オットー・ヴァイトと言う人をご存知だろうか?日本でそのドイツ人の名前を知っている人は少ないだろう。かく言う私もベルリンに移り住むまで、その名前はおろか、存在すら知らなかった。  1883年、その人はドイツの海辺の街・ロストックにて生まれた。ベルリンへ移住後、紆余曲折を経て、箒と...

オットー・ヴァイトと言う人をご存知だろうか?日本でそのドイツ人の名前を知っている人は少ないだろう。かく言う私もベルリンに移り住むまで、その名前はおろか、存在すら知らなかった。
 1883年、その人はドイツの海辺の街・ロストックにて生まれた。ベルリンへ移住後、紆余曲折を経て、箒とブラシ製造業を始めた。当時その工場で雇われていた従業員は視覚、もしくは聴力に障害を持つ人たちばかりだった。そしてそのほとんどがユダヤ人だった。

ベルリン、ユダヤ人、そして彼らが生きた時代。こんな風にわざわざ並べなくても、歴史を一度でも学んだ人ならば、彼らが辿った運命は安易に想像できるだろう。反ナチだったオットー・ヴァイトは狂気吹き荒れる第二次世界大戦下のベルリンで盲目のユダヤ人たちを匿い続けた。映画「シンドラーのリスト」を引き合いに出せば、わかりやすいだろうか。自分の危険さえも省みず。

 戦後69年が経った今でもその工場はミッテと呼ばれるベルリンの中心部にひっそりと存在し続けている。

 私はミッテを特にすることもなくぼんやりと歩いていた。その日偶然辿り着いたその場所はいつか足を運ばