独を楽しめる」みたいな項目で終わっていたと思う。雑誌から伝わってくる「タブーを恐れないこと
」「タフでいること」「自立していること」それから「媚びないこと」等の女性像は本当に小娘には刺激的だった。雑誌の方向性、読者層の違いだとはわかっていても、「モテコーディネート♡」「モテ髪♡」のようなセンテンスはやっぱり今でも魅力的だとは思えない。いえ、あくまで個々の趣味の話ですけど。さっき書いた「「小娘なんてお呼びじゃないわよ」という雰囲気は、裏を返せば「少女よ、はやく大人になりなさい。大人の女性はこんなにも素敵なんだから!」というメッセージのように思えた。「女はセクシーでこそ女だ!」と心に刻んだのもこの頃。そして“Beauty is Pain” (美しさとは痛みだ=おしゃれは我慢、のこと)だと学んだのも。 
 
しかし・・・17歳の頃の自分がなりたかったような女性に果たして自分はなれているのだろうか?
それは甚だ疑問だ。

でも今だったら、足をマメだらけにして血まみれでよれよれになってもハイヒールで歩くことより、フラットシューズで姿勢を正しく歩くことが美しいと思う。でもそれは痛みを経験したことのある女性だからこそ、美しく歩けるのかな、とも。もしくは痛みがなくなるまで、ハイヒールで歩き続ける気高い女性とか。それはファッションでなくても、人生においてもきっと同じことだと思うのだ。

でも私、自分が男だったらハイヒールを脱いだ時に、女性の足が傷だらけだったらなんかとても愛しくなってしまいそう。もう、いい大人だからそういうこと、ないけどね。そういう痛みですら、なんだか懐かしい。 

Rome is not built in a day(ローマは一日にしてならず)をもじったBeauty is not built in a dayというセンテンスが好きなのだけれど、セクシーもきっと一日にしてならず。精進致す所存。痛みから解放された後、次に来るセクシーの大敵は、その名も『惰性』。あぁ、体はすでに蝕まれている。回復の見込みはあるのか? 自分に渇。 

TGIF! (神様ありがとう!金曜だ!の意味) 金曜だし、週末久々の休みだし、嬉し~!16時半に仕事が終わったので、家に帰ってちょっと休んでお出かけしよう~と思って、ベッドの上でごろんとしながらフェイスブックを開いたら、完全に見てはいけない動画を見てしまった。 PETA(動...

TGIF! (神様ありがとう!金曜だ!の意味)
金曜だし、週末久々の休みだし、嬉し~!16時半に仕事が終わったので、家に帰ってちょっと休んでお出かけしよう~と思って、ベッドの上でごろんとしながらフェイスブックを開いたら、完全に見てはいけない動画を見てしまった。

PETA(動物愛護協会)の投稿で、「あなたの食卓に並ぶベーコンやソーセージはこうやって作られてます」という趣旨の内容。狭いゲージに入れられた豚たちや、鉄の棒で叩かれる様、それから生後間もない子豚が“モノ”みたいに床に叩きつけられる様子が一部始終録画されている。

詳しいことは書かないけれど、はっきり言って人間やめたくなるような動画だった。私・・・こうやって虐待されて、殺された豚のお肉なんて食べたくない・・・!!

この世にはなんて残酷なことがあるんだろう。私たちが動物を殺さなくていいのは、自分の手を汚さなくていいのは、誰かが私たちの代わりに動物を殺してくれるからだけど、私、この虐殺に加担したくない・・・! 

大昔、金融の会社で働いていた時、100万円の定期を作りに来た人に対して、「100万くらいの定期なんて別に珍しくもなんともない」と思ってしまっていた自分と同じように、屠殺場で働く人は感覚が麻痺してしまうのだろう。100万をどんな思いで貯めたのか私は何も知らないのに。自分が死にたくないと思うことと等しく、子豚だって、毛皮のために殺される狐だって死にたくないと思っている筈なのに。

だったらせめて、一思いに殺してあげて欲しい。何の痛みも苦しみも感じないように、一瞬で殺してあげて欲しい。でも彼らにとっては、人間以外の命なんて瑣末なものでしかないのだろう。そしてある種の人間にとっては、人間の命だってどうでもいいことなのだろう。

今日からいきなり冬になったベルリンのオラニエストラーゼを歩きながら、この動画のことを考えていた。ふと大好きな映画「Never let me go 」のことを思い出した。不健康な“人間”のために、『臓器提供』のために人工的に作られたクローンたち。自分には“心”があって、人を愛することも出来るのに、一体、自分たちの何が“人間”と違うのだろうか?という問いかけで映画は終わる。 

原作はカズオ・イシグロの同名の小説なのだけれど、私はこの映画以上に救いがなく、悲しい内容の映画を観たことがない。その悲しさは手塚治虫の鉄腕アトムに通じるものがある。クローンとロボットの違いはあるけれど。 

スーパーに並ぶ肉がどうやって作られているかに興味があるのだったら、ぜひ動画を見て欲しい。 
でもこの世には知らない方がよかったことがたくさんあるな、と思ったのも事実。  

https://www.facebook.com/officialpeta?fref=photo

動画がそのまま貼り付けられなかったので、PETAのFBページ張ります。 
これ系のネタはもう今後書きたくないなぁ。気持ちが荒む。 

 生活の拠点が外国になって数年経ったけど、最近自分に思いもよらない変化が。 日本食が、途方もなく恋しい。 私は基本的にどこの国に行ってもなんでもおいしく頂ける人で(でも日本のチェーン店とか、ファミレスとかそういうものは無理)、今でこそお肉を食べないけれどほとんど好き嫌いも...

 生活の拠点が外国になって数年経ったけど、最近自分に思いもよらない変化が。

日本食が、途方もなく恋しい。

私は基本的にどこの国に行ってもなんでもおいしく頂ける人で(でも日本のチェーン店とか、ファミレスとかそういうものは無理)、今でこそお肉を食べないけれどほとんど好き嫌いもないので、「日本食しか食べれない!」「白米が恋しい!」とかそういう願望もほとんどない。外国に住める人、住めない人で最初に振るいにかけられる条件が『食事』だと思う。日本のふっくらご飯を毎日食べたい人だったら、やっぱり外国で暮らして行くのは大変だと思う。その点、私はひたすら“洋食”が好きだったので(と言うより、食にそもそも関心がなかった)、今までなーーんの問題もなく暮らして来た。が、30歳を過ぎての体の変化は唐突に。 

醤油が恋しい、出汁が恋しい、お味噌が恋しいぃ!! 

ほとんど和食食べない生活をしてたけど、最近ひたすら日本食。母の手作りのお味噌をベルリンまで持って帰ってきて、お味噌汁を作って「はぁ~落ち着く~」と言っている。ちょっと前までは、お味噌汁に豆板醤入れたり、大好きなパクチー入れたり、明らかにシンガポール時代の名残のまま過ごしてたけど、最近はあっさりのお味噌汁。わかめ入れたやつね。 

そして南部鉄の急須+茶たく+湯のみで緑茶で〆ている。しかも現在は、佐賀が誇る嬉野茶、福岡の八女茶(うちの家はこっち派)、それから京都で買い付けた宇治茶を飲み比べしている。贅沢~。こないだは友達が持って来てくれた小城羊羹で、一息。落ち着く~小城羊羹、なんておいしいの!(と、ちゃっかり地元・佐賀の宣伝をしてみる)

人間は年を取るとさっぱりしたものを欲すのか、それとも結局生まれた国の習慣に戻ると言うことなのだろうか? 

今は私の食生活は野菜と乳製品が中心で、お肉は食べないし、お魚もほとんど食べないけれど、将来的にはお魚も卵も乳製品も絶つことにも興味がある。いわいるヴィーガン(完全菜食主義)なのだけれど、自分の理想はやっぱり“精進料理”だなと思う。別に自分は宗教的な人ではないし、お経も唱えられないけど、なるべく殺生をせず、食事にストレスをかけずに生きていくことが理想。 
そういうコンセプトを追求していくと、結局日本食にたどり着く。いろんなことを経験して、結局廻り巡って自分の国に辿り着くという人生の不思議よ。 

数年前まで、「料理する暇あったら本読みたい、時間がもったいない」と本気で思ってたけど、今はゆっくりご飯を作って、ゆっくり食べたい。そしてゆっくりお茶を飲みたい。心の栄養が本だとしたら、体の栄養はやっぱり食事から。自分の体を労われってこういうことね~年を取るってこういうことね~そして思いの他、自分の体が日本を求めている。  

悪くないけども。 

数日前、Yahoo Japan のとある記事が友達と私の二人の日本人三十路女性の目に留まる。 『竹野内豊熱愛!』  ぎゃー! しかも20代の女性と!  「なんてことなの!私は『星の金貨』の頃からファンだったのに・・・。水曜10時を毎週楽しみに生きていたのに・・・竹野内豊...

数日前、Yahoo Japan のとある記事が友達と私の二人の日本人三十路女性の目に留まる。
『竹野内豊熱愛!』 

ぎゃー! しかも20代の女性と! 

「なんてことなの!私は『星の金貨』の頃からファンだったのに・・・。水曜10時を毎週楽しみに生きていたのに・・・竹野内豊か大沢たかおか悩んで、竹野内さんを選んだのに!」 
「いやいや!私なんて!!それよりもっと前のロンバケ時代から好きだったんだから!うぅ」 (バカ二人) 

あぁ神様、私、美しい男は皆ゲイだと思ってました・・・と心の言葉はしまいつつ、やっぱり、モっくんに一生の愛を誓って生きていくしかないと悟ったよ・・・。とは言うものの、熱愛報道に関連して今更『冷静と情熱のあいだ』の映画を観る。私に先んじて、前述の友達もすでに鑑賞済みだったらしく、感想を言い合う。 

私、「あ、そう言えば『冷静と情熱のあいだ』観たよー」
友達「どうだった~?」
私「見なきゃよかったってくらい後味悪い映画だった~。なんなの!?って怒りさえ沸いたよ」
友達「だよね!あのフェンディの毛皮のコート、もらわなくてよくない!?」 (竹野内豊の元彼女が今の彼からフェンディの毛皮のコートを誕生日にもらうシーンがあるのです。)
そこ?とはちょっと思ったものの、友達のコメントには激しく同意。あぁ、あんたのどうせ着ないであろう毛皮のために何匹のフォックスが殺されていると思ってるのー!とアンチ毛皮派の私。意地でもそれ着ろよ、とすごみたい。 

と、毛皮問題はひとまず置いておいて、あらすじを言うと、20歳の頃に順正(竹野内)とアオイ(ケリー・チャン)は「30歳の私(アオイ)の誕生日にイタリアのフィレンツェにあるドォーモに一緒に昇ろうね」と他愛もない会話を交わす。「その頃も二人はきっと一緒にいるはずだ」と信じて。しかし、いろいろあって二人は別れることになるが、8年の歳月が経って、今はもう会うこともなくなっても二人は思いあったまま・・・。そして別れから8年後、約束の街・フィレンツェで偶然再会するが、お互いにはお互いの恋人がいて・・・という、 江國香織と辻仁成のコラボレーション小説が原作の映画。 

私、高校2年生の時にブルー(辻仁成)の小説読んだ。冬休みの読書感想文もこの小説で書いたくらい、この小説が大・・・嫌いです。そもそも辻仁成が嫌い(みぽりん、あなたの決断は間違ってないと思うよ)。「元カノが忘れられない」という主人公の男に嫌悪感。いや、厳密に言うならば、それを言っちゃう男に嫌悪感。あのねー。それを言って、今の恋人を傷つけて許されるのは、19歳くらいまでだと思うのよ、私。わかるよ、わかるのよ。人間、捨てられない過去もあるし、忘れられない恋の一つくらいなかったらつまらないと思う。傷を抱えて生きている人は逆に魅力的とさえ思うけど、言葉に出して今の彼女に言ったらだめだと思う、そこはやっぱり。恋にはルールはないと思う半面で、やっぱりルールはあると思う。大人になってからの恋は特にルールがあると思う。不倫も然り。だから、大人になってからの恋は切ないし、ルールを破れない恋物語を見て切なくなったりするんだと思う。ルールを敗れるか敗れないかがどれだけ人を愛しているかのバロメーターではないと私は思う。 

主人公がしてるのはもちろん“純愛”だけど、周りを巻き込んで、傷つけてる。やっぱりね、これは大人はやっちゃいけないと思う。二人が深く愛し合うがゆえにお互いを傷付け合うのは、しょうがないことだし、避けられないことだと思うけど、周りをその愛に巻き込んじゃだめだと思う。私が周りの人なら「もう勝手にして~私、いち抜けたっ!」と思うね。ま、そういう意味でこの男は最低だと思う。たいてい大人になると感想って変わるものだけど、感想、まったく変わらず。 竹野内の今の彼女役が篠原涼子なのだけど、「あんたね、今別れておいて正解だよ。間違って結婚でもしようものなら、地獄だよ。女はやっぱり自分を一番に思ってくれる人がいいと思うよ」と言いたい。 

アオイ役のケリー・チャンにも、「あんたもね、よく考えなよ。アメリカ人の今彼も順正もあんたのこと思ってくれているのはよくわかるけど、外国暮らしの長いあんたにはこういう男は後々苦労するって~。今はいいかもしんないけどさ~」と外国に住む女性にしかわからないであろうコメントをする私。この感想はある程度大人になったからこそ言えることではある。 

同じ人をずっと好きでいたり、こんなに深く愛せることはある意味で素晴らしいことだけど、こんなにもお互いを苦しめたまま縛られている恋愛はやっぱり悲しい。そしてだいたい、深く愛し合うがゆえに、離れることも出来ないけど、一緒にいることも不可能という厄介さ。

総まとめ: この映画は竹野内豊の美しさを保存しておきたかったから撮影されたに違いない!Meet Joe Black 『邦題:ジョーブラックをよろしく』を観た時、「この映画は若かりし頃のブラッド・ピットの美しさを撮影したかったに違いない!」と思ったことと等しく、それくらいの感想しか持たないくらい美しかったわ~。もしくは、フィレンツェまた行きたいなー、次は夏に行きたいなーくらいの感想ね。この映画の「純愛仕立て」に感動しない私は心が冷たいのか?ていうか、当時どういう扱いをされたんだろう、この映画は。  

ちなみに、酷評した辻仁成のブルーとは打って変わり、江國さんのレッドはすごくよかった。いろいろ思うことがあった。そうだよね、女ってそうだよね。大人の恋って切ないよね、という風に。 

もし人生で唯一愛した男性と10年後に再会して、一晩を共にすることになったら・・・

女はきっと、それを別れだと思うと思う。出会ってすぐのワンナイトのアフェアを男性が「終わり」、そして女性が「始まり」だと思うこととは反対に。 

ここ二週間くらい「10月にしては信じられないほどいい天気♡今から冬が来るなんて信じられないなー」と思っていたけれど、始まりましたよ、ディプレス以外することのないくらーくながーい冬の日々が。 しかも今月末にはサマータイムが終わる・・・。夏を楽しみたい気持ちはわかるんだけどさー、な...

ここ二週間くらい「10月にしては信じられないほどいい天気♡今から冬が来るなんて信じられないなー」と思っていたけれど、始まりましたよ、ディプレス以外することのないくらーくながーい冬の日々が。
しかも今月末にはサマータイムが終わる・・・。夏を楽しみたい気持ちはわかるんだけどさー、なんで気落ちし始める10月末にわざわざ一時間時間をずらすのかな。この一時間のせいで、余計気落ちするんだが。あぁ、そろそろマフラー買わないと。去年は2週間くらいで、マイナス10度の世界が終わったので、靴下2枚履き、コートの中にライダースジャケット着込んで、寒さを凌いだけど、今年はそうも行かないだろうなぁ。ダウンジャケット着たくないけど、ダウンデビューするべきか?暖かそうよね、ダウン。 

20歳の頃なんて真冬でもミニスカートに素足なんてよくやっていたものだ。デニムにヒールを合わせるなら絶対靴下を履かない、着膨れするのがどーしても許せなくて服は2枚以上重ねないという自分ルールを徹底していたものだ。『おしゃれは我慢』ピー子の言葉を心の支えにしていたものよ。ふっ(遠い目) 

しかし。もうね、出来ません、そんなこと。北国ドイツに住んでるからとかではなく、うん、認めます、私、年取りました。 

ファッションに対する情熱もそうだけど、ここ1年自分の変化にすごく驚く。昔は「一生ひとところに定住しないぜ!転がる石は苔つかないぜ、ロックンロール!」みたいな感じで本気で思っていた。結婚をはじめとして、家具を買うだの、家を買うだのもろもろのことに背筋が本当にぞぉ~としてたものだけれど、定住には今むしろ憧れる。家具?買いたい。好きなものに囲まれて暮らせるって素敵。家を買うことはまだ抵抗あるけど、ベルリンだったら投資になるから買ってもいいかもなと思う。売ればいいし。NO MUSIC, NO LIFEだったのに、最近はまったくアップデート出来てない。「どんなに疲れていても一行でも本を読んで寝る」がモットーだったのに、全然本を読めてない。稼ぐお金のほとんどを航空券に使っていたのに、旅行、もう行かなくてもいい。今からの季節寒いし、なんて思ってしまう。
本の虫だった私が本を読まない日が来るなんて・・・。放浪癖は一生治らないと思っていたのに・・・。
 
でもよく考えてみると20代の頃は、「時間がない!テレビなんて見ている暇ない!だらだらしているひまもない!本読まなきゃ、映画見なきゃ、英語勉強しなきゃ、あそこにも行かなきゃ、ここにもまだ行ってない、友達とも遊ばなきゃ、彼にも会いたい、あぁ1日はなんで24時間しかないんだろう!とにかく時間がない!!」と常に焦燥感の中で過ごしていた気がする。「明日死ぬように生きろ、永遠に生きるように学べ」とはマハトマ・ガンディーの有名な言葉ですが、まさにその通り。その言葉を胸に、自分がやりたいと思ったことは、ほぼすべて遂行した気がする。「あれやっておけばよかったなー」ってことはあんまりない。これは満足したということなのかなと最近思う。だからなのか、もしくは男女、国籍関係なく来るのかもしれないけれど、次のステージのドアが開き始めた気がしないでもない。

それにいつまでも「明日死ぬかもしれない」なんて思って生きていくのも疲れる。肉体的にも精神的にももう無理だと思う。満足したと同時に、疲れた。明日死なないと信じて、もっとゆっくり生きていいのかな、と。
大昔、ばりばり思春期真っ盛りの青臭い14歳の頃、父に「私は明日死んでもいいように生きる!!」と啖呵を切ったら(死語)、おだやか~な口調でさらりと「まぁでも明日死なないかもしれないからね~」と言われたことを思い出した。げなう!(ドイツ語で「本当に!」の意味)
「明日死ぬかもしれない」と「明日死なないかもしれない」のバランスはやっぱり難しいけれど。 

結婚も・・・今までは「一生男女でいたいから結婚はしたくない!(というか、しがらみたくない。男女のもつれはどこまででも受け入れますけど)」と思っていたけれども、することもあるかもしれないと思わないこともなかったり。事実婚の多いベルリンでもこういう考えになるから、結婚に社会的プレッシャーの大きい日本女性の気持ちはいかばかりか。お察しします。

人間は変化するねー。こういう日って来るのね~自分には一生縁のない話だと思ってたけど、何事も「一生」とか「永遠」ってことはないんだな。

時が残酷に流れないことを祈る。

あの頃、よくベランダから夕日を眺めてた。 先日友達とPrenzlauerbergを歩いていたら、偶然シンガポール料理のお店を見つけた。最近シンガポールのことをなぜかすごく思い出していたので、こういうことってあるんだなぁと思いながら。 私は以前シンガポールに住んでい...

あの頃、よくベランダから夕日を眺めてた。


先日友達とPrenzlauerbergを歩いていたら、偶然シンガポール料理のお店を見つけた。最近シンガポールのことをなぜかすごく思い出していたので、こういうことってあるんだなぁと思いながら。

私は以前シンガポールに住んでいことがある。そんなに昔のことではなくて、1年半くらい前のことだ。以前ブログにも書いたことがあるけれど、私はシンガポールには何の愛情も持てなかったし、今でも別に愛情と呼べるものは持ち合わせていない。正直に言って、本当に大嫌いだった。体調を崩して、最終的にほぼ逃げるような形でシンガポールから撤退した。
 その時精神も崩壊寸前だったけれど、同じくらい顔面も崩壊していたと思う。日差しが強かったのももちろんあるけれど、この頃の写真で私がほとんどの場面でサングラスをしているのはたぶんそのためだと思う。年をとり始めた女性ならば誰でも簡単に理解出来ると思うけれど、自分の顔が驚くほどの速さで老化していく恐怖と言ったらない。まだ20代で、最後の若さの日々を存分に謳歌するべき時に、自分の崩壊した顔を鏡で見る度に涙が出てきてた。本当にナイトメア(悪夢)としか言いようがなかった。いつから自分の人生はこんなに救いようのないものになってしまったんだろうか、なぜ自分はこんなに遠いところまで来てしまったんだろうか、一体何が悪かったって言うんだろうか?何も理解出来なかった、何も受け入れることが出来なかった。自分の目で見たものが、何も信じられなくなった。そういう頭でも、もう自分の人生は取り返しのつかないくらいホープレスになってしまったんだということだけがわかった。
 幸い、シンガポールは私の国ではなく、せめて帰る場所があったことが救いだったと思う。

だから私はシンガポールのときの話はあまりしたくない。もう二度と行くこともないとも思っていた。 
今はシンガポールと対極のベルリンに住んでいることが大きいと思うけれど、最近ふとシンガポールを思い出す時がある。
正気の沙汰とは思えないマリーナベイサンズから見た宝石箱みたいな夜景や、こぼれるような原色の花たち、白亜のラッフルズホテル、一人で歩くオーチャードロードのあの寂しさ、夜のアラブストリートの水煙草の匂い、家からよく眺めてたビル群に沈む夕日、泳げない海、雨季の爆音みたいな雷の音、マレーシアとの国境近くのジャングルの名残のような緑たちの荒々しい生命力の強さ、香辛料の香り、くすんだ空、不快な虫の羽音、もしくは羽虫の死骸に群がった蟻たち、それからチャンギ空港の見送りゲート、そして紫の蘭の花。 
時々、シンガポールの断片が白昼夢のような悲しい美しさをもって私の前へ現れる。もう二度と見たくもない景色、そしてもう二度と見ることもない景色たち。

人がいつまでも同じところにいられないように、人の愛情がいつまでも同じ形を留めてはいけないように、苦しみも悲しみも永遠には続いていかないことを知る。苦しみの中にいる人に「時が解決してくれる」という言葉は何の慰めにもならないことも知っているけれど、やっぱり時は優しく流れていく。傷跡は残るけれど、痛みから解放される日はやってくる。

あれは美しい悪夢だった。今はやっとそう思う。 

ベルリンにも短い夏が来た。気温の変化について行けず、体調を崩している私です。先日メディカルチェックアップに行って、血液検査してもらったらやっぱり貧血と診断。昔っから貧血持ちなんだけど、最近ひどくて。特にここ1年はお肉をまったく食べてなかったことも関係してると思う。ドクターからも「...

ベルリンにも短い夏が来た。気温の変化について行けず、体調を崩している私です。先日メディカルチェックアップに行って、血液検査してもらったらやっぱり貧血と診断。昔っから貧血持ちなんだけど、最近ひどくて。特にここ1年はお肉をまったく食べてなかったことも関係してると思う。ドクターからも「せめて魚は食べなさい」と言われる。魚かぁ、ベルリンの魚、不味いんだよなぁ。とういうか、ベルリンのスーパーにはそもそも魚コーナーがない。乳製品、お肉関係は充実してるんだけど、お魚は基本的に冷凍。後は缶詰なんです。しかも酢漬けとか多い。うぅ、私、酢の物が苦手・・・・。

私はお魚は頂いている中途半端なベジタリアンだけど、なんでベジタリアンになろうと思ったの?とよく聞かれる。これにはきちんとした理由がある。そもそも犬が大好きで、彼らと接してういるうちに犬以外の動物にも命があるんだなと思い始めて、犬は食べるものではなくて、なぜ牛や豚はいいんだろうと思い出したのがきっかけだった。
食用のために生まれて、そのために生きる。そしてある日突然命を奪われて、肢体をばらばらに引き裂かれる。そしてその一部は捨てられていることだって多い。人生なんてアンフェアだと思うことばっかりだけど、そういう理不尽さや動物たちの最期の瞬間を考えるともうお肉が食べれなくなった。自分で狩りをして、動物たちの息の根を止めて、皮を剥いで血を抜いて、肉を切り刻む人にはそれを頂く権利はあるけれど、自分にはその権利はないと思った。私はスーパーで並んでいるパックに入ったお肉を買うだけだ。ここ数年ずっとお肉を食べることに罪悪感を感じてて、でも欲に負けて食べて、食べた瞬間に後悔して・・・っていうことを繰り返して、せめておいしく頂くならまだしもこんな風にお肉を頂くことは動物たちへの冒涜だと感じ、一年前に一切のお肉を食べないことに決めた。

さすがに今は率先してお肉を食べたいという欲はほとんどないけれど(そもそも年のせいもあるけど)、こういう貧血とか体調のことを考えると食べた方がいいんだろうなぁとも思う。そして疲れている時には、実際何回か食べた。昔みたいに無尽蔵にあるもののようにお肉を食べるわけではないので、食べて後悔することは昔よりは無くなった気がする。 

でも出来れば、お肉を食べないでバランスのよい食生活をなんとか送りたい。ベルリンはベジタリアン率がとても高いから、べジの料理教室にでも通おうかと検討中。あ、でも私ドイツ語話せないんだった!じゃあドイツ語教室からだな・・・とまた振り出しに戻る。あぁ。 

皆さんも体調にはお気をつけてお過ごしください!

日本で働いていても日々新たな発見やカルチャーショックは付き物だけれども、外国の企業で外国人だらけの職場で働いていると、目から鱗がぽろりと落ちることがある。 今日チーム内ミーティングで、ボスからの通達事項の一つは「病欠」について。 パワーポイントで各オフィスの病欠の割合のグラフ...

日本で働いていても日々新たな発見やカルチャーショックは付き物だけれども、外国の企業で外国人だらけの職場で働いていると、目から鱗がぽろりと落ちることがある。
今日チーム内ミーティングで、ボスからの通達事項の一つは「病欠」について。
パワーポイントで各オフィスの病欠の割合のグラフを見せられた。
「ベルリンは病欠が多すぎる!トーキョーオフィスの年間平均病欠に比べて3倍よっ!」
世界で最も多忙な東京と、世界でも最ものんびり~なベルリンと比べられても・・・という感じだったけれど、3倍はひどい。マネージメントサイドはこの病欠の割合を減らしたいそうな(当たり前だけど)。それでどうやったら病欠が減るかを皆で話し合う。が、もちろん、話し合うことでもないと皆が思っていたことは明白だった。

ドイツ人同僚「でもさ、アメリカは病欠ってペイ出ないんでしょ?ドイツは病欠でもサラリーに反映しないから、そりゃ病気の時会社に来るモチベーション違うよね」(と、ドイツのシステムはやっぱり誇らしげ)
オーストラリア人同僚「ていうかさ、このデータがそもそもナンセンスな話だよ。だって、例えば風邪引いてドクターに行ったら自分はもう明日には平気かな~なんて思っててもドイツのドクターは『だめだめ!一週間は休みなさい』って言う。ドクターストップがかかってんのにどうやって会社に行くのさ?オーストラリアのドクターは絶対そんなこと言わないよ。そういう状況でこのデータを出すのは間違ってるよ」 などなど。
私?私は意見なんてありません。だって、私ちょっとくらい体調悪くても、やっぱり会社に行ってしまうし、病欠するとやっぱり申し訳ないなって日本人魂が出てしまうのです。長年日本で培われた習慣はなかなか抜けない。でもボスは、「そーーーーだけどーー。どうにかして病欠を減らさないと会社は回っていかないでしょう?だから今後は病欠の時はアフターケアに重点を置くことになったの、やっぱりコミュニケーションが大事よね。上司とのコミュニケーションで解決出来る部分もきっとあると思うの」と説明。皆、「はぁ?」という顔で聞いてけど、その時はそれで終了。

が一時間程経ったところで、ドイツ人同僚からメーリングリストが回ってくる。
「今日のミーティング内容について皆の意見を聞きたい。病欠という極めて個人的なことに会社は口を出すべきではないと思う。病欠以外の連絡事項についても私たちは納得していないと思うの。だから、皆の意見をまとめてボス(もしくはマネージメント)に報告しましょう」
・・・目から鱗。そもそもミーティングでのボスに対しての反論も日本ではないだろうし、ましてやこの意見書の提案!ドイツ人の同僚曰く、「最終的に何も変わらなくても、小さな力でもこうやって行動することが大事だと思う」。・・・・こういう小さいことの積み重ねが、ドイツの職場環境と日本の職場環境の違いなんだなと痛感する。日本は・・・誤解を恐れずに言うならば、虐げられることに慣れていると思う。それが普通だし、何も変えられないと思っている人が多いと思う。私だってそうだったし、今後日本に帰って働くことがあってもきっとそう思うと思う。ドイツ人は絶対に無理やりでも自分を納得させないし、迎合しないし、自分の自由を絶対に放棄しない。そういう人を受け入れる社会があるから人は自由に出来るのか、それともそういう人が多いからそういう社会が出来上がるのか。だったら日本は、そういう人を受け入れない社会があるから人は不自由なのか、それとも諦めた人が多いからそういう不自由な社会が出来上がるのか。
もちろん日本にはいいところはいっぱいあることも理解した上で言うならば、職場環境はやっぱり遅れてる。私はやっぱり日本人だから、「職場環境をよくするために案出して」と言われても、年間5週間の有給が義務付けられていて、残業はまったくなしという時点で、それ以上に望むことってあるの?と思ってしまう。誰もそんな『当たり前』の話今更してない。このテーマになると、自分がすごく後進国から来た人か、ただそこにいるだけの阿呆みたいに感じる。

もちろんドイツ人だってある程度抗議してだめだったらあきらめると思う。でもその諦めは、虐げられたまま鬱々と働いていくことではない。さっさと転職するだけの話だ。日本はここでも・・・転職回数や理由が後々仇になったりするから厄介だ。

あぁ日本。いつか日本もワークバランスが取れる日が来るのだろうか。それを変えるのはグローバリゼーションの波ではなく、案外あなたの小さな声だったりして。 

今日知り合いの女の子(20代前半もしくは半ば)の女の子とのメッセージのやり取りで、ふと自分の27歳だった頃のことを思い出した。私の27歳はまだ佐賀にいた。最近思い出がすごく美化されていたけれど、よくよく冷静に考えてみると、20代後半は常にイライラしていた気がする。特に27歳はイラ...

今日知り合いの女の子(20代前半もしくは半ば)の女の子とのメッセージのやり取りで、ふと自分の27歳だった頃のことを思い出した。私の27歳はまだ佐賀にいた。最近思い出がすごく美化されていたけれど、よくよく冷静に考えてみると、20代後半は常にイライラしていた気がする。特に27歳はイライラのピークの時で、日本を離れる決意をしたのもこの頃だった。何にイライラしていたのかもわからないくらい、全部にイライラしていた気がする。その頃の彼にもイライラ、家に住まわせてもらっていたくせに親にもイライラ、仕事にイライラ、佐賀にイライラ、そして自分に1番イライラしてたと思う。自分はこういう人生を望んでたわけじゃないというフラストレーションや、自立出来てない劣等感とか、他人と比べてなんて自分はなんてどうしようもない人生を送っているんだろうとか、今後50年こういう人生を送るのだろうかという漠然とした不安だとか、そういうのが大挙して押し寄せていた年頃だった気がする。友達に聞いても、自分もそうだったと言ってる人が何人かいたから、きっと27歳とはそういう時期なのだろうと推測する。27歳くらいが結婚適齢期と言われるのはそういう理由もあるのだろうかと思う。何かしっくり来ないなーとでも言いましょうか。と、書いてはみたものの、しっくり来ないなーと思って結婚とはするものなのか?27歳くらいで結婚した人たち、どうなんですか?男性ってどうなんだろう?そしてこの27歳の苦しみは日本だけなのか?

とここまで書いたところで思い出したけど、私の今でも愛して止まないカートさんが自分の頭を銃で打ち抜いたのも、ジミー・ヘンドリックスが自らの吐しゃ物を喉に詰らせて亡くなったのも、そしてエイミー・ワインハウスがこの世を去ったのも、そう言えば27歳だった。やっぱり、そういう歳なのだろう。  
 

3年が経って、好きなように生きてみたからかこのイライラはすっきり取れた。30歳になったことも大きい気がするけれど、もう自分に期待をすることもなくなったし、受け入れることが出来るようになってきた。そう思うことが年のせいではないとしたら、やっぱりいろんなことをやってみてよかったと思う。「自分はやれたはず」と思って生きていくのは、失敗してそれを引きずることよりつらい気がする。27歳。あの頃だってもう若くはないと思っていたけど、今考えたら27歳、なんて若いんだろう。きっとあと5年後振り返ってみたら、30歳だって十分若い筈。 

なんて。こんなメンタリティ、日本のおじさんたちに怒られそう。いや、私今まで散々怒られてきたから、もう十分ですという感じです、私。

あぁしかし、もしカート・コバーンが30歳まで生きていたら、どういう音楽を作っていたんだろう?

「錆びるより燃え尽きたい」それは彼の遺書にあった言葉。そういう人生をどれだけの人が送れるんだろうね?

7月13日(ブラジル時間)、ドイツVSアルゼンチンのファイナルゲームが行われ、ドイッチュランド24年ぶりにW杯優勝しました~! 正直言ってドイツに住んでいなかったら、完全にアルゼンチンを応援してたし、まずもってドイツが決勝に行った時点で「あーつまんない」と思ったことでしょう。...

7月13日(ブラジル時間)、ドイツVSアルゼンチンのファイナルゲームが行われ、ドイッチュランド24年ぶりにW杯優勝しました~!

正直言ってドイツに住んでいなかったら、完全にアルゼンチンを応援してたし、まずもってドイツが決勝に行った時点で「あーつまんない」と思ったことでしょう。2010年のW杯も確かドイツVSアルゼンチンの対決があって、ひたすらアルゼンチン応援してたもの。まーとにかく、祝・優勝!

私は今回ノイケルンの近所のバーで観戦してたけど、スポーツバーではなかったので、「これ、誰かが家から持ってきたよね?」というテレビだった。ほとんどのレストラン、バー(キヨスクでさえ!)がこんな感じだった。そしてテレビがないバーは、閑散。皆、歴史的瞬間を見逃すまいと食い入るようにテレビを見つめる。巨大なパブリックビューイングのあったブランデンブルグ門に行ったら違ったのだろうけど、ドイツ人歴史的ゲームなのにやっぱり大人しめ。これには再度びっくり。皆さーん、ファイナルですよ~とチアアップしたい気分にすらなった。

すごく拮抗した試合展開だったけど、前半30分アルゼンチンがまさかのゴール!!
こちらベルリン、しーーーーーーーーーーーーーーーーーーー--------ん。
誰も罵ることさえせず、ひたすら沈黙。が、判定はオフサイド。ドイツ人、息を吹き返す。 
 延長後半クローゼと交代で投入されたマリオ・ゲッツェが待望の一点!!もちろん、花火打ちあがりました。勝つよね、勝つよね!?という雰囲気があったにも関わらず、ひたすらほぼ無言で試合を見つめるドイツ人たち。が、泣きの入ったアルゼンチンの子供がテレビに映し出されると、「Oh...」みたいな感じで同情する余裕は出来ていた。 
 中継の人は、「アディショナルタイム、ツワイ ミヌーテン、ツワイミヌーテン・・・!!(2分のこと)と呪文のように唱える。が、興奮を隠しきれていなかった。 

 その長い長いツワイミヌーテンが終わり、ドイツ悲願の優勝!!!ブンダバー!!

ドイツ人たち、喜んではいたけど、やっぱり静か~。もっと喜ぼうよ!!優勝したんだから!!感情を爆発させるというより、あまりにも悲願すぎたためか「噛み締める」という表現がしっくり来る感じだった。花火ぼんぼんあがっていて爆竹の音は半ば内戦のようだったし、車のクラクションもすごかったけど。 
しかしお正月の時も思ったけど、シリアや旧ユーゴスラヴィアからの難民も多いし、花火の音はは空爆を思い出すだろうなと思うとやるせなくなる。ついこないだガザでの空爆のニュースを見たばかりだったし、たぶんそういう思いが頭をよぎったのはたぶん私だけではないと思う。 

とは言え、祝・優勝!!いや~今回のW杯は前半あまり見れなかったけど、おもしろかった~。スペインが早々に負けたことも、ブラジル戦もショッキングだったけど、ドイツが勝ってよかった。次回のワールドカップはロシアだから、欧州にまだ住んでたら行く気がする。4年、またあっと言う間なんだろうなー。

今日ブラジル人とイタリア人の同僚とこの話をしてて、「そう言えばさー、明日(7月15日)ブランデンブルグの優勝パレード行く~?」って何気なく聞いてみたら、「NO WAY! ありえない!ドイツ人たちが喜んでるの見て何が楽しいのさ?」との回答。・・・・もっと喜ぼうよ、住んでいる国なんだから!

ショッキングすぎる。あまりにもショックすぎる2014年ブラジルワールドカップ準決勝。 誰がこんな衝撃的な結末を予想しただろう。ドイツVSブラジル、まさかの7-1。試合10分間ほどは、本当に緊張がこっちにも伝わってくる試合だったのに、開始10分まさかのミュラーのゴール。友達と話し...

ショッキングすぎる。あまりにもショックすぎる2014年ブラジルワールドカップ準決勝。
誰がこんな衝撃的な結末を予想しただろう。ドイツVSブラジル、まさかの7-1。試合10分間ほどは、本当に緊張がこっちにも伝わってくる試合だったのに、開始10分まさかのミュラーのゴール。友達と話しているうちに、え?という感じで一点目。ここドイツ連邦、花火一発目が夜空に散る。結構あっさり入っちゃったね~でも開催国ブラジルがこれで終わるわけないしね、と思って見ていたら数分後まさかの2点目。スクリーンに映し出されるブラジル人サポーターの「嘘でしょ?」という呆然とした顔。花火、2発目。そして、続く3点目。私、ドイツ在住、今回ドイツを応援していたにも関わらず、この頃から呆然として試合を見守る。前半25分、まさかの4点目。もちろん花火4発目。  
2010年のワールドカップで、北朝鮮VSポルトガルの大量得点の時もそりゃー隣国北朝鮮を不憫に思ったものだけれども、今回はそれとは異次元の話だ。「サッカーの国ブラジル」そして「開催国ブラジル」が「ただ負けた」だけではなく、「7-1」で歴史的大敗を記したのだ。特別ブラジルのファンでもない私でもこれだけショックだったのだから、ブラジル人の心中はいかばかりか。これ、私がもしブラジルのサッカー大好き少年だったら、トラウマになるくらいの試合だった。まさか我らがセレソン(ブラジルのチームの愛称)が・・・日本が負けるのとはわけが違う。 
ブラジル、今晩暴動起きてないよね?選手、無事だよね?ドイツ人サポーター、暴漢に襲われてないよね?  
 前回の試合で骨折したネイマールが試合に出ていないからと言って許される失点数ですらなかったけれど、1人の存在を無くしてブラジルという国がこんなにも脆く崩壊することがショックだった。ブラジルというサッカーの国さえ、「自国開催」「優勝」という重圧に負けたことがあまりにショックだった。ブラジル人にとって悪夢のような90分間(プラスアディショナルタイム)だっただろう。さらには最後アディショナルタイムでオスカルが一点入れたのに、誰も彼の元へ駆け寄らなかったこともショックだった。すべてがショッキングすぎた。そもそも開催前から暴動が起こったりして、暗雲はすでに漂っていた大会だったけど・・・

あまりにもショックすぎて、ドイツを応援する気すらなくなった。喜ぶドイツ人に小さく聞こえないように日本語でうるせーよ!とつぶやく。インタビューを受けるミュラーに「あ、彼のドイツ語嫌い」と吐き捨てる。シュールレの顔がアングリーバードにしか見えない(ごめん)。ブランデンブルグ門(ベルリンの象徴の広場)はさぞかしうるさかったでしょう。ドイチュランドの旗がいつになく誇らしげになびいてた。いやいや、私、ドイツが勝ってうれしいのよ? 

 でもまた決勝で負けるオチじゃないでしょうね~。個人的にはオランダとの試合が見たい。でもドイツを負かすオランダは見てみたいけど、ドイツに負けるオランダは見たくないー。けどドイツ在住~ドイツに優勝はして欲しいけども~。複雑だぜ、ドイツ在住。  

**追記**主将も欠いてたね、ブラジル。ごめんなさい。
 

最近思うところがいろいろあり、しつこくブログをアップしている私です。ふふ。何を隠そう、私は小学6年生から大学を卒業するまでの10年間、日記をほぼ毎日書いていた女なのです。働き始めて時間がなくて書いてなかったけど、ミクシーに地味~にアップしていたことも含めたら相当長い間記録を残して...

最近思うところがいろいろあり、しつこくブログをアップしている私です。ふふ。何を隠そう、私は小学6年生から大学を卒業するまでの10年間、日記をほぼ毎日書いていた女なのです。働き始めて時間がなくて書いてなかったけど、ミクシーに地味~にアップしていたことも含めたら相当長い間記録を残していることになる。こないだ日本に帰った時に友達と、「日記って自分が死ぬ前に全部燃やしてしまいたいよね~」と話していたけど、私はやっぱり燃やせないと思う。さすがに思春期真っ盛りの青臭い中学生の頃の日記は恥ずかしくて読み返せないけど、それでもあの頃自分がどんな気持ちで日記帳に向かっていたかまだ覚えているから、やっぱり燃やせない。でも誰にも読んで欲しくはない!

さて、今日は七夕!皆さんはどんなお願い事をしたんでしょう?

私はここ数年、自分の幸せを願ったことがなかった。そもそも「幸せになりたい」という願望が漠然としすぎていて、好きになれなかった。自分が何が欲しくて、何を求めているのかまったくわかっていないくせに「幸せになりたい」と懇願する人の必死さが苦手だったこともあると思うけれど、例えば神社に行っても、XXが幸せになりますようにと祈るだけで、「自分が幸せになれますように」とお願いをしたことがほとんどなかった。別に大した人生を送ってきたわけではないのだけれど、自分の人生を選ぶためにいろんなものを犠牲にした気がずっとしていて、家族を含め、他人の幸せを祈るためには、自分の幸せを犠牲にする必要があるとずっと感じてた。だから、自分の残りの人生の幸せはギブアップしてもいいやとずっと思っていた。幸せの定義はいろいろあって一つに絞ることは困難だけど、自分の中のあの頃の幸せの条件の「自分の人生を選択できること」は満たしていたし、それが自分の人生の中で最優先だったので、苦しいと思うことの方が多かったけれど、納得はしていた。だから極端に言えば、それ以外の幸せは放棄してもいいと思ってた。

でも6月に日本に帰ってやっと気が付いたことは、誰もそんなことを望んでいないということ。私のこの世で最も愛する人たちは、きっと私をこの世で最も愛してくれていて、私が悲しんでいたり、苦しんでいたり、幸せでなかったりしたら、彼らの幸せも成り立たないということをやっと理解した。自分が幸せになれない上に、それを諦めても願った他人の幸せも叶わないとは本末転倒だ。    

そしてもう一つわかったことは、自分から幸せを放棄した人に幸せは訪れないということ。「彼らが幸せでいてくれるなら、自分の幸せは望まない」と祈るような気持ちでいた頃の私の日々は、それに比例する形でびっくりするほどつらかった。でもなぜかその頃、「人生を楽しんでていいねー!」とよく言われた。そういう風に言いたくなる気持ちもわかるけれど、他人の人生は他人にはわからないものだなぁとよく思ったものだ。私の人生が楽しいなら、他人の人生はどれだけ地獄なんだろう、と本当によく思ってた。言いたいことはよくわかるけれど、もうそういう風に言われることさえあの頃苦しかった。 

 もう今は、あんな風に切羽詰った気持ちで他人の幸せを祈ることや自分の幸せをを放棄する必要がないと思うと、正直に言ってほっとする。やっと心の平安が訪れた気さえする。  

そういうわけで、今自分が幸せではないと思うなら、「幸せになりたい!」と強く思い続けましょう。

なんて、当たり前のことを言って、ごめんなさい。いろいろ矛盾している気がするけど、まぁいいや。てへ。 

今日は久々に日曜休みだったので、ここ最近行けてなかった蚤の市へゴー! 今回はアルコナープラッツというところに行ってきたんだけど、その途中U7の地下鉄(U bahn/ウーバンと読む。地上を走ってる線はS bahnと言う)でコントラバスの重低音が聞こえてきた。携帯をいじるのをやめて...

今日は久々に日曜休みだったので、ここ最近行けてなかった蚤の市へゴー!
今回はアルコナープラッツというところに行ってきたんだけど、その途中U7の地下鉄(U bahn/ウーバンと読む。地上を走ってる線はS bahnと言う)でコントラバスの重低音が聞こえてきた。携帯をいじるのをやめて顔を上げてみると4人組のおじさんたちが音楽を奏で始める。トランペットとバイオリン、そしてもう1人は歌うという形で、電車の中で即席コンサートが始まる。普段は普通に会社で働いてそうな普通の人たちだったけど、陽気で楽しくなるような曲のセレクトだったので、「いい曲聞かせてくれてありがとう」という意味で、私を含め結構の人が小銭を渡していた。
 2駅くらいで彼らが下車した後は、若いスペイン語圏の人がコラソン~♪(スペイン語で心の意味)、アモール(愛の意味)、ミ・ヴィダ~(意訳:君は僕の人生そのものだ)などと、スペイン語で愛を語る上で最も欠かせないであろう言葉で切々と歌い上げる。が、残念ながら、みんな無視。ミ・コラソン~が悲しく響いたことよ。お金を払う価値があるのかないのか、ベルリーナーたちはとてもシビアだ。  
 別の日は、オーストラリアの原住民族の伝統的な楽器・ディジュリドゥをヒッピーの若者が演奏して、車両がレイブ状態。演奏が終わった瞬間、拍手、献金(と言えばいいのか?)の嵐。彼はたぶんそれで生計を立てている風だった。電車を下りる時の後姿は自信に満ちていた。
 またある日は、悲しい目をしたおじさんが、明日この世が終わるとでも言う顔でバイオリンを弾いていた。その音色はただただ悲しかった。 ベルリンは貧乏人が多いので電車の中でも物乞いに会う率が高いけれど、ただお金を請うよりも楽器でもやった方がいいだろうという考えの下、ハーモニカやアコーディオンを弾いている人ももちろん多い。あのおじさんがどんな気持ちでバイオリンを買ったんだろうかと思うと切ない。そしてどんな気持ちで音楽を奏でているのだろうかと思うとやるせない。あの時聞いた悲しいバイオリンの音が忘れられない。

 
とまぁ、人の心配してもしょうがないので、蚤の市。 
化粧の道具入れが欲しくて、古い裁縫入れが自分の好みにぴったりだなと思って探していると、こんなものを発見。


なんとも言えない気持ちになった。“1945”。この裁縫箱の持ち主だった人は、この年号をどういう気持ちで刻んだんだろう・・・。解放の喜びか敗戦の屈辱か。そうでなくても、一生忘れてはだめだと思って掘ったのだろうな。もちろん、元の持ち主の思いが強すぎる気がして、買えませんでした。

 こんな風に日常の中に、ふと第二次世界大戦のことを思い出す、もしくは考える瞬間がベルリンには少なからずあるけれど、そういう一瞬がほとんどない現在の日本にとって、第二次世界大戦なんて「いつの話?」という感じになるのも無理はないのだろうか。そりゃそんな大馬鹿野郎たちが憲法改正なんて企んじゃうよね。あれは、日本の宝物なのに。 
 

さて、北国・ドイツは昨日今日とやっと夏!!この天気が明日も続きますように! 

今日、大昔香港で知り合った友達から久しぶりにメールをもらった。どうやら9年前の今日、私は香港にいたらしい。もうあれから9年の歳月が流れたことに驚くけれど、スタンレービーチというところで、肌をこんがり焼きながらひたすら本を読んでいたことを覚えている。彼らとはそこで出会った。今回メー...

今日、大昔香港で知り合った友達から久しぶりにメールをもらった。どうやら9年前の今日、私は香港にいたらしい。もうあれから9年の歳月が流れたことに驚くけれど、スタンレービーチというところで、肌をこんがり焼きながらひたすら本を読んでいたことを覚えている。彼らとはそこで出会った。今回メールをくれた子、そして私と同じくらい陽に焼けていた女の子、それからもう1人はその女の子の恋人で体中に派手なタトゥーを入れた男の子だった。

 短い香港の滞在中、私たちは超高層ビルの間を縫うようにドライブしたり、シーフードを食べに行ったり、ビリヤードに興じたり、クラブで朝まで踊ったり、その足でそのまま朝食に飲茶を食べに行ったりして遊んだ。今なら旅先で仲良くなった人と遊びに出かけたりすることはないけれど、はっきり言ってまだ私は若かった。危機管理意識もほとんどなかったし、何も知らず、何も考えず、ただひたすらに無謀だった。 あの頃は旅先で見た景色や出会った人たちのすべてがきらきら輝いて見えた。
 
 私が初めて香港に行ったのは2004年で、中国本土への返還から10年も経っていなかった。返還の前に国外に逃げた富裕層も多かったと聞くけれど、一般の人はもちろん、“中国の一部”になった香港で生きていかざるを得ない状況だった。今後香港や自分たちの未来はどうなっていくんだろう?という不安や、それを払拭するかのような「明日なんて知らない、今を楽しまなきゃ」という刹那的なエネルギーがそこら中に満ち溢れていた時期でもあったと思う。地震大国からやって来た私には、耐震性の何も考慮されていない乱立する高層ビルたちは正気の沙汰には思えなかったし、光り輝くネオンたちは蝋燭が消える前の最後の瞬間に似てるなんて、不謹慎にも思ったものだ。 
 そういう香港の魅力にすっかりやられてしまって、恋とも呼べる情熱を持って何度も足を運んだものだった。恋とはこれまた不思議なもので、他人にとっては不快なものもむしろ喜びを持って受け入れられるものだと思う。肉屋の店先には熱帯の温度の中で異臭を放つ肉たちがぶら下がっていて、観光客はまずそれにやられてしまうけれど、私はその匂いが湿度で開いてしまった毛穴に入り込んで自分の一部になる感じさえとても好きだった。 

 私は2007年を最後に香港には行っていないので現在の香港がどうなってしまったのかわからないけれど、中国という大きな国の中の一部に取り込まれ、その姿を留めることがいかに難しいかは安易に想像出来る。香港だけではなく、私もきっと変わっただろう。いつの間にかベルリンなんて遠いところに来てしまった。そしてあの頃、まだ香港で暮らしていた友達はオーストラリアに移住してしまったし、私と同じくらい日に焼けていた女の子と全身タトゥーの男の子はもう随分前に恋人ではなくなった。私は未だにタトゥーの男の子のはにかんだ笑顔しか思い出せないけれど、その彼は3年前に自らの手で命を絶ってしまった。

香港にまた行くことがあっても、あの頃と同じ気持ちで香港を眺めることなんてもう出来ないと思うけれど、あのきらきらとした思い出をあのスタンレーのビーチで思い出すことは出来る。たぶん、それでいいのだと思う。

そういう風に世界中に思い出を散りばめながら、私はまた旅に出ます。 

ベルリン1年記念(7月2日)は、イタリア人たちと飲んでました。仕事終わりのビールはうまいっ!というより、疲れすぎて3杯でギブアップ。イタリア語にまみれながら、眠気を必死に堪えるが、午前2時にローマ帝国の話はさすがに世界史の鬼と謳われた私でさえしんどかった。そしてさらにはトピックは...

ベルリン1年記念(7月2日)は、イタリア人たちと飲んでました。仕事終わりのビールはうまいっ!というより、疲れすぎて3杯でギブアップ。イタリア語にまみれながら、眠気を必死に堪えるが、午前2時にローマ帝国の話はさすがに世界史の鬼と謳われた私でさえしんどかった。そしてさらにはトピックは「自分とは何か」的な永遠のテーマに移行する。こういう時のイタリア人はさすがだなと思う。どんだけちゃらんぽらんに見えても、自分なりの回答をやっぱり持っている。この人たちってこういう議論を思春期の頃からずっとやってきたんだろうなー。そして誰もそのことを恥ずかしいと思う人なんていなかったんだろうなー。羨ましい。 
その後、お開きムードになっていたのに関わらず、イタリア人、そこからがなげ~。店の外で一服と思いきや誰かが口笛を吹き始め、イントロクイズが始まる。平日夜中3時半だぜ。そんなことをしているうちにそれを聞きつけた近くのベルリナーたちが参戦。・・・・エンドレス。 
午前4時、やっと帰ろうとなったけれど、もう待ちきれなかった私は1人でさっさと撤退。彼らまだ話していた。イタリア人・・・どれだけ話せば気がすむんだ・・・。 


アナザ・ストーリー。本日、ブラジル人の同僚とランチを食べていた時のこと。ドイツ人ってさ、すべての選択肢をいつでも選択できるようにしてるよねという話になった。彼はそのことに激しく同意。以下、彼の経験談。
「ドイツ人と何人も付き合ったけど、本当に最悪だったよー。やつらは、自分がしたいようにするだけで他人のことなんて考えられない人が多いんだ。僕なんて、ドイツ人のボーイフレンドと付き合ってた頃、浮気されて大変だったんだから!しかも僕の誕生日に僕の親友と車の中で!それを責めた僕が逆に責められたっておかしな話じゃない?でも彼らは目の前にあるカードを選んだだけなんだよ・・・」 

って、ちょっと話し違う気がする違うけど、ひとまず、おーのー。人間とは笑顔の裏でいろんなことを経験するのね・・・強くなるのよ、フェルナンド(仮名)。 

「すべての選択肢を常に自分で選べる」それがドイツ人だとしたら、日本人はどうなんだろう?「何も選択肢がない」それとも「何の選択肢も選べない」そのどちらなんだろう。日本人にとって、人生とは選択できるものなのだろうか? 

「未来を選べ!」とは90年代の名作「トレインスポッティング」キャッチフレーズ。

未来、選んでる?
 

6月30日はドイツVSアルジェリアの試合観戦へ会社近くのアイリッシュパブへ。  母国・日本も愛するスペインももうおうちに帰ってしまったし、 一応ドイツ在住なもので今回残りの試合はドイツを応援することにしてみた。 日本はコロンビア戦を見れたけど、今回イスタンブールにいたり...

6月30日はドイツVSアルジェリアの試合観戦へ会社近くのアイリッシュパブへ。 

母国・日本も愛するスペインももうおうちに帰ってしまったし、
一応ドイツ在住なもので今回残りの試合はドイツを応援することにしてみた。

日本はコロンビア戦を見れたけど、今回イスタンブールにいたり日本にいたりでスペインの試合を1回も見れなかった。まーね、2008年から負け無しだったからそろそろ・・・という感じだったけどね。  

もともとドイツが嫌いなわけでは決してないけれど、ドイツがワールドカップだとかEUROで勝ってもなんとなく、おもしろみに欠ける気がしてならなかった今まで。 

選手の顔ぶれみてもさー。
The ドイツ人みたいな人ばっかり。スペイン人とかイタリア人チームを見たらときめくのに。 
その筆頭に、シュヴァインシュタイガーを挙げようではないか。
あの顔に、その名前! 
名前聞いただけでもうわっと思うのに(失礼)、ドイツ人の中継の人がシュヴァインシュタイガーーー!!!なんて絶叫しててあの顔が出てくると笑える(限りなく失礼) 

そして4年前から言ってるけど、ミュラーの靴下の下がってる感じが嫌。

上げて~!! 

でも監督は男前で好き♥

と、ここまで前置きを書いたところで、どれだけ盛り上げってるんだろうなーとわくわくしてパブに到着してみると、人は結構いたのに、皆穏やか~に試合を観戦。誰も浮ついておらず。 
シュートを外した時の反応とかが日本人にそっくりなことにびっくり。
私がいたパブはまさに日本の居酒屋でサッカー観戦しているサラリーマンのような反応。
ここ、ドイツですよね? 
スペイン人は、いちいちシュートを外すことに皆一斉に「うー!」と言って頭を抱えるのに。
ドイツ人、ひたすら穏やか~スペインとかイタリアで、こんな風景絶対見られない。
そのあまりの穏やかさに、私は目から鱗がぽろりという感じでしたよ。  

後半、相手チームのハンドからの絶好のチャンス到来! 
さすがに決めて~と思ってた矢先。

え? 

皆何が起こったか一瞬わからなかった。 
点は入らなかった。なぜなら、 

ミュラー、こけちゃった!! 

私、これで一気にミュラーが好きになる(単純)。そういうところ、愛しいではないか、君よ!
そうなると靴下のずり落ちもかわいく見えて・・・・来ないか。 
 
これがスペインとかイタリアなら、英語で言うFワードが飛びまくるのに、ドイツ人あくまで穏やか~
はは、そういうこともあるさ~という感じで、優しく若きミュラーを見守る。  
まー、ドイチュランドがこのステージで格下相手に負けるなんて夢にも思ってもいないから、皆余裕~ 

もちろん、最後は勝った。

そんなわけで、次回は4日。対フランス!うわ、なんておもしろいカード。
仕事してるからちゃんと見れないけど、そこは欧州。W杯中は普通にテレビ見ながら働いている。

ブンダバー!(ワンダフルの意味。この発音がアグリーすぎてまた笑える) 

 

7月1日でドイツに来て、1年が経つ。(ベルリンに到着したのは7月2日だけども)ベルリンに来る前も、ベルリンに来てからも、「なんでベルリンなの?」と聞かれることがよくあるけれど、はっきり言って、理由はない。  寝ても冷めてもロンドンと言い続け、あんなに恋焦がれたUKなのに、ユース...

7月1日でドイツに来て、1年が経つ。(ベルリンに到着したのは7月2日だけども)ベルリンに来る前も、ベルリンに来てからも、「なんでベルリンなの?」と聞かれることがよくあるけれど、はっきり言って、理由はない。
 寝ても冷めてもロンドンと言い続け、あんなに恋焦がれたUKなのに、ユースモビリティビザ(他の国で言うワーキングホリデーのこと)の抽選漏れの憂き目に合い、だったらフランスかなー、パリはいつかは住んでみたいと思ってたし。でもビザの申請が複雑すぎる、大阪までビザを申請に行くのも面倒すぎる、と延ばし延ばしにしていた矢先、フランスワーキングホリデーの申請要綱が突如変更になり、パティシエや料理人等の専門職以外の人は応募出来なくなり、だったらドイツかー、ドイツかー、ドイツなのか?という感じでドイツに来た。
そもそもドイツという国に微塵も興味がなく、むしろドイツ人なんて結構苦手だったし、ワールドカップの試合等でドイツが勝っても「おもしろくない試合しやがって」と言う様だった。でも「ドイツであってドイツではない」というベルリンにはいつか来たいと思ってたし、というよりThe ドイツという街(ミュンヘンやデュッセルドルフやフランクフルトのこと)には住みたくないと思っていたので、完全に消去法でベルリンに来ることを決めた。 
が、来るや否や、即座にベルリンに恋に落ちた。季節がよかったのかもしれない。6月以前、9月以降にここに来ていたら毎日灰色の雲が垂れ込めるこの街を嫌いになっていたと思う。
 それでもやっぱりお金もなかったし、ドイツ語も当然話せなかったし、勉強する気もなかったので、2ヶ月くらい滞在したら否応無しに日本に帰国せざるを得ない状況だった。その時29歳で、30歳を区切りにワーキングホリデーのビザは取れなくなるし、大陸を跨ぐ引越しを繰り返していたのでそういう生活に疲れ果てていた頃でもあったので、これが最後の海外遠征だろうと思っていた。
 10月、当たり前だけど、見事にお金がなくなった。そろそろ帰国しなきゃな、でもベルリンが好きだな、まだここにいたいなぁと思っていたところ、偶然仕事が見つかった。さらには就労ビザも下りた。他人から見てどう見えるのかわからないけど(ある程度は想像付くけれど)、もちろん楽しいことばかりじゃなくて、こないだ日本に帰る前なんて、「もう日本に帰りたい!!」と思うほど落ち込んでいて、日本に帰ることが目前まで見えて来てたのに、日本に帰ったら帰ったでまさかの失恋騒動で、日本に帰る機会をこれまた逃す。そしてまだベルリンにいる。 
こないだこの話を友達にしていたら、「それは自分で出せなかった答えを目の前に“はいっ!”って出された感じだね~」と言われた。私はこっちに家族がいるわけでもないし、まだまだ自由が効く身なので、どこで暮らした方が自分にとって1番良いか常に迷っている。
 でもきっとそれはベルリンなんだと思う。
 夏なんて犬の糞で匂い立つし、おかげで蝿も多いし、道路はがったがたなのでハイヒールなんて履けないし、誰がどう見ても美しいという街ではないし、6月も終わりだと言うのに普通に寒いし、首都なのに欧州の優等生・ドイツのお荷物的立場で貧乏で、それでもベルリンが好きだ。
「自分の人生なのに、好きなように生きなかったら意味ないじゃん?」という自由な雰囲気も、多様性に富んでいるところも、なんとなく残念なところも、心の底から光に憧れる感じも、暗い過去も未来に向かって進んでいくその様子も、そしてどこかさみしいところも。 
私のタイプの男性像に似ているからかもしれない。私のタイプの男性は「尊敬できる人」ではなく、「尊敬できない部分を見た時にそれでも愛せる人」だった。ベルリンは私にとってまさにそういう街だと思う。あーここが残念!でもむしろそこが愛しい!というような。それでもベルリンが私をいろんな悩みや煩悩から解き放ってくれた部分はとても大きく、あんなにいろんな国に住んでみたいと思っていたのに、もうこの街以外に住みたいとは思わなくなった。それはたぶんロンドンでもパリでも東京でもなくて、私にとってはベルリン以外の都市では有り得なかったと思う。
 

あの時やっぱりこうしておけばよかったと思うこともいっぱいあったし、日本を出たことが自分にとってよかったのかはやっぱり今でもわからないけれど、“旅行”という小さな意味ではなくそれ以上に“経験”という意味で、日本を出てから見てきたいろいろな景色を見なかった方がよかったとはやっぱりどうしても思えない。そう思えた時、やっとそれ以前の過去を否定する必要もないとわかった。でも勘違いしてほしくないのは、日本を出た方がいいと言っているわけではなくて、私にとってそれが大きな転機だったという意味以上はない。目の前にあるものを愛せる人はやっぱりとても幸せなことだと思うから。反対に目の前にあるものを愛せなくて苦しかったら、出て行ってもいいと思う。日本というくくりではなくても、職場でも今住んでいる場所からでも、その環境から。ベルリンがあなたを待っているかもしれない、いないかもしれない。でもここはホープレスたちが夢見ることが許された場所です。 

 いつかビザ問題や、今以上に打ちひしがれたり、いろんな事情でどこか違うところに移住することもあるかもしれないけど、今は世界で最も愛する街に住めてやっぱり良かったと思う。

さて本日は親友の誕生日。いつもにこにこしてる彼女。これからももっともっと幸せでいてね!

ベルリンへ帰る前日、ちょうど日が沈む頃、筑後川を見に行った。私は筑後川のほとりで育ったからか川が大好きで、やっぱり世界中いろんなところに行っても筑後川を臨む風景以上に好きなものはこの世にはないと思う。夕陽が水面に反射してきらきらと光る様子や、河川敷で少年達が野球をしている風景、繋...

ベルリンへ帰る前日、ちょうど日が沈む頃、筑後川を見に行った。私は筑後川のほとりで育ったからか川が大好きで、やっぱり世界中いろんなところに行っても筑後川を臨む風景以上に好きなものはこの世にはないと思う。夕陽が水面に反射してきらきらと光る様子や、河川敷で少年達が野球をしている風景、繋がれた船たち、それからもうすぐ海に辿り着く感じがたまらなく好きなのだ。 

海も好きで、あの身に纏わり付くような湿気や、濡れた砂の不快感、それから波の音、それらもどうしようもなく好きだけど、海がない場所には住めても、川のない街に住みたいと思ったことはない。

もう立ち上がれないと思った時、私はいつも筑後川を見に行っていた。今後の人生のために大きな決断をしないといけなくて、それが正しいのかさえわからなかった時、昇開橋と呼ばれる赤い橋を見ながら、一人でずっとOasisを聞いていた。もう思い出したくもないシンガポール時代、1番懐かしいと思っていたのも筑後川のその風景だった。 

「川が好き」と人に言うと、山の方にある清流と勘違いされるのだけれど、正直に言ってそういう川に私は興味がない。きれいだなとは思うけれど、魅力を感じない。私はどちらかと言うと、下流の川が好きだ。山の奥で川が発生して、いろんな街を通って、すべてを飲み込んで、汚れてもただただ流れて行く、そういう川のただずまいが好きなのだ。世界に何が起こっても、私が悲しんでいても、100年前も100年後もそこを悠々と流れて行く様が好きだ。   

それは人の一生に似ていると思う。嬉しいことや楽しいこと、悲しいことがあって、時には汚れることも必要だけど、すべてを飲み込んでただただ流れて行く。でもきっと、何もなかったことにはならない。もう見えなくなっても、濁流に飲まれて二度と浮かんでこなくても、それがなかったわけじゃない。  

私は、この風景を人生であと何回見ることが出来るのだろうか? シュプレー川も愛してるし、メルボルンのヤラ川も好きだった。プラハのモルダウだって見たし、いつかはブエノスアイレスのラプラタ川も見てみたい。でもやっぱり筑後川の力強い美しさには敵わない。それは自分が生まれてからずっと見てきたものだから。そしてどこにいても帰れる場所だということも今はやっと理解出来た。  

来年も、また帰ってくるね。

 “And all the roads that lead to you were winding
And all the lights that light the way are blinding
There are many things that I would like to say to you
I don't know how

I said maybe
You're gonna be the one who saves me ?
And after all
You're my wonderwall”

-Oasis Wonderwall より 

日本へ2週間帰国していたので、いろいろと書くことはあるはずなのに、まさかの最終日から!笑  ** 日本への帰国最終日は、陶器で有名な有田へのショートトリップをした。せっかくの帰省中だというのに、とあることがきっかけで後半はまったく元気が出なかった。 まー、はっきり言って...

日本へ2週間帰国していたので、いろいろと書くことはあるはずなのに、まさかの最終日から!笑 

**
日本への帰国最終日は、陶器で有名な有田へのショートトリップをした。せっかくの帰省中だというのに、とあることがきっかけで後半はまったく元気が出なかった。

まー、はっきり言って、失恋です。かなり複雑で、ふざけた話で、何を今更言ってやがるんだ馬鹿野郎と思われることを覚悟で言わせてもらうなら、私は日本にいる人がずっと好きだった。20代の前半からずっと付き合っていた人だった。勝手に日本から出て行って、スペイン、オーストラリア、シンガポール、そしてドイツ、いろんな国に行っていろんな人に出会ったにも関わらず、さらにだいぶ前に別れたというのに、私は結局その人が好きだったのだと思う。

私はもう日本に住んでおらず、ここ数年新たな日本での思い出がないためか、日本に戻ってくると3、4年前のまま時が止まってる。有田までの道のりでも、好きな人とこの道をよく通ったなぁ、あの時彼がこんなこと言ってたな、私はけらけらとくだらないことで笑ってたなとか本当に鮮明に思い出しては泣ける。部活動に向かう野球少年の後姿を見ては彼はきっとこんなんだったんだななどと思ってまた泣けた。あまりの鮮明さに眩暈がするほどだった。 

有田はドイツのマイセンと姉妹都市でもある程、焼き物が有名で、古い町並みが残されていて、私と姉はドイツの友達へのお土産を買ったり、写真を撮ったりした。翌日に帰るドイツでの2年目の生活が始まろうとしていた。ベルリンでまたがんばろうと思う反面、さみしさや愚かな自分への後悔や、いろんな感情が混在している感じだった。

ある程度の買い物を終え、焼き物が並ぶ通りから1本奥に入ったところに神社を見つけた。とても高い石畳の階段を昇る必要があったし、とても暑い日だったので、姉と上に昇る必要はないねと話していた。祖母の家にも行く予定があったので、そろそろ行こうかと言った矢先、私はどうしても階段を昇ってみたくなった。あの先には何があるのか、見る必要があると思った。私は10cm以上のハイヒールを履いたまま、石段を登った。かなりよろけながら。

そこにその風景はあった。有田焼きで作られた珍しい鳥居と獅子舞、飾り気のない本堂、それから飲み込まれそうな深い緑。振り返ると、有田町が一望出来た。私は、感動した。私は、この階段を昇るべきだった。もしここに有田焼の鳥居がなくても、私はきっとがっかりはしなかったと思う。

私は小さい頃から、好奇心が旺盛で、自分の目で確かめないと気が済まない人だった。何冊も何冊も本を読んでも、自分の目で見ないことは信じられない人だった。だから、私は日本を出たのだと思う。そこに何があるのか、ただ見たい人だった。その一方で、この数年は「外の世界を知らなければ、私は幸せでいられただろう」と思う日々でもあった。いつまで経っても上手にならない英語や、メンタリティの違い、仕事・・・うまくいかないことばっかりだった。この苦しさを選ぶために、大好きだった彼との日常を捨てたとしたら、人生とはなんと滑稽なことだろう。そして私は自分の人生を選ぶために、彼をとても傷つけたこと、苦しめたこと、それを心の底から後悔していた。思い出す彼の姿は、いつも苦しそうだった。 
 私が外国になんて憧れなければ、望まなければ、犠牲にしなくて良いものがあった。何かを選ぶ時には、すべては選べない。そしてその自ら犠牲にしたものが自分の内面を食いちぎりそうなくらい大きくなっていたことも私は知っていた。前に進んでるつもりで、ただぐるぐると同じところを回っているだけだった。
 でも、この景色を見た時に私は悟った。私はここに来るべきだった。その他の選択肢は有り得なかった。階段を昇った先に何も無くても、私は昇らざるを得ない人なのだ。人にはどうでも良い景色だったかもしれない。でも私には意味があった。 
 
 なんだかとても大きな収穫をしたような気持ちになって、いつもより大金のお賽銭を献上し、彼の幸せを一生懸命祈った。彼1人で幸せになれないなら、彼の今の相方も幸せでいてくれますように。そうお祈りして、帰ろうと振り返った瞬間に、私はやっと気が付いた。 
 自分が苦しくても、いつも私のことを思いやってくれていた彼が、私が私の生きたい道を選んだからと言って、私を恨む筈がなかった。“犠牲”という言葉を使っていたのは、私の自分に対する後悔なのだとやっと気がついた。誰も私の人生のために存在していない、誰も私の人生の犠牲になんかなっていない。彼は彼の人生を生きているだけだ。私が悲しんでも、彼を悲しませるだけだろう。彼はそういう人だった。そして彼が悲しいとき、私もやっぱり悲しかった。

有田からの帰り道、相変わらず彼のことを思っていた。彼もこういう気持ちでこの景色を見ただろう。彼が受けた痛みに比べたら、私のこの痛みなどなんでもないけれど、彼が見た景色を見れてよかった。私はそれを嬉しいとさえ思った。そして、もうこれ以上、同じ景色を見ることはない。一つの景色も。 

私の7年間、そしてその中での幸せだった数年間。「その記憶を死ぬまで忘れることはないと思う」との彼の言葉に、私は何を悲しむ必要があるのだろうか?どうか彼が、彼の太陽に焼けた腕に子犬のようにまとわり付いていた楽しそうだった私をどうか覚えてていてくれますように。 

彼と別れてからは、「彼みたいな人にもう一度出会えますように」と思っていたけれど、今はもう誰にもそれを望まない。それは意味のないことだ。 
私自身が彼のように優しい人になれますように。私の思考回路のすべてを支配していた、私の隣でいつも笑っていたあの男の子。幼い2人が記憶の中で、幸せに笑っていますように。 

ありがとうと言ってくれてありがとう。働きすぎないで。 私も、もう行くね。 

ここ数日、とても温かい日が続いていたベルリン。一週間前まで平気で厚手のジャケットやタイツを着ていたのに、ここ一週間は日中はノースリーブ、夜もカーデガンがあれば平気というくらいに気温が上がっていた。昨日は雨だったにも関わらず、薄着で良かった。 今日もベルリンは雨だった。昨日の天...

ここ数日、とても温かい日が続いていたベルリン。一週間前まで平気で厚手のジャケットやタイツを着ていたのに、ここ一週間は日中はノースリーブ、夜もカーデガンがあれば平気というくらいに気温が上がっていた。昨日は雨だったにも関わらず、薄着で良かった。

今日もベルリンは雨だった。昨日の天候ことも鑑みて、ミニのワンピースを着用。ちょっと寒そうだなと思ったものの、昨日まで温かかったし、今の時期にライダースなんて着てたらおかしいよね・・・と考えの下、素足にドクターマーチン、薄手のパーカーを羽織って出勤。 

外に出て、気がついた。誰もこんな格好していない。皆薄手のコート、普通に冬の格好に戻っている。会社に行って、言われた一言。「ねぇ、寒くないの!?」もちろん、かなりびっくりした顔で。


「今の時期にライダースなんて着てたらおかしいよね・・・」と考えた私だったけれど、今日の気温であんな格好してた私がよっぽどおかしかったようだ。

しかし、日本人ならばこの感覚、わかってもらえると思う。びっくりする程の正確さで四季があり、1日に天気が変わりにくい日本は『衣替え』の日を設ける国なのだ。そして私、この衣替えの習慣が結構好きで、日本にいた頃はかなり準じていたものだ。新しい季節を迎える儀式とでも言うか。

ベルリンもメルボルンもマドリッドも、日本のように正確な四季はない。昨日まで熱いと思っても今日は極寒だったり、その逆も然り。自分で天候をチェックして、自分の体調に見合った服装をする、それがこれらの都市に住む人たちの心得だと思う。

服装なんて自分が好きな服を着ればいいと思うし、私の服装なんて露出もばんばんしてるし、他人の目なんて気にしないけど、長年染み付いた習慣や感覚って本当に抜けないんだなと再確認。
なんだかとても新鮮な驚きだったし、こっちに住んでいる以上、今後はこちら方式になるとは思うけど、日本の四季、恋しいなぁ。ベルリンなんて、いきなり夏になるし、いきなり冬になるものね。日本人のおしゃれ魂がすごいのはこういう四季の移り変わりも関係しているのかもしれないなぁと思った。そういえばシンガポールに住んでた頃、季節が変わらなすぎておしゃれへの意欲が根こそぎ削がれたもの。

日本人はこういう風に四季を大事にするんだな、ということと、日本はすべてが決められており、なかなか自分で考える必要のない社会になっているんだな~と2サイドの面を見た1日でした。 


2012年が終わろうとしていた。私は1人でクアラルンプルに来ていた。とても疲れていて、打ちひしがれていて、幸福でもなかった。これまで自分が見てきたものや、信じてきたものがまったく意味を成さないものだとわかり、途方に暮れていた。  せっかく気晴らしに旅行に来たというのに...




2012年が終わろうとしていた。私は1人でクアラルンプルに来ていた。とても疲れていて、打ちひしがれていて、幸福でもなかった。これまで自分が見てきたものや、信じてきたものがまったく意味を成さないものだとわかり、途方に暮れていた。
 せっかく気晴らしに旅行に来たというのに、喧騒と混沌のクアラルンプルで、私は何もしなかった。人との関りを絶ち、観光もせず、ただぼんやりとしていた。不愉快な湿気と大気汚染、むせ返るような不衛生な食べ物の匂い。モスクの近くにいけば、コーランの放送が聞こえてくる。咲き乱れる原色の花々に心を奪われたかと思うと、垂れ流された尿の放つアンモニア臭に鼻をつまむ。腐れかけた食べ物の匂いも幾度と無く私をうんざりさせた。大都会クアラルンプルはまだまだ発展途上にあった。中心部の一部の繁栄とは対照的に、まだまだ開発されていない場所は多い。人の目もどこか原始的な光があるように思えた。

 私はずっと人を見ていた。ごみの山の中から“食べ物”を漁る男性。かつて食べ物だったその物質は、この気温の中で腐敗しているに違いない。“Ellegant is an attitude”というフレーズが書かれた高級腕時計の看板の前でお金を乞う人。群集の無関心。とりわけ印象に残ったのは、浅黒い肌、黒い髪のマレー系マレーシア人の容姿の中に目が覚めるような青い目を持った青年。英国統治時代のこと、その血、その歴史を想像する。どういう過程を経て、この美しい青年は作られたのだろう、なんてそういうことばかりに気を取られる。もしくはミドルエイジの白人男性、そしてきっと彼の愛人であろう年若いアジア人男性。2人は幸せそうだった。私は、ツインタワーやマレーシアの発展、アジアの放つエネルギッシュさ、ましてやビジネスチャンスなどに興味はなく、そんなことにしか興味がなかった。きっと、他人は目も留めないことに違いない。  

 私の目に映るものはマレーシアの本質ではないだろう。断片すぎるし、視野が狭すぎる。そう言われるだろう。だけど、人は自分の目でしか世界を見ることができない。それは素晴らしいことでもあり、そしてやはり悲しいことだ。しかしそれを信じることができなくなったら、人はどうやって生きていけばよいのだろう?

***********

2014年5月27日追記
2013年1月の日記は、上記で終わっている。答えが何も見つけられなかったから、最後まで書ききることさえ出来なかったのだろうと当時を振り返る。

今なら、「あなたはあなたであって、他人が望むものを見る必要はないし、自分が見えるものを見ればいい。そして人は残念ながら、そしてあくまでいい意味で、自分の目でしか世界は見えない」と言ってやりたい。そしてそれは、今の私にも言ってやりたい言葉である。  

*泥の川の交わる場所・・・クアラルンプルの意

もうすぐクリスマスですね。皆さんどうお過ごしですか?欧州は皆、クリスマス気分で浮かれています。というか、クリスマスを過ぎると楽しみがないので、クリスマスに全力を捧げるらしい。しかし門松クリスマスリース 然 り、ドイツのクリスマスデコレーション、やっぱり残念!“洗練”とは程遠い...

もうすぐクリスマスですね。皆さんどうお過ごしですか?欧州は皆、クリスマス気分で浮かれています。というか、クリスマスを過ぎると楽しみがないので、クリスマスに全力を捧げるらしい。しかし門松クリスマスリースり、ドイツのクリスマスデコレーション、やっぱり残念!“洗練”とは程遠い国なのね。

最近、イタリア語をひたすら毎日聞いているので、一年後にはイタリア語がしゃべれるようになるんじゃないかとすら思っている。リスニングはとっても鍛えられそう。いつかはフランス語とイタリア語も話せるようになりたい!と思っていたくせに、まったく興味のないドイツ語を勉強しないといけない羽目になるなんてね・・・。人生とはわからないものですな。

私、実はなんだかんだで、一番好きな国はイタリアなのではないかと思っている。スペイン、フランス、イタリア、この3カ国は自分の中の黄金のトライアングル。イギリスブームな時もあったけど、やっぱり南欧の雰囲気が好き(なのに正反対なドイツ在住)。特にイタリアの田舎の風景を見ると、なんとも言えない気持ちになる。これは好きという気持ちでは言い表せない。もっと別の感情だと思う。人が温かそうとかそういうことより、あのなんとなく悲しくて寂しい感じが佐賀に似ているからなのかもしれない。

 最近イタリア人と話すことが多いのでいろんな話をするけど、皆口を揃えて言うのは「自分がイタリアンであることをプラウドに思う。だけど、今のイタリーには戻りたくない」ということ。「マムは恋しいけどね!」と言うところがなんともイタリア人らしい。

 日本人とイタリア人って何も共通項目がないのではないかというくらい対極の国民性だと思われがちだけれど、実は案外似ている。20歳過ぎても親と暮らすことが普通なこととか、政治がクソなところとか、ファッション命なところとか、表面、体裁へのこだわり具合とか、思考回路がドメスティックなところとか、食へのこだわりとか、本質を見失うあたりとか。日本人はドイツ人と似てると思っている人が多いけれど、実は根本のメンタリティはイタリア人と似ていると私は思う。
今のイタリアは、政治は腐敗しきっているし(やっぱりマフィアは健在のようで・・・)、今のイタリアには職がないとイタリア人たちが揃って嘆く。ジュリアス・シーザーが泣きますよ。かつての繁栄はいずこへ(それはスペインもそうだけれど)

 そんなこんなで大量のイタリア人が世界へ流失。オーストラリアもわんさかいたし、ベルリンにもわんさかいる。イタリア男ほど信用ならない人種もそうそういないけれど、それでも憎めないイタリア人たち。

 そろそろ、イタリーが呼んでるぜ!

クリスマスからは大学の時の友達が、そしてニューイヤーの時はオーストラリアで知り合ったフランス人の子がちょうどベルリンに来るというので久々の再会。大学の友達とはひたすらしゃべる。大学時代はよく遊んでたなぁとしみじみ。 いやーしかしフランス人女性 4 人はぶっちゃけし...

クリスマスからは大学の時の友達が、そしてニューイヤーの時はオーストラリアで知り合ったフランス人の子がちょうどベルリンに来るというので久々の再会。大学の友達とはひたすらしゃべる。大学時代はよく遊んでたなぁとしみじみ。


いやーしかしフランス人女性4人はぶっちゃけしんどかったー。20代半ばっていう若さも手伝って、えぇ!??みたいな自由さ、勝手さ。いい子たちだったけど、ちょっと疲れた。だからフランス人男性があんなに優しくなるんだな、そしてだから女性はさらに自由に出来るんだな。日本なんて・・・女性が心優しいものね。

先日は皆で、Zoo garten付近にあるクラブへ。普段こっち付近には行かないから興味津々。蓋を開けてみると。

ベルリンには珍しく、皆きちんとドレスアップしているではないか!そしてベルリンには珍しく夜景が見えるクラブ!まるでシンガポールのクラブのようだ!音楽も最先端のポップミュージックだ!ライトもきらきら!というかぎらぎら!
私が好きだったかと言うと。

答えは、ノン。ガキばっか。おねーさんこう見えても(欧州では私でさえ若く見える!)30歳だからガキの相手はしてられないの。でも心配は無用でした。

まったく話しかけられなかった。そもそもなんだか場違いな感じが漂ってたのだろう。それになぜかイケイケのアジア系が多かった。黒髪のストレートで、ボディコンシャスで・・・ド、ドラッグクイーンじゃないんだよね??という化粧の濃さ。ベルリン在住じゃないと思う。間違いなく旅行者。女性はかなり最先端のファッションに身を包んでいたね。でも・・・私には魅力的に思えなかった。男性たちも、だっせーと思ってしまったわ。クール!じゃないんだ。ファンキーでもないんだ。音楽も、流行の音楽が流れていて、なんかどこにでもあるクラブという感じ。ベルリンのクラブは東側にあり、というけれど本当にその通り。

しかし私よ。きっとこれが普通なんだ。メルボルンのクラブもこんな感じだったことを思い出す。私があまりにもベルリンに慣れてしまったんだな。これはもし今後違う国に住むことになったら、困るだろうなと思った。

なんて。最近は夜遊びをほぼ卒業してしまったから、ベルリンのクラブを語る資格はないのだけど。 

 その一方で、私はこういうライトが昔から好きな女の子だったことを思い出した。きれいにお化粧してドレスアップして、スノビッシュな雰囲気を漂わせ“たい”女の子だったな。少なくともそれに憧れてた。でもこういうけばけばしいライトにもう未練はないなと思った。

今は、すごくリラックスできる環境で生活出来ていることに感謝したい。あのパーティーガールとして名を馳せたケイト・モスだって最近は菜園にはまっているというし、時は流れるね。人間は年を取るね。 

ちょっと嫌なことが重なって、自分はなぜこんなにもだめな人間なんだろうと思って落ち込んでいます。久しぶりにこんなに落ち込んだ。シンガポールでメール誤送信して、大問題になった時以来(え?)。そういうこともあったな。あの時は大げさに言うともう死んでしまいたいとまで思ったけど(別に企業秘...

ちょっと嫌なことが重なって、自分はなぜこんなにもだめな人間なんだろうと思って落ち込んでいます。久しぶりにこんなに落ち込んだ。シンガポールでメール誤送信して、大問題になった時以来(え?)。そういうこともあったな。あの時は大げさに言うともう死んでしまいたいとまで思ったけど(別に企業秘密や顧客情報流失させたわけじゃないけど)、案外人は忘れるものだな。そのシンガポールの夢見たからこんなに嫌な気分なんだろうか。 

でも今日はちょっとしたことから一気にいろいろ思い出してすごく憂鬱な気分。あるよね、そういう時。こんな誰も幸せにならないブログ書いて申し訳ないけど、書いたらすっきりするかな、と思って書き始めました。

30年自分と付き合ってるけど、自分の嫌なところなんて全然なくせてないし、いやだなーとずっと思っているのに10年以上同じことで悩んで、いい加減にしろよ、私、と自分でも思う。過去から学べる人が羨ましい。でも1つだけ言えることは、自分からは人間は逃げられないということ。向き合っていくしかない、克服していくしかない。だけど、なんかもう疲れちゃってね。

初めて日本への帰国を考えた。世界で一番好きな街に暮らしているのに、どうしてこうなっちゃうんだろう。世の中には完全とはないのだな。
 でも帰国して、それこそどうするつもりなの?と自分に問うてみたら、それこそ答えが出なかった。でももう私はいろんなことをしてきたし、自分の限界も見えたし、今後日本に帰ってもある意味で納得して暮らせるのかな、とも思う。心平安に暮らしたい。

でも「疲れた」からという理由ではなく、もっと前向きな理由で帰国したい。

女子力第二段。今度は少し違う視点から。  『本質の対義語は“現象”だってさ。』というエントリーで、「“女子力”をドイツ人が理解出来るか置いといて」と書いた。間違いなくドイツ人はこの概念を理解出来ないと思ったから(あくまで国民性の一般論として書いています)。  もしかしたら、...

女子力第二段。今度は少し違う視点から。 

『本質の対義語は“現象”だってさ。』というエントリーで、「“女子力”をドイツ人が理解出来るか置いといて」と書いた。間違いなくドイツ人はこの概念を理解出来ないと思ったから(あくまで国民性の一般論として書いています)。
 もしかしたら、イタリアにいるイタリア女性ならこの感覚は理解出来るのかもしれないなと思う。イタリア女性も“The 女!”でいることが好きだから。スペイン人も女性らしいとは思うけれど、おしゃれにかける情熱が欠けると思うから、“女子力”は理解出来ないと推測する。 

女子力のなんたるや、イマイチわかってない私ですが・・・
はっきり言って、この感覚はコンサバティブ(保守的)です。 

自分が女性らしい格好が好きだったり、爪をキレイにしてたり、料理が好きだったりするには別にコンサバティブだとはまったく思わないけれど、社会全体がそれをもてはやす風潮にあることに違和感を覚える。女子力って結局「女子は女子らしく」ということでしょ? それってコンサバティブ以外に何かある?イタリア人なら理解出来るかも・・・って書いたのは、彼らがコンサバティブだからです。 ドイツも南の方に行けばカトリック色が強いから、「女性は家庭に入ったほうがいい」という考えが残っているらしい。「女性は女性の役割を・・・」と考えるのはやっぱりコンサバティブだと思う。ベルリンは、社会主義だった東ドイツ色が強い街なので、あくまで男女は平等。

そういうことも影響してか、ベルリンはすごくニュートラルな人たちが多いので、「女子は女子らしく」なんて考えはあまりないように思う。そもそもゲイ、レズビアン、トランスジェンダーがたくさんいるのに、「女子は女子らしく」って無理ってものだろう。ゲイの方が乙女だったり、レズビアンの方がマッチョだったり、「まーそういうのもあるよね。」という感覚で生きていないと他人を温かく見守れない。とは言いつつ、私はマッチョな女性が結構苦手で、「女子は女子らしく」という概念を取り払った女性たちを見て、肩を落とすというかうなだれることも多い。

ここは自分が自分らしく生きることが許容されている都市なので、社会全体がそういうブームを押し付けてくることはないし、自分が自分らしく生きることを求める人たちが多いので、そういうブームがもしあったとしても、「うーん、自分のスタイルじゃないなぁ」と言って、拒否するだろう。よって、ベルリーナーたちに女子力は支持されないだろう。

そもそもドイツ人からしたら、女性らしさがあるないに関わらず、性別は女性でしょ?というポイントを指摘される可能性だってある。以下、推測および妄想の会話たち。 
料理なんて僕がつくるし、最悪デリバリーでもいいしね。料理なんて出来なくても君は自立した女性なんだし、いいんじゃないかなぁ。あ、化粧なんてしたら、肌に悪いよ、化粧を落とす時の水が海洋汚染に繋がるかもしれないし。化粧してもしなくても君はきれいだよ。え?飲み会の時に料理を取り分ける?いやいやいいよ、だって僕がどれくらい食べるか君しらないでしょ、ていうかそんなの自分でやれるよ。君は自分のことを考えて。日本では、料理を取り分けることが女性の気遣いって言われてる?へー。料理を取り分けるしか出来ない女だったらどうするのさ?ていうかそもそもドイツでは大皿をシェアすることなんてないから、そういう女性の出番はないね、残念だね。

とまぁ、こういう会話が繰り広げられるかは私にもわからない。あくまで推測および妄想です。   

1つ言えることは、女子力が流行っている限り、男女平等な社会なんてやってこないでしょうね、我が国には。誰かそれ、望んでるの? 

やーっとここに辿り着きました!脱線しまくりで、なかなか書けなかった“女子力” について! が、しかし。女子力って、移り変わりの早い日本ではまだインな言葉なのだろうか?私が日本に住んでいたのはかれこれ3年前なので、流行に追いついていなかったらごめんなさい。  あなた、女子力...

やーっとここに辿り着きました!脱線しまくりで、なかなか書けなかった“女子力” について!

が、しかし。女子力って、移り変わりの早い日本ではまだインな言葉なのだろうか?私が日本に住んでいたのはかれこれ3年前なので、流行に追いついていなかったらごめんなさい。 

あなた、女子力ありますか?

が、しかし。そもそも女子力ってなんなの?「女性らしい」って言葉じゃだめなの?
とは言ってみたものの、私でさえ“女性らしい”と“女子力”には大きく隔たりがあるのがわかる。 
前者の響きがたおやかであるのに対し、後者はなんというかフレッシュ感というかきゃぴきゃぴ感というか?

友達に聞いてみたところ、「ネイルをちゃんとやっていたり、お料理をちゃんと作っていたり、かわいいチューハイ飲んでいたり(え?)」すると、「女子力高いね~!」と言われがちなのだそう。

いえーーす!
私、ベルリンでもちゃんとネイルやってます!デコラティブなやつは服装に合わないし、そもそもベルリンでは逆にださく感じるので、ほぼ黒に近い赤を単色塗りしてます! 

料理? ふふふ。
毎日作ってるわよ? お肉を食べないだけではなく、化学製品はほとんど食べないと決めてるの。

かわいいチューハイ・・・は、そもそもベルリンにないから、すっ飛ばしましょう。だって、ベルリンにはないんですもの!

後はなんでしょう? 
メールを打つ時に絵文字がかわいいとか?いいえ、私は絵文字なんて使いません!なぜなら日本人として、私には美しい日本語を守るという義務が・・・あぁ、なんて愛国心に満ち溢れているんでしょう!

あ、中学校の休み時間「XXちゃん、トイレ行こっ!」とよく聞いてたとか? 

・・・・。

『過ぎたるは及ばざるがごとし』とはよく言ったもので、こだわればこだわるほど女子力からは遠い気がする。(そして最後のトイレのくだりはふざけすぎました。ごめんなさい。そして私は、こういう質問をされた時、「??いきたきゃ行けばいいじゃん?」と思う人だった。)そして黒いネイルはむしろ女子力を下げる気すらする。  

私は、きちんとお料理も作るし、身なりもきちんとしてるのに「女子力が高い」と言われたことはない。「女子力」とは料理を作る、身なりをきれいにする等々の先にあるものなのか、もしくはそれ以下の場所に位置しているのか私にはわからないし、心の底からどうでもいい。 

私にとって料理をすることは、自分の体に嫌なものを入れたくないからという理由だし、身なりをきちんとしているのは常に自分が自分に納得していたいから。私は怠ける自分が嫌いなのだ。 

本質を失った女子力の話ではないけれど、女子力を追い求める人たちは自分が何が欲しいのかわかっているのだろうか?求める自分、なりたいと思う自分がわかっているんだろうか? 

私は人は基本的に「なりたい自分」のビジョンを持つべきだと思う。そうすることで、やった方がいいこと、やらない方がいいこと、そういうのがクリアになるからだ。自分として生まれてきて、悲しいことにも嬉しいことにも自分は自分にしかなれないのだから、自分と向き合っていくしか道はない。

 若いうちはいいと思う。ただ、もっと年を取った時に、自分のなりたいビジョンがないと、無駄な情報やどうでもいい人の意見に惑わされて、何がなんだかわからなくなりそうな気がするのだ。その時はもう誰のせいにも出来ない。そしてきっとそういう人は自分で責任も取れない。   

女子は女子であって大いに結構。女性は美しくあってほしい。あくまでもその人がそれを望むなら。 
ただ“女子力”という陳腐な言葉に惑わされて欲しくないだけなのだ。 

先日日本に住んでる友達の男の子から「彼女と別れちゃってさ~」というメールをもらった。要約すると、九州と東京の遠距離恋愛の果てに彼女から「自分はまだやりたいことがあるし、東京を離れる気はない」ということで、別離に至ったのだそう。この話を聞いていろいろ思い出すことや、考えることがあっ...

先日日本に住んでる友達の男の子から「彼女と別れちゃってさ~」というメールをもらった。要約すると、九州と東京の遠距離恋愛の果てに彼女から「自分はまだやりたいことがあるし、東京を離れる気はない」ということで、別離に至ったのだそう。この話を聞いていろいろ思い出すことや、考えることがあったので今回はそれについて。

実際その彼女と会ったこともなければ、詳しい情報も聞いていないのに、彼からもらったメールの中の彼女の印象が「とても自立した女性なのだろう」というものだった。聞けば私の勘は当たっていたようで、海外経験も豊富な女性だったのだそう。そういう女性であれば、前述したように「自分はまだやりたいことがあるし、東京を離れる気はない」と言っちゃうよなぁ、と思った。私の年代(30歳以上)で恋人と別れる理由で多いものが、「彼が結婚を決断してくれなかった」というもの。結婚のために、恋人と別れる人って多い。日本社会でもはや生きていないため正直この感覚は私には理解出来ないのだけれど、前述した女性のようなタイプについては、すごく理解出来るし、共感すら覚える。

なぜなら、私もそうやって大好きな人を切り捨てて、日本を離れたから。 

私は彼のために数年日本にいて、彼のことが大好きだったからその時はそれでいいと思ってたけれど、それと同時に自分の求める人生はこれじゃないということもわかっていた。葛藤の末、ある日私は日本を出た。

と、そのへんの細かい話をすると論がずれるのでやめておくが、最終的にいつかは九州に戻って来て欲しいという彼に「私はもう十分に九州にいたんだし、あなたがオーストラリアに来たらいいんじゃない?」と言ったことがあった。もちろん、答えは、ノー。その時、私は思ったものだ。フェアじゃない、と。そんなの、対等ではないと。
 私は、「結婚したら、専業主婦で」というタイプの女性ではないし、「私を養って!」とか「働きたくない」だとかの依存心もさらさら持ち合わせていないつもりだ。さらには、私はもちろん手に職はないけれど、職はどうにか見つけられるからむしろ男性を養うことだって出来る(もちろん、働かない男は論外だけど、理由があって無職になってしまった場合という意味で)。なのに、彼はどうしてノーと言うのだろう、と。   

日本の社会の仕組みは、一度社会をドロップアウトした人にとても厳しいものだと思う。男性だったらなおさらだ。当時の彼が将来を悲観したくなる気持ちもよくわかる。仕事をやめて、オーストラリアに行ったところで、日本で見える未来は明るいものではないだろう。

 もちろん人によるけれど、これがもし欧米人だったら、「え?オーストラリア?わかった!!行くよ!」となるだろう。というよりも、彼女がその決断をする前に話し合って、二人で決断すると推測する。日本人の場合、さらにはそんな大決断をするのならば、「結婚」という二文字を考えずにはいられないのではないか。これが欧米人だったら、ビザ問題は別として、このタイプの決断が結婚に結びつくケースは稀だと思う。

そう思うと、日本人男性こそ自由な人生を送ることができないということだとも思う。だから、“出来た女性”は彼らをサポートするのだろう。でも、わたしにはそれが出来なかった。だから私は彼を自分の人生から切り離したけれど、そういう意味では彼だって彼の人生から私を切り離したのだ。彼の人生を選んだという点で。お互いが、自分の人生を選んだ。Fare enough、そう思う。

男性の立場的に言えば日本のお国柄上、仕方がないのだろうなと思うし、日本に限らず、「求めるライフスタイルが違う」のであれば、別々の人生を送るしかないと思う。「好きならそんなの関係ない」とか、そういう問題ではない。人生はそんなに簡単には出来ていない。どんなに好きでも、違う道を選択せざるを得ない時だって多くある。泣きながら、断腸の思いで決断した人を一体誰が非難できるというのだろうか。いろんなことに目をつぶっても、これだけは譲れないというものが人にはあるからだ。そして、その譲れないもののために、大好きな人を犠牲にするのは皮肉なことだけれど。 

先日、“女子力”と“尽くす”というキーワードが出て来たので、今回はそれらについて掘り下げた話をしたかったのだけれど、またも“本質を追求する”ネタ。先日のブログのエントリーを書いた後、思い出したことをどうしても書き留めておきたかった。 オーストラリアに住んでいた時、日本人の女の...

先日、“女子力”と“尽くす”というキーワードが出て来たので、今回はそれらについて掘り下げた話をしたかったのだけれど、またも“本質を追求する”ネタ。先日のブログのエントリーを書いた後、思い出したことをどうしても書き留めておきたかった。

オーストラリアに住んでいた時、日本人の女の子4人くらいでランチやカフェをする機会が多く、「じゃあ、XX日の日に集まろう」となって、「場所は、お店はどこにする?」という会話になった時のこと。とある女の子が、「どこでもいいよ~」といつも答えてた。

どこでもいい、なんでもいいってなんなのさ?そんなの、私だって何でもいいし、どこでもいいよ。 その子は他人に同調するというか、気を使ってそういう風に言ってんだろうか?XXちゃんが行きたいところでいいよ~(ニコニコ)的な?

はっきり言って、その気の使い方、心の底から無駄だと思う。その変な気の使い方のせいで、私(もしくは別の人)が、インターネットで検索して、予約しないといけないことになる。元々外食が好きで、食事にエンターテイメントを求めるタイプで、いろんなお店を知っているならまだしも、私だってよく知らない。お店を検索して、予約の電話して、空いてなかったらまた検索して・・・って地味に時間がかかるし、面倒だ。それでも私はそういう風に他人に時間を使わせるくらいなら、自分でやる。私にとっては、そっちの方が“気を使う”ことの本質だと思うからだ。「なんでもいいよ」と言うタイプの女性は一件気を使っているように見えて、正直に言って何もしてない。

また、「なんでもいいよ」という回答の背景にあるものが気使いではないとして、本当に「どうでもいい、なんでもいい」時ももちろんあるだろう。それは私だって同じだ。だけど、「X月X日に食事をする」ことが決まっていて、その日までにお店を決めないといけないことが決まっているのに、“お店を決定する”ことを先延ばしにするメリットが私には理解出来ない。「なんでもいいよ」なんて返信しても、目標到達に一歩も前進しないことは明らかだからだ。せめて曖昧なアイディアでもいいから捻出して、目標到達に尽力すべきだと思う。時間をかけてじっくり話し合った方がいい場合だってあるだろう。だけど例えばこの場合のそれは、無駄以外の何物でもない。

日本にいた時、こういう機会はやたらたくさんあった。そして「気が使える人」「空気を読める人」と世間が見なすのは私ではなく、「なんでもいいよ~」と同調する人のように感じてた。すごく理不尽だと思ってた。そして決定を行える人や、きちんと自分の意見を言える人が「わがまま、強い」という負の称号を与えられることに関しても。こういう些細なことたちが、私を海外に放出させたのではなかろうかとも思う。 

表面的な気の使い方、礼儀的、義務的な気の使い方なんてさらさら必要ないと思うけれど、外国においても気が使える女性は素敵だし、そういう女性になりたいとも思う。ただ、その「気を使う」ってことの本質を見失うと、逆に人をいらいらさせてしまうということもあるものだ。  

日本人が外国人に対して「気を使わない」という固定観念があるのは、この“気の使い方”の概念が違うからだと思う。日本的な気の使い方をする人はいないけれど、本当の意味で他人を思う人は世界中どこにだっている。そしてそういう本質的な気遣いはとても心温まるものだ。

日本人はもう少し“現象”という無駄をそぎ落とし、本質を見るめる必要があるのではないだろうか。でなければいつまで経っても島を出る日は来ないだろう。

結構前からブログに書きたいと思っていたのに、先延ばしになっていた話題を書こうと思う。 少し前のことになるが、姉から興味深い話を聞いた。 姉が何気なくテレビを見ていたら、女芸人たちが(誰かは知らない)タイレストランでタイ料理を食べていたそうな。そこで、一言。  「女子力...

結構前からブログに書きたいと思っていたのに、先延ばしになっていた話題を書こうと思う。

少し前のことになるが、姉から興味深い話を聞いた。

姉が何気なくテレビを見ていたら、女芸人たちが(誰かは知らない)タイレストランでタイ料理を食べていたそうな。そこで、一言。 

「女子力、高くない?!」

姉はこの一言に激しく違和感を覚えたそうだ。「タイ料理?女子力??」 
(これが結びついたあなたはきっと女子力、上級者でしょう、ふふふ)

また別の日、彼女の知り合いの若い女の子と久しぶりに偶然再会した時のこと。姉の前髪を見て彼女はこう言ったそうだ。

「私、前髪切れないんですよ~。彼が前髪長い方が好きだって言うので~」 (しゃべり方は想像にお任せします) 

そこでまた、姉は心の底から違和感を覚えたそうだ。 そこで、ちょっと反撃を試みてみたらしい。
「だったらさ、一生好きな髪形に出来ないじゃない?」
そして放たれた次の言葉に絶句した。

「私、尽くすタイプなので~」

皆さん、この2つの例、どう感じましたか? 
私は、前者についてはなぜタイレストランに行くことが「女子力が高い」のかまったくその思考回路が理解できないのだけど、誰かこうじゃないという意見のある人はいるだろうか?

想像するに、女芸人たちは世の“女子力が高いといわれる素敵女子”たちがタイレストランにて、「今、タイレストランで女子会中~☆」なんてSNSでアップしているのを見て、「うわ、女の子らしいなー」と日ごろ感じていたのだろうか。それでタイレストラン=女子力高いと言ってしまったのだろうか。

“尽くす”発言に絶句した姉は、「いや、尽くすってそういうことでは!」と思ったのだそうだ。

そう、この二つの話、激しく本質を欠いている。この話をドイツ人が聞いたらどういう反応をするのだろうかなんて1人で想像して笑ったしまった。そもそも“女子力”をドイツ人が理解出来るか置いといて、そもそも“尽くす”という概念をドイツ人が理解出来るか置いといて、この本質を欠いた話をドイツ人は理解出来ないだろう。(“女子力”も“尽くすこと”もドイツ人が理解出来るとは到底思えないけど、またそれは別の機会に)

日本を離れて恋しいものもたくさんあるけれど、こういう謎の思考回路を持つ女性と話さなくてよくなったことは心の底から嬉しい。

「ドイツ人と日本人は似ている」と多くの日本人が思っている。真面目で勤勉、時間に正確。でも、それもすごく本質を欠いていることだと私はよく思う。結果的に“真面目で勤勉、時間に正確”な国民性になったとしても、そこまでに至るプロセス、考え方、メンタリティがまったく違うと思う。例えば、「時間に正確」ということをとっても、日本人の場合は「相手に悪いから」と相手への配慮から来るものだとしたら、ドイツ人の場合は「非効率だから」という風に。最終的に結論が一緒なだけで、メンタリティは似ても似つかないと思う。 

万が一、ドイツ人に「女子力を高めたい人」や「尽くしたいタイプの人」がいてもそれは自分がやりたいからであって、流行に乗るためや、相手のためではない気がする。それはとても大きな差だ。

本質をどこまでも追求していくドイツ人、そして現象を追及していく日本人。我々は一体どこに行くのだろうか。このタッグ、とても最強ではないかと思うけれど、絶対合わないよね~

一泊二日でドイツ北部のエルベ川沿いの街、ハンブルクへ行ってきました。 ハンブルクはあまり日本人にはあまり知名度こそないものの、ベルリンに次ぐ第2の都市、生活水準は1番高い都市とされている。と、思って調べてみたらドイツではミュンヘンが1位だった。そして2番目はなんと我らがベルリ...

一泊二日でドイツ北部のエルベ川沿いの街、ハンブルクへ行ってきました。

ハンブルクはあまり日本人にはあまり知名度こそないものの、ベルリンに次ぐ第2の都市、生活水準は1番高い都市とされている。と、思って調べてみたらドイツではミュンヘンが1位だった。そして2番目はなんと我らがベルリン!えーベルリン?こんな貧乏な街が?うーん。
こほん、では言い直そうではないか。ハンブルクはドイツで最も生活水準が高い都市の1つである。

人の雰囲気としてはドイツ人と言うより、デンマークに近いのかな?という気がした。ハンザ同盟で古くから開けている都市だけに、インターナショナルな感覚が染み付いてる感じだった。そして建物のきれいなことよ!西側はやっぱり違うなぁ、華やかだなぁ(完全に東の人の感覚。なぜだ!)。ヒールを履いている女の子も多い。ベルリンは道を補正するお金がないから、道ががたがたで誰もヒールなんて履いていない。ヒール派の私でさえ!
 ハンブルガー、皆、小奇麗にしていた。ブランド物を持ってる女性も多い!まるで外国に来たようだ・・・誇張ではなく、そういう感じ。海までは距離があるけれど、エルベ川がとてつもなく大きいため、ハーバーさえあった。おかげでとっても寒かったけれど、ベルリンとはやっぱりまったく雰囲気が違った。ハンブルクも戦争でほとんどの建物が焼けてしまったらしいけれど、ハーバーがあって潤っていたので、比較的早く復興しただろうし、分断されてしまい復興が大幅に遅れたベルリンとの違いを感じずにはいられなかった。  

今回私は友達カップル(タイ人女性、ドイツ人男性)を訪ねたのだけれど、さすがはドイツ人。まるでツアーガイドのように生真面目に案内してくれた。
「これはなんとかっていう建物で、第二次世界大戦の時は云々」
「えーこれはなんなの?何のための建物なのさ?」「これはハンザ同盟の・・・」
「んじゃ、これは?」 「・・・僕も知らない。ちょっと待って」
数分後、スマートフォンで調べて完璧なまでの説明をしてくれました。ブンダバー!(ドイツ語でワンダフルの意味)
3月にスペインに行った時スペイン人の友達に
「ねーこれってなんなの?内戦に関係あるのかな?」
と聞いたところ、
「えみ!そんなことは前もって聞いてくれないと!調べてきたのに!」(つまり、知らない) 
・・・。大違いだぜ。 

説明に聞き入っているうちに思ったことは、ドイツ人は第二次世界大戦に対して大罪を背負っている分、きちんと勉強してるんだろうなと気がした。ドイツがなぜナチを生んで、欧州を巻き込んだ戦争に突入したのか、説明できないドイツ人はいないんじゃないだろうかとさえ思った。そして日本は・・・きっと説明できる人が少ない。
この差が、罪を償っているかそうではないかの差だろうと思った。 

この日は各地でいろんなイベントをやっていて、幸運なことに市庁舎の中に入れた!そこにはなんともゴージャスな空間が。夜な夜な舞踏会が開かれてもおかしくはないスペースが存在していた。
私、ドイツを勘違いしていたんじゃなかろうか。「ベルリンは特別」とわかっていながらも、本当のところはわかっていなかったのかも。“西側”はこんなにも栄えていたんだ。

とっても洗練されたハンブルク旅行、満喫~と行って終わりたいところだけれども! 
11時すぎ繁華街を歩いていたら、怒涛のセックスショップ発見!道を本当に埋め尽くすほどのいかがわしい店たちよ!新宿歌舞伎街の雰囲気がそのままドイツにも存在していた。欲を追求していくと、結局ここに行き着くのだな、人間は。
話は少しずれるけれど、とあるドイツ映画の感想を「どこまでも真面目なドイツ人。変態映画のはずなのに、どこまでも真面目に変態な映画だった」と書いてた人がいたことを思い出した。どうなの、ゲルマン民族たちよ!!

いろんな意味で興味深い旅行でした。
日本人はきれいなハンブルクが好きだと思うけれど、やっぱりベルリンに勝る都市はないなと思った旅行でした。 

どこで働いているのか公表すると仕事に差支えがあるので公表しませんが、本日は職場のことをちょこっと書きます。 今働いているところは、とてもワールドワイドで同じチームにすごくいろんな国籍の人がいます。英語が公用語だけれども、毎日いろんな言語が聞けます。いろんな国の人の中で働けるっ...

どこで働いているのか公表すると仕事に差支えがあるので公表しませんが、本日は職場のことをちょこっと書きます。

今働いているところは、とてもワールドワイドで同じチームにすごくいろんな国籍の人がいます。英語が公用語だけれども、毎日いろんな言語が聞けます。いろんな国の人の中で働けるって自分がすごく理想としていた環境だけに、いやなこともたくさんあるけれど楽しみながらやっています。

私の隣の隣の席の人がゲイなんですが、こないだチームミーティングがあった時に、「ねーねー、今日は何のトピックについて話すのかしら?あ、そうだ、自分の目の前の人とキスしてからミーティング始めるってど~おぉ?」なんて言い出すもんで、みんな爆笑。彼の目の前がイケメン・オージーで、オージーの彼が「じゃあ・・・」なんて言ってゲイの男性に近づいて言ったもので、「ついに~!!ウェルカムよ!!」って言って喜んでて、本当におもしろかった。また別の日はこれまた別のゲイの男性がレインボーの旗を振りながら、こちらに嬉しそうにやって来たときの、平和な感じと言ったら!「あら、素敵なピアスね~80’sね!」と褒められました。そして今日、私の席の後ろの男性が「明日から3連休なんだ♥アムステルダムの彼に会いに行くんだ~♥」と言っておりました。ゲイ率、高し。日本はまだゲイ・レズビアン・トランスジェンダーがこんな風にオープンに働ける環境ではないと思うので、やっぱりベルリンのこういう雰囲気が大好きです。

社員の働き方もとっても革新的。日本で言えば働き盛りの男子でも、普通にパートタイマーです。「他になんか仕事してるからパートタイマーなの?」と聞いてみたら、「ノー。ただライフを楽しむためだよ」との答え。だよね。私もビザの状況が許せばパートタイマーがいい。いろいろやりたいことあるし。「きちんと働いてなかったら負け組」的な日本とはアイディアがまったく違うなと感じます。派遣社員や非正規社員の敗北感や後ろめたさは彼らにはありません。“自分の選択”ってことが大きいのかもしれません。それぞれ、自分のライフを生きています。苦しみながら、生きたいように。
 もちろん、こういう人生がいいというわけではなく、自分で選べるということがいいと思っているだけです。働きづめの毎日が好きな人もいるでしょう。その人はそうやって生きていけばいいと思うんです。納得して、自己責任で。 

「外国ってそうなんだ~」と勘違いされても困りますが、きっとベルリンがそういうところなのだと思います。「自分が納得できなかったら、意味無いじゃん?」的な人の集合体、それがベルリンです。少なくとも、私にとっては。それがベルリンをベルリンたらしめる理由かもしれません。
 ドイツの他の都市は皆もっときちんと働いていることでしょう。ではないと、欧州の優等生の地位は築けませんからね。そしてそれが他のドイツの都市から「ベルリンなんて、あんな貧乏な街!」なんて言われる所以なのでしょう。 

しかし一度この緩さを身に付けてしまったら、もう日本に戻れる気がしないのも事実ですね・・・  

最近とっても興味深かったことを。 先日出会ったスペイン人の男の子から、 「サンミゲル(スペインの代表的なビールのこと)が倉庫にしまったままだったから、冷蔵庫に入れてた方がいいかな」(意訳)という本気でなぞなぞのようなメールをもらった。先日、「サンミゲル、懐かしいな~久しぶり...

最近とっても興味深かったことを。

先日出会ったスペイン人の男の子から、
「サンミゲル(スペインの代表的なビールのこと)が倉庫にしまったままだったから、冷蔵庫に入れてた方がいいかな」(意訳)という本気でなぞなぞのようなメールをもらった。先日、「サンミゲル、懐かしいな~久しぶりに飲みたくなっちゃった」という話をしたことを鑑みると、「君がいつでも飲みに来ていいように、冷やしておくね!」ってことなんだと思うけど、いきなりこういうメールをもらっても、意味が全然わからない。 

メールをもらった瞬間、「・・・で!?」と思ってしまった私。だいぶドイツ人の直接的言い回しに慣れてしまったということなんだろうか。まさに松尾芭蕉の俳句を聞いた後のドイツ人の反応のようだわ。(*注:『古池や かわず飛び込む 水の音』というかの有名な松尾芭蕉の俳句をとあるドイツ人が聞いた時、「・・・・で!?」と思ったという話)
 
 
 ドイツ人とこういうやり取りをしたことがないのでドイツ人がこういう時どうやって女の子を誘うのかよくわからないのだけど、間違ってもこういう言い方はしないだろうと推測する。

別の日、別のスペイン人からのデートのお誘い。
「今日、XXっていうコメディショーを見にくよ。9時からだったと思うなー」

・・・・。

通知!?

私は本気で頭を抱えたよ。英語だとWould you like to come with me?とか付くからわかりやすいけど、これはお誘いなのかただの通知なのか、真剣に悩んだ。ただの通知だった場合、「誘ってくれてありがとう!」と言ったら「勘違いしてんじゃねーよ、誘ってねーよ、報告だよ」ってなる可能性がある。でも、何回かこういうやり取りが続いたから、お誘いだったのだろうと判断。
スペイン人、そしてイタリア人、やつら、こういう誘い方します。わかりにくい!  
彼らの表現の仕方って婉曲なんだよね。そしてたぶん、表現にユーモアを含ませようとするし、女性のエスプリも期待してるというかチェックしてるというか、そもそも会話を楽しみたい人たちだからか、なんだか的を得ない表現になるんだと思う。

その点、ドイツ人。

ストレート。いや、ドイツ人とデートしたことはおろか2人で食事したこともないから聞いた話でしかないので、実体験として話せないのが非常に残念だ。質問も的確だし、ポイントを抑えて、ずばりストレートに聞いてくるから、会話にまったくの無駄はないけれど、その点が「ドイツ人はつまらない」と言われる所以なのだろうとも思う。ドイツ人とデートしてる日本人女性が、「誘われ方があまりにストレートすぎて事務的に聞こえて、誘われてるって途中まで気が付かなかった」と言っていたくらい。スペイン人やイタリア人と会話するときの、めんどくさいけど、「んもう♥」みたいな感じはないのだろう。あくまで、一般論だけど。なんとも、逆に興味が湧くではないか、ゲルマン民族たちよ! 

スペインイタリアとドイツの中間点に位置するフランス人男性はどうなのだろう。フランス人男性、よくよく考えてみたらデートしたことないや。誰か詳しい方、教えてください。

いやいや、フランス、ロマンスの国ですよ、イタリア、スペインなんかに負けない底力を見せて欲しいものだ。(え?笑)  

 ベルリンでの日々のことを少し。 昨日は友達の合同誕生日会に行ってきました。19時開始だったけど、21時くらいに行ってもまだあまり人はおらず。張り切って19時に行かなくてよかった~。Wedding 近くのバーでの開催だったのだけれど、食べ物は主催者持ち込み、飲み物は自分で買うと...

 ベルリンでの日々のことを少し。
昨日は友達の合同誕生日会に行ってきました。19時開始だったけど、21時くらいに行ってもまだあまり人はおらず。張り切って19時に行かなくてよかった~。Wedding 近くのバーでの開催だったのだけれど、食べ物は主催者持ち込み、飲み物は自分で買うというスタイル。オーストラリアもドイツもそうだけれど、誕生会は誰かにやってもらうものではなく、基本的に誕生日の人が発起人で、主催者となる。でも昨日は主役の1人がバーテンをこなしてて、「え?主役なのに?」と結構びっくりした。斬新。

今回の主役は、ボリビア人とドイツ人のカップルだったのだけれど、友達もやっぱり南米の子たちが多かった。先日からブラジリアンポルトギースがすごく気になっているのだけど、ラテンアメリカのスパニッシュもとってもキュートだった!スペイン人のそれと比べたら、とっても柔らかく聞こえる。そこに1人スペイン人の男の子がいて、その子と話してたらやっぱりアクセントでスペイン人だとすぐわかる。英語で例えたら、アメリカ人の中にイギリス人が1人混ざっている感じかな。しかもそのスペイン人、ガリシアの出身だったので、マドリアーニョ(マドリッドの人たちのこと)のそれとはまた全然違ってそれもまた興味深かった。しかしその人に、「君のスペイン語のアクセントはイタリア語みたいだね~」と言われる。・・・。最近あまりにイタリア語漬けなので、イタリアアクセントになってしまったのだろうか。金城武の広東語はアメリカ訛りだと香港人の子が言ってたことを思い出した。と、得意の話の脱線。

いい感じの時間になってきたら、バーはレゲトンで溢れていた。やっぱりさ、南米の子たち、踊り上手だよね。特にレゲトンとかラテンミュージックは強いよね。見ていて惚れ惚れする。こういう時にドイツ人みたら、いい友達になれそうだと思うんだけどね。私は、クラビングするならばっきばきのテクノが好きだけど、たまにはレゲトンも悪くない。そうやって夜は更けたのでした。  

合わせて、別の友達の誕生会(ドイツ人)のこともとてもおもしろかったので、書きたいと思っていたけれど、長くなったので、また別の機会に!

アディオ~(本当はアディオスだけど、南米のスペイン語は、Sを発音しないことが多い。)
 

あれもこれも書きたいと思っているのに、まだまだ書いてないことがたくさん。女子力のことや姉から聞いた話、カートの命日に向けての話・・・もっともっと日々のこと。 先週のことになるが、日本人の友達と夜10時に集合して、朝6時まで話し倒す(この日サマータイムが始まったので、実際は気が...

あれもこれも書きたいと思っているのに、まだまだ書いてないことがたくさん。女子力のことや姉から聞いた話、カートの命日に向けての話・・・もっともっと日々のこと。

先週のことになるが、日本人の友達と夜10時に集合して、朝6時まで話し倒す(この日サマータイムが始まったので、実際は気が付けば7時だった)。この友達というのが、よくもまぁこんなに似た思考回路と歴史を持った人間がこの世にいるもんだというくらい自分に似てる。性格は結構違うと思うけど、いろんな話をしては、自分たちのあまりの相似性に2人でびっくり。

その友達が、私がちょっと前に少し書いた『私の骨』というブログのエントリーをすごく褒めてくれて、すごくすごく嬉しかった。「感動して、しばらくパソコンの前から動けなかった」と言ってくれて時、私は本当に嬉しかった。母の誕生日に製作した絵本について、「続きが読みたい!」って言ってくれた唯一の人だった。彼女の感覚が私と似すぎているせいだと思うけれど、それでもこんな風に感じてくれる人がいるってことが心の底から嬉しかった。 

私のブログなんて役立つ情報なんて何もないし、文字ばっかりだし、意を決してFBに「ブログやってます!」と紹介してみても、反応なんてまったくないし(でも外国に住んだことのある人は共感して、わざわざメールまでくれた)、自分の書くことなんて他人からしたらどうでもいいことなんだろうなと思うことばっかりだ。私の作品(こういうブログの軽い文章ではなく、もっとちゃんとした文章のこと)を読んだ人に感想を聞いても「一般受けはしないと思う」と言われることばかりだ。そう言われる理由は私にだってわかる。

その一方で、私がもし一般うけするような文章を書いたら(書けるか書けないかは別にして)、私はたぶん私の友達のような感想を持ってくれる人を失うだろう。

少し話が脱線するが、先日、あることがきっかけで「この世は、マジョリティの人を幸せにすることが義務なのであって、マジョリティを幸せにするにはマイノリティの犠牲が必要不可欠なんだ」と痛感したことがあった。私はマイノリティにフォーカスした生き方をしたいと思った。私はそういうものを伝えていきたいと思った。マジョリティにフォーカスするのはきっと他の人がやってくれる。それは私の仕事ではない。 

そう思えた瞬間、心が晴れた。完全な開き直りだけど、それでも自分の何かが解放されたことも事実だ。優先順位を見誤って無駄なことをするには人生は短すぎる。自分が何を欲しくて、何が欲しくないのか、私はわからないようにはなりたくない。    

日本にいる時は「認められなければ意味がない」と思ってたけど、ここベルリンでは認められることなんて2番目以下でしかない。「自分がやりたいことをやりたいようにやればいいじゃん?じゃなかったら、意味ないよ」と貧乏な、認められるアテもない無名の芸術家たちは言うと思う。
 シンプルだけど、それがやっぱり1番大事なことだと思える。それをやって、誰かが認めてくれてらハッピーだよね、というスタンスで。
  
私はこの自由に満ち溢れたベルリンにいる機会を得た。それはやっぱり私にとって、そして前述の私の日本人の友達にとってもすごく幸福なことだと思う。

ベルリンはそういう街。ホープレスたちが夢を見れる街なのだ。




レスリー・チャンのことを4月1日にどうしても書きたくて、もう1時間半も書き出しを考えている。そして1時間半も考えているのに、言葉が出てこないから、こういう書き出しになってしまった。 「ブエノスアイレス」「欲望の翼」という、香港の鬼才・ウォン・カーウァイの映画をご覧になった方が...

レスリー・チャンのことを4月1日にどうしても書きたくて、もう1時間半も書き出しを考えている。そして1時間半も考えているのに、言葉が出てこないから、こういう書き出しになってしまった。

「ブエノスアイレス」「欲望の翼」という、香港の鬼才・ウォン・カーウァイの映画をご覧になった方がいるだろうか?他にもレスリー・チャンの出演している映画で好きなものはあるけれど、この2つは私の特別好きな映画だ。「ブエノスアイレス」は映画を観終わった後になんだかその映画自体を抱擁したくなるような甘い刹那さに満たされた映画だったけれど、「欲望の翼」は人間の中に潜む孤独に気が付かされるようなそんな映画だと思った。レスリー演じる主人公の心が静かすぎて、恐ろしくなるのだ。それは自然に対峙する時の恐怖心に似ているかもしれない。 

そして彼は、スクリーンの中でいつもあきらめたように笑っていた。私は憂いを帯びた仔犬のような瞳から目が離せなくなって、彼の映画を何本も観た。先ほど挙げた2本の映画と「覇王別姫」が特別好きだった。

彼の新しい映画を観ることはもう出来ない。彼のことを大好きな私たちがどんなに望んでも。

2003年の4月1日、香港のマンダリンオリエンタルから身を投げて、彼はこの世を去ったからだ。 

私は今日1日彼のことを考えていた。マンダリンオリエンタルから最期に見た景色はどんな風に見えたんだろう。誰もその景色を共有出来ない。その瞬間を思うと、この世には希望すらないように思える。全てが息吹く希望に満ちた4月に、自らの命を絶ちたくなるほどの絶望に立ちすくむ。私の愛するカート・コバーンも自らの頭を銃で撃ちぬいたのは4月だった。甘い花の匂いや木漏れ日や頬を撫でる温かい風さえ、彼らの魂を救えなかった事実に愕然とする。レスリー・チャンが死を選んだのはエイプリル・フール。香港の人はこの国民的スターの訃報をどういう気持ちで聞いたのだろう。悪い冗談だ。きっと多くの香港人がそう思っただろう。レスリーはもしかしたら、自分の存在を否定する意味でこの日を選んだのかもしれない。

毎年4月1日にはマンダリンオリエンタルの前に花が手向けられると聞く。その花たちに、彼の魂が少しでも癒されていてくれれば良いけれど。 

僭越ながら、昔書いた「欲望の翼」の感想。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1730593526&owner_id=37572325


**追記**以下のリンクは見れませんでしたので、新たに張りました。ごめんなさい。 
ブエノスアイレス(原題/Happy Together)
<iframe allowfullscreen="" frameborder="0" height="270" src="//www.youtube.com/embed/cMx0UgohOfE" width="480"></iframe><br />

欲望の翼(原題/Days of Being Wild)
<iframe allowfullscreen="" frameborder="0" height="270" src="//www.youtube.com/embed/6cExEkJjyD8" width="480"></iframe><br />

覇王別姫
<iframe allowfullscreen="" frameborder="0" height="344" src="//www.youtube.com/embed/VKHwZr6X3Og" width="459"></iframe><br />

オットー・ヴァイトと言う人をご存知だろうか?日本でそのドイツ人の名前を知っている人は少ないだろう。かく言う私もベルリンに移り住むまで、その名前はおろか、存在すら知らなかった。  1883年、その人はドイツの海辺の街・ロストックにて生まれた。ベルリンへ移住後、紆余曲折を経て、箒と...

オットー・ヴァイトと言う人をご存知だろうか?日本でそのドイツ人の名前を知っている人は少ないだろう。かく言う私もベルリンに移り住むまで、その名前はおろか、存在すら知らなかった。
 1883年、その人はドイツの海辺の街・ロストックにて生まれた。ベルリンへ移住後、紆余曲折を経て、箒とブラシ製造業を始めた。当時その工場で雇われていた従業員は視覚、もしくは聴力に障害を持つ人たちばかりだった。そしてそのほとんどがユダヤ人だった。

ベルリン、ユダヤ人、そして彼らが生きた時代。こんな風にわざわざ並べなくても、歴史を一度でも学んだ人ならば、彼らが辿った運命は安易に想像できるだろう。反ナチだったオットー・ヴァイトは狂気吹き荒れる第二次世界大戦下のベルリンで盲目のユダヤ人たちを匿い続けた。映画「シンドラーのリスト」を引き合いに出せば、わかりやすいだろうか。自分の危険さえも省みず。

 戦後69年が経った今でもその工場はミッテと呼ばれるベルリンの中心部にひっそりと存在し続けている。

 私はミッテを特にすることもなくぼんやりと歩いていた。その日偶然辿り着いたその場所はいつか足を運ばなくてはならないと思いつつ、同時に避けていた場所でもあった。見たくはない事実を直視することはいつだって難しいものだ。

中庭はカフェになっています。


2列目の中ほど、黒い服を着た人がオットー・ヴァイト氏。


この後ろに、“隠れ部屋”があった。
敷地内へ入るとそこはとてもピースフルな印象だ。アーティストたちがたくさんの絵を描いているからかもしれない。そして現在は博物館として保存されている工場内に入る。そこは69年前から時が止まっている。

 そこで初めて、オットー・ヴァイト氏の写真を見たのだが、ドイツ人にしては小柄な体型がとても印象的だった。あの頃のまま残された作業台からは、今にも話し声が聞こえて来そうだった。1933年以前のそこは、愚痴や冗談、そして笑い声に溢れていただろう。会社で働く私たちの1日と同じようだっただろう。もしかしたら従業員の子供たちが中庭で遊んでいたかもしれない。ドイツ人、ユダヤ人、関係なく、ただ平等に太陽の下で。しかし、時代は容赦なく、彼らから希望や人間の尊厳、すべてを奪っていく。 

オットー・ヴァイトの尽力も空しく、大戦末期ほとんどの従業員がゲシュタポに連行され、そしてかの悪名高きアウシュヴィッツでその命を落としている。オットー自身は終戦の2年後、亡くなっている。

私は、ベルリンの狂気の12年とオットー・ヴァイトの戦後の2年に思いを巡らせる。オットー・ヴァイトという人は亡くなるまでの2年間をどのように過ごしたのだろうか。私には彼が従業員を守れなかった悔しさの中で生きたような気がするのだ。もちろん、そんなこと、私が想像するに過ぎないのだが。「想像力が豊かだね」と言われればそれまでなのだが、それでもベルリンにいると、過去が目の前に広がるような錯覚に陥ることがよくある。古い教会に行くと、涙が勝手に出てくることもある。人々の悲しみや祈りや光への強烈な憧れ、自分の感情ではないものを感じることがよくある。

この街はそういうところ。

「ナチの犠牲者としてのユダヤ人」ではなく、彼らが生きた証を感じられてよかった。彼らの日常を感じられてよかった。それは「戦争は悲惨だ、レイシズムは悪だ」と等しく大切なことではないだろうか。

どうか彼らが安らかに眠れますように。
 

今日は大好きな母の誕生日です。朝、母に電話したら、「毎年晴れるのに、今日は曇りなのよ~」と遠い遠い故郷の天気を教えてくれました。 桜が咲く季節だからか、私は母の誕生日が大好きです。そして母の誕生日にはいろいろな思い出があります。 愛する妻のために、せっかく父が花束とワインを...

今日は大好きな母の誕生日です。朝、母に電話したら、「毎年晴れるのに、今日は曇りなのよ~」と遠い遠い故郷の天気を教えてくれました。

桜が咲く季節だからか、私は母の誕生日が大好きです。そして母の誕生日にはいろいろな思い出があります。
愛する妻のために、せっかく父が花束とワインを買って来たのに「んー。あたし、むしろビール派!」と言って父をしょんぼりさせたことや(今日もそのことを思い出して父と一緒に笑いました)、高校を卒業したての頃、母のために弟と一緒にディナーを作ったことや、もっとずーーと前、私が10歳くらいの頃、弟とSEIYUのマックスファクターに行ってその時はわかりもしなかったマニキュアをプレゼントしたことや、Gジャンの袖にチューリップを一輪忍ばせて、家に持って帰って母を驚かせようとしたものの、温かさでチューリップが全開になって、自分の過ちに本気で泣きそうになったこととか。(父の誕生日は父の誕生日でこれまたいろんな思い出がありますが、それはまた別の機会に)それらの思い出たちは微笑ましい気持ちにさせてくれると同時に、なんだか切なくもあります。 

今年の母の誕生日は、母とのいくつかの約束のうちの1つだった絵本を彼女にプレゼントしました。私は、小さい頃からひたすら本を読んでいる子供だったからか、「えみちゃんは絵本を書いたらいいと思うな!」といい続けていた母にやっと報いることが出来ました。文章は私が書いて、挿絵はアーティストの友達で母が愛して止まないミズハに頼みました。私の未熟な文章に素晴らしい挿絵をつけてくれたミズハに心から感謝します。英文は自分で付けましたが、完璧からは程遠いことはよくわかっているので、昔うちにホームステイしていたアメリカ人の女の子に校正を頼みました。先ほど、郵便局の方が無事に母の元へ届けてくれました。 



 絵本については、自分の文章や内容に課題が残るけれど、世界観は自分らしいものが出来たのではないかと思います。自分が見てきたものや聞いたもの、そして本当は見なくて良かったもの、知らない方が幸せだったことを詰め込みました。今お見せできないのが残念ですが、いつか見て頂ければ幸いです。他にもいくつかアイデアが浮かんでいるので、もっとちゃんと絵本に取り組みたいなと思いました。  


昔から「瓜二つ」と言われるほど似ている母と私。自分でも年々年を追う毎に母に似てきているのがわかります。いつもいつも私の見方でいてくれる母。そして大好きな父。  

あなたたちが30年間思ってくれたことと等しく、あなたたちの娘もいつもあなたたちを思ってます。

世界中、どこにいても。

最近、もうちょっと髪や頭皮について考えようと思い立ち、シャンプーとヘアマスクをオーガニックに変えてみた。ドイツに来てから髪は2日に1回しか洗わないので、少しでも良いものを使いたい。 「髪を2日に1回しか洗わない」の文章に「!!」と思ったあなた。そうだよね。私だって2013年ま...

最近、もうちょっと髪や頭皮について考えようと思い立ち、シャンプーとヘアマスクをオーガニックに変えてみた。ドイツに来てから髪は2日に1回しか洗わないので、少しでも良いものを使いたい。

「髪を2日に1回しか洗わない」の文章に「!!」と思ったあなた。そうだよね。私だって2013年までは毎日髪を洗う女子だったさ。日本ではそれが普通だった。でもドイツで髪を毎日洗ってる女子なんていないんじゃないかしら。「水が無駄だし、頭皮に悪いよ」と言われた時の衝撃と言ったらなかったね。それがドイツの習慣だからそれに従っているというより、硬水+カルキのせいで、髪がばさばさ、かつ頭皮がすごく乾燥するので、毎日洗ってたら大変なことになるんだよね。 

で、シャンプーをオーガニックに変えたという話。ドイツはオーガニック製品がとても充実しているので、困ることはない。どのオーガニックのシャンプーがいいのかいろいろ実験中。 

感想は、どれを使っても「すごくいい!」。というか私の場合、髪が健康的になりすぎて、巻けないという問題が・・・。髪に問題を抱えているあなた、是非オーガニックのヘアケアをお勧めします!

と、言ってはみたものの、今回のブログのタイトルは「ドイツ人について」。話には続きがあるのです。

このオーガニックのシャンプー、お勧めしたいくらいいいのだけど、匂いがね~びみょー。男の子ってさ、シャンプーの匂い、好きじゃない?やっぱり「いい香りするね」と言われたいじゃない?

いい匂い、しません!

そしてそのへんがドイツらしいよね。「効能はいいんだから香りなんてどうでもよくない?」みたいなね。日本人からしたら、いやーそうだけどさ~・・・」と思うところなんだよね。 そもそも日本人の本領ってここからじゃない?プラスαのサービス、みたいな。なくても困らないけど、あったらもっと幸せ!というか。 

でもドイツ人の場合は、
「シャンプーとは髪の毛を洗う液体であり、良い香りを纏うためのものではない」 以上!
という感じ。それ以上、議論の余地もなし。
お風呂だって、「お風呂は体を洗うための手段であり、リラックスするための手段ではない」以上!
食事も「食事は生きていくために必須のものであり、エンターテイメントではない」以上!
「化粧なんてしなくたって、着飾らなくってもあなたの美しさが変わるわけではない」以上!

で、前述のように髪を2日に1回しか洗わなくても「それが、何か?水を無駄にしない女性の方が素敵だよ」となるわけです、はい。

うまく説明できたかわからないけれど、ドイツ人ってこういう人たち。 

たまにむかついたり、愛しいと思ったり。 

世界中、どこで働いていようともストレスから解放されることなどないとつくづく思う今日この頃。日本みたいに無意味に長時間仕事場に拘束されることはないけれど、外国で働くってやっぱり大変。 このブログは、「外国で働きたい!」とモチベーション高い人にはまったく役には立たないことは必須だけれ...

世界中、どこで働いていようともストレスから解放されることなどないとつくづく思う今日この頃。日本みたいに無意味に長時間仕事場に拘束されることはないけれど、外国で働くってやっぱり大変。 このブログは、「外国で働きたい!」とモチベーション高い人にはまったく役には立たないことは必須だけれども、偶然にも目に留めてくれた人が頭の片隅に置いてくれて、将来子供を育てる時にでも思い出してくれればいいなと思う。

今日チーム内のミーティングで、1つのトピックについて皆で話し合うって言うことをした。職場環境を良くするためにみんなで意見を出し合おうというオーソドックスなものだったんだけど、私は結構まごついた。そもそも説明がうまく飲み込めてなくて、何を話し合っていいのかよくわかってなかったというのが大きいけど、皆、本当によく意見を出すなぁと関心したよ。そして意見がクリエーティブ!ばんばん意見を出して、どんどん進んでいく。早い。

私、こういうの、すごく苦手。意見、ない。たぶん他の話し合いでも意見ないけど、「職場環境を良くしよう!」なんて、日本人の私からしたら、これ以上何をどうするのさ!?って感じだし。

外国に住んでるとよく思うことだけど英語が話せたところで(私は言語にもコンプレックスがあるけど)、やっぱり文化の違いって大きいなぁと思う。欧米人の子達ってこういうディスカッションを小さい頃からずっとやってきてるんだろうな。言い訳になってしまうけれど、この慣れってすごく大きい。
思い出してみると、こういう機会を私はことある毎に避けてきたなぁ。「ディスカッションに積極的な人ってなんだかやる気のある人みたいでやだ」というくだらない理由で。日本にいる時はなんかすごく変なところにこだわってたなぁと思う。若さの成せる技なのか?  

英語教育が叫ばれて長い日本だけれど、今の子供たちはこういう場を持つ機会が私たちの頃より増えているのだろうか?英語教育だけを国際化への道だと考えてる大馬鹿野郎は文部省にはまさかいないでしょうね!?
子供を育てる時、国際的に活躍する人に育てたい!と思うのならば知って欲しい。それは英語が話せるだけじゃダメだ。依存体質の人はまず外国では暮らしていけない。自分の意見を明確に言えない人は埋もれて暮らしていくしかない(でも“自己主張”ではないのだよ、これが)。自分で考える力さえない人は愛想を付かされる。
これらのことは未だに私を悩ませるものだったりする。
最近近の日本の親達を見ていると、子供の可能性を広げてあげたいと思う親心からいろいろしてあげすぎて、逆に思考回路を奪っているのではないかと思う。そんなことしていると、考えない子供が育ってしまうのではないだろうか。そして結局、国際社会では活躍できない。  
 
私はまだ子供がいないので言いたいことを言えるけど、親には親にしかわからないとも思う。だから私は外国で暮らしたことのある人にしかわからないことを言うことにする。 

   今日はこの映画をチョイス。昨日から個人的に落ち込んでいたので、なんとなくクイーンを見たくなった。というのも、2年ほど前に前作を観た時に、「誰も完璧な人などいない。苦しんでいない人などいない。何かを犠牲にしていない人なんていない。イングランドのクイーン・エリザベスで...

 


 今日はこの映画をチョイス。昨日から個人的に落ち込んでいたので、なんとなくクイーンを見たくなった。というのも、2年ほど前に前作を観た時に、「誰も完璧な人などいない。苦しんでいない人などいない。何かを犠牲にしていない人なんていない。イングランドのクイーン・エリザベスでさえ」と思ったから。ただのエンターテイメント戦争映画(?)ではないんです、この映画。

今回はクイーンの治世初期からスペインの無敵艦隊を破り“黄金期”と呼ばれる時期までを書いている。今回も女王は多くのものを犠牲にして、イングランドのために生きていらっしゃいました。自分で選べる人生ではなかっただろうけれど、「クイーンとして生きる」と決めて、そのためにいろんなものを犠牲にする過程に(もちろんレベルはまったく違うけれど)すごく共感した。そういう意味で今日観るべき映画だったな。見終わった後はなんだかすっきり。

しかしながら・・・・

やっぱり私はイングランドVSスペインならば、やっぱりスペインの肩を持ってしまうのよね~。イングランドの洗練された教会も素敵だと思うけれど、あのスペインのごたごたしている感じの教会にどうしても親近感を覚えてしまうよ。そしてやっぱりスペイン語が好きだし、スペイン人の方が親しみやすいなー、なんて映画とはまったく関係のない感想を持ってしまう私。マドリッドから帰って来てからというもの、スペインが恋しくてしょうがない。スペイン語が恋しくてしょうがない。なんなら10年後はスペインに住んでるかもなぁ、なんて愛して止まないベルリンを裏切る想像までしてしまったり。でも今度はマドリッドではなく、バルセロナだな。

そして、この映画を観た後は英語がイングランド風になる私。下手な英語を聞くと、英語が下手になる私。方言も写りやすい。どんだけ影響受けやすいんだろう。

先日おもしろい記事を読んだので、それに関連することを少し書こうと思います。その記事の題名はずばり『ナンパをしないドイツ人』。リンクを張ろうと思ったら、なぜかもう見れなくなっていたので、少し説明。イタリアやフランスなんかに長く住んでいた日本人女性がドイツに来るとナンパが少なくて、び...

先日おもしろい記事を読んだので、それに関連することを少し書こうと思います。その記事の題名はずばり『ナンパをしないドイツ人』。リンクを張ろうと思ったら、なぜかもう見れなくなっていたので、少し説明。イタリアやフランスなんかに長く住んでいた日本人女性がドイツに来るとナンパが少なくて、びっくりするとか。ドイツ人は一般的に言って、そこまでナンパをする国民性ではない・・・との記事。そういうところ、日本人と似てますよね、云々。

激しく納得。

クラブとかでは声をかけられるけど、そうじゃなかったら別に声なんてかけられない。でも絶対にトルコ系だと思う人たちは、やたらウインクしてくる 笑。 

この記事を読んだ後で、思い出したのがオフィスでのこと。イタリア人とスペイン人とフランス人は全然違うチームに属していても話しかけてくる。ナンパ心じゃないにしても、話しかけてくる。英語には“How are you?”という便利な言葉がありますからね。しかし。ドイツ人や北欧系の人に気軽に話しかけられたこと、ない。皆優しいけど、そういう気軽さは、まったくと言っていいほど、ない。

先日スペイン人に行った時に改めて感じたことは、スペイン人の会話は“How are you? (Que tal?)”に前後して、“Que guapa!(なんてかわいいの、なんてキレイなの!)”というところから始まる。街中を見てみても、スペインの女性は女らしいというか、とてもグラマラスな人が多い。それに比べてドイツ人女性はハンサムな女性が多いと思う。イタリアやフランスもグラマラスな女性が多いことを考えると、この男性達の褒め言葉やナンパな気質が女性が女性であることを助けているのではないかとさえ思う。 

私は「自分磨き」という言葉が、どうも苦手で、そういうこと言われるとなんだかちょっと困った気持ちになってしまう。向上心は大切だ。でも、女性は男性によって磨かれるべきものだと思う。「自分磨き」や「女子力」に代表される言葉の男性不在に私はさみしいものを感じる。男性があってこその女性だよ。そして逆もまた叱り。男尊女卑とかじゃなくて、お互い不可欠な存在と言う意味で。 

そう言う意味で、ラテン男子に磨かれてこそラテン女子たちは輝いていることがよくわかる。

さて、硬派(?)なドイツ人男子と日本人男子をパートナーに持つドイツ人女性と日本人女性。どんどん男性的になってハンサムガール化していく前者とどこまでもガーリー化が進む後者。その対極に驚くばかり。

 もう長いこと忘れていたけれど、ずっと若い頃、私はとある男性と付き合っていた。昨日彼のことをふと思い出した。そして私が彼にお願いしたことを。 私よりもずっと年上だったその人は、その頃もうすでに若くはなかった。いろんなことを諦めていた。いろんなものを犠牲にしていた。彼の人生はペ...

 もう長いこと忘れていたけれど、ずっと若い頃、私はとある男性と付き合っていた。昨日彼のことをふと思い出した。そして私が彼にお願いしたことを。

私よりもずっと年上だったその人は、その頃もうすでに若くはなかった。いろんなことを諦めていた。いろんなものを犠牲にしていた。彼の人生はペインフルだった。彼はいろんなものに縛られていて、もうほとんど身動きさえも取れないでいた。それとは対象に、私はまだ若く、希望に満ちていた。少なくとも、今よりは。

「君を見てると、自分の若い頃を見てるみたいだ」
彼は私を見てはそう言った。彼が捨てていかざるを得なかったものを、私はその時まだ持っていた。彼はきっと、いくつかの過程で彼が無くさざるを得なかったものが強烈に恋しかったのだと思う。 

なぜ私はそれを彼にお願いしたのだろうと今ではわからない。でも私は彼にだけお願いしたことがある。長く付き合った彼にも一度も言ったことはない。後にも先にも彼だけだ。 
「私があなたより先に死んだら、私の骨を盗んでくれる?」
それはきっと、「私が死んだら、一緒に死んでくれる?」と同じくらいの情熱で。彼は「そんなこと親に頼んでくれよ」と困った顔をして苦笑いしたけれど。その時私はまだ日本にいて、狭いお墓に埋もれることがどうしても耐えられなかったから、私が死んだら骨を海に流して欲しいと本気で思っていたのだ。そしたら世界中どこにでも行ける気がしていた。それをやってくれるのは、彼しかいない気がした。きっと私の親は面倒くさがって、私の望みを叶えてくれなさそうになかったから。 

彼は私との約束を覚えているだろうか。私が死んだら彼は私の骨を盗んで、海に流してくれるだろうか? 

残念ながら世界を旅した今では、死んだら自分の生まれた土地で眠りたいと思うようになってしまったし、私もいろんなものを諦めたし、私の人生なんてすっかりホープレスになってしまった。もうきっと、あの頃彼が好きだった私はもういないだろう。彼はそれをさみしいと思うだろうか。それとも変わらぬ包容力で見守ってくれるのだろうか。
 私は私の白い骨を抱えた滑稽で忠実な彼を想像して、笑ってしまう。そしてあの時の彼の困った顔や、その後笑い転げたことを思い出す。あの時聴いていた音楽や、話したこと、夜の感じまで。  

なぜこんなことを思い出すのだろうなと考えていたら、今日は彼の誕生日だった。

数年前の今日、私は彼と一緒にいた。もう何年もおめでとうと言っていない。今後も言うことなどないだろう。私の人生で一度だけ、あの年の彼の誕生日だけ一緒にいただけなのだから。 

彼があの後どういう人生を送ったか、今どうしているのか興味もないけれど、彼を思い出すと思い出す言葉がある。
それは、昔読んだリルケの言葉。

“男に心から愛された経験をもつ女は一生孤独に苦しむことはない”

それが一瞬だったとしても、そういう瞬間を持てた人間はやはり幸せだと思うのだ。 

5年ぶり(というかほぼ6年ぶり)にスペインに行ってきました!1月に3月末までに有給を消化しないといけないことがわかって、どこに行こうって考えた時、1番最初に頭に浮かんで来たのがマドリッドでした。私は2008年に8ヶ月間だけですがマドリッドに住んでいたのでちょっとした里帰りのような...

5年ぶり(というかほぼ6年ぶり)にスペインに行ってきました!1月に3月末までに有給を消化しないといけないことがわかって、どこに行こうって考えた時、1番最初に頭に浮かんで来たのがマドリッドでした。私は2008年に8ヶ月間だけですがマドリッドに住んでいたのでちょっとした里帰りのような気分でした。「そうだ、マドリッドに行こう!」と決めてからの私のどきどきと言ったらなかったです。旅行を続けていくと、残念なことに“旅行に行く高揚感”はあまり感じなくなるものです。なのでそういうドキドキしてる自分すらなんとなく新鮮で、嬉しかったのです。

マドリッドに着いて、5年前と同じカジェ(道のこと)を歩いたらどれほど感動することだろう、泣いてしまうかもしれない、なんて思っていましたが、感動したのも一瞬でその後はまだ自分がここに住んでいるような感覚になりました。愛して止まないベルリンの存在も忘れてしまうようなそんなひと時でした。 

私はベルリンでもスペイン人たちと仲が良いので、よくスペインの話を聞いていました。1番仲の良いスペイン人の子が「あなたの知ってるスペインはもうないよ。経済危機ですべてが変わってしまった」と言っていたので、やはり身構えるものがありました。ただ、マドリッドに行ってみると、表面上は何も変わっていないように見えました。季節がよかったのかもしれません。長い冬が終わって、希望の春を迎え、とてもエネルギーに満ちているようにすら見えました。

ただ、スペイン人とちょっと話してみると、やっぱり経済危機はスペインに暗い影を落としていることもよくわかりました。スペイン語を習っていた先生、友達、それから道を聞いて立ち話したおばあちゃん、タクシーの運転手、誰もが悲観的になっていたのは事実でした。

3年前の東日本大震災の時、私は被災しなかったけれど、スペイン人の友人たちが日本に向けて送ってくれた言葉、“Fuerza”(強くあれ/日本語にしたら、「がんばれ」的な意味合いになるんでしょうか)を彼らに送ります。

奇しくも、スペインに旅立つ前読んでいたのはアーネストヘミングウェイの「日はまた昇る」。
日はまたきっと、昇る。



縁起でもないけれど、たまに自分の人生の最終日について考える時がある。 20代前半の頃から自分はこうやってその日を迎えるんだろうなと思う情景があって、それは皆が生を全うして天国へ召されて行くのに自分だけなかなかお迎えが来ない・・・と言うもの。これは昔、「人生とは1日の集約のよう...

縁起でもないけれど、たまに自分の人生の最終日について考える時がある。

20代前半の頃から自分はこうやってその日を迎えるんだろうなと思う情景があって、それは皆が生を全うして天国へ召されて行くのに自分だけなかなかお迎えが来ない・・・と言うもの。これは昔、「人生とは1日の集約のようなものだ。1日が終わる時、眠りにつくその時が自分の人生の終わりを表しているのかもしれない」という本にかなり影響されていると思う。
 まだ小さかった頃、そして親がこの世で絶対の存在だった頃、親が寝てしまった後1人眠れなかった時の恐怖が忘れられなかったからだと思う。あの時の孤独さと言ったらなかった。(話が少し脱線してしまうけれど、20歳前後になるまで手塚治虫の漫画が怖くて読めなかったのは、この恐怖心が関連している。『火の鳥/望郷編』を読むと未だに小さかった時のことを思い出してしまう)

最近は自分がどんな風にその時を迎えるのか想像が出来ないけれど、こうであればいいなぁという希望はある。

それは今まで行った国や見てきたもの、今まで出会ったいろんな国の人が笑ってる様子がフラッシュバックしてくれるといいな。例えば脳死状態でベッドの上でチューブに繋がれていたとしても、世界中どこでもいける。好きな人に会える。そして人生のラストセカンドで、家族や恋人のことを「あぁ私、彼らをとっても愛していたな。そして彼らも私のことをとっても愛してくれたな」と思えれば幸せかな。そして「虹の橋」で、もう亡くなった祖父や祖母、それから一度も会えなかったもう1人の姉、ココア、自分より先に天国に行ってしまった人たちが迎えてくれるといいな。その時は、彼らがすべての痛みを忘れて笑っていてくれますように。 

この人生の最後は、自分の愛したすべての人がそうであってくれるといいと思う。

私の人生は財を築く人生でもキャリアを積む人生でもなさそうだけど、最後の最後でこういう一瞬が迎えられる人生であってほしい。 

と、こういうこと書いたらとても縁起でもない気がしてきたけどもー。長生きさせてください、神様!

クリスマスもお正月もまじめ~に働いていたので、本日はその代休!やっほー。歯医者に行って、スマートフォン買って(もちろん最新じゃあ、ないよ)、カメラをチェックし、ちょこっと服も買って・・・ブルーノ・マースのスーパーボウルでのショーを見ながら、洗物して、掃除機かけて、ゆっくりご飯を作...

クリスマスもお正月もまじめ~に働いていたので、本日はその代休!やっほー。歯医者に行って、スマートフォン買って(もちろん最新じゃあ、ないよ)、カメラをチェックし、ちょこっと服も買って・・・ブルーノ・マースのスーパーボウルでのショーを見ながら、洗物して、掃除機かけて、ゆっくりご飯を作って友達と談笑。うん、地味だけど、パーフェクトだ!

でも今日はあることが気になって、すごく嫌な気持ちだったんだ。今日というか、数日前から気になっていること。土曜日とある日本人男性と話す機会があって、その会話の後味がすごく悪くて。

彼は技術職に就いていて、ドイツ人の中で働いている。働いている中で・・・初めてアジア人が‘差別’される現状を知った、と話していた。たぶん日々‘差別’に晒されて働いているせいで、彼は様々なことをポジティブに受け取れなくなっていると私は感じた。欧米人のすべてを否定するような文脈を何度も口にしていた。日本人女性が欧米人男性と付き合うことに関しても、「日本の女性が取られた」みたいな言い回しをしていた。私がベジタリアンで・・・と言うと、それも否定するようなことを言われた。たぶん彼にとって、ベジタリアンは外国かぶれの一種なのだろう。

正直、疲れたし、後味が悪いし、そして悲しい出来事だった。

こういう風に感じたことは、一度だけじゃない。シンガポールでも同じように感じたことがある。私はまだ若いと言える年齢の女性だけれども、ちやほやもされない日本人の男性が苦手な英語を駆使して白人の社会の中で生きていくのはすごく大変なんだろう、というのが私の印象だ。それは女性の比ではないのだろう、と。

差別なんてする方が悪い。それは当たり前だ。でもメンタリティの違いを理由に線を引く気持ちが私はわからないわけではない。それは肌の色という明確なものではないだけに一層分かりにくいと思う。

ドイツに希望を持ってやってきたはずなのに、ドイツが大嫌いになるなんて・・・

なんだろう、これって日本人男性特有なのかな?それとも韓国人たちや中国人もこういう風に卑屈になってしまっているんだろうか?興味ある。

前述の彼は、シンガポール時期の自分を見ているようだったな。私もきっとこういう感じだったんだろうな。愚痴や悪口は誰も幸せにしないなと心の底から思った週末でした。


昔から「目標に向かってがんばる」のが苦手だった。そういう人も苦手だった。もっと自由でいいじゃん、やりたい時にやればいいじゃん、というタイプの女だった。 が、根がレイジーすぎるため、目標とかを設定してないとかなり無為に日々を過ごしてしまうのです、私。スケジュール管理はまったくし...

昔から「目標に向かってがんばる」のが苦手だった。そういう人も苦手だった。もっと自由でいいじゃん、やりたい時にやればいいじゃん、というタイプの女だった。

が、根がレイジーすぎるため、目標とかを設定してないとかなり無為に日々を過ごしてしまうのです、私。スケジュール管理はまったくしてない私だし、将来のビジョンも何も見えていないだめだめ30歳だけど、とりあえず2014年にやること等は可視化することにしている。
どこに行きたい、何が欲しい、何をやるつもりだ、誰に何をプレゼントしたい、こんな女性になりたい、とか・・・
細かく書いている。完了したことに関しては、消して行く。
1日の初めにそれを見て、1日の終わりにまた同じものを見る。
ほとんどが、あぁ今日もこれもやれなかったと思うことばっかりだけど、一ヶ月単位で見ていくと意外とやるじゃん、私?ということもあるので、次もがんばろうと思う。
大きなことはやれていない。でも1個1個着実にやっていくことが大切。
努力と言う言葉が最近好きだと書いたけど、“ローマは1日にして成らず”と言う言葉がとても好きで。あのローマ帝国だって長い長い時間をかけたんだから、時間がかかるのは当たり前だと思うことにしている。“千里の道も一歩から”とかも同じ意味だけど、こっちはなんだか気が遠くなる気がするのでちょっと苦手・・・。

そういうわけで、2014年以降の旅行プランはこうなりました。(ひまなだけ)
だんだん赤が増えますように!
https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zEHYQbnOolVs.k8iElepWW48A


先週風邪で一週間お休みしていたので、久々に職場へ赴きました。はぁー。なんて言うのかなー、仕事をした後にこんなに落ち込まないといけないなんてねー。 何度も言うが、自分の英語力のなさ、それから自分の不注意さ、甘えが露骨に出てしまうんだよね、今の仕事。というか環境。 というか、...

先週風邪で一週間お休みしていたので、久々に職場へ赴きました。はぁー。なんて言うのかなー、仕事をした後にこんなに落ち込まないといけないなんてねー。

何度も言うが、自分の英語力のなさ、それから自分の不注意さ、甘えが露骨に出てしまうんだよね、今の仕事。というか環境。

というか、仕事ってそういうものだよね。私はたまに働いていない時期があったりするけど、皆ちゃんと働いてて本当に偉いなと思うよ。

やろうと意気込んでいた英語の勉強も今年に入ってからぱったり。何やってるんだかね。

私は目標を立てるのが好きなので、目標を立ててみた。
1.人に頼らない
2.自分に厳しく
3.慎重になる

他にも目標はいろいろあるけど、今回のトピックについての目標はこの3点。
30歳にもなると、自分の性格ってこうだって決めてしまって、なかなかそれを改善することって難しいけど、それでも今より幸せになるためには、今よりも高みに昇るためにはそれをがんばってがんばって改善していくしかないと思う。時間はかかるかもしれない。でもやらなきゃ。満足できない、幸せじゃないと思うだったらやらなきゃ。それって結局努力しかないと思うんだよね。

若い時、もっとも嫌いな言葉の1つだった“努力”。今は最も好きな言葉として、努力という言葉に王冠を進呈したいくらいだわ。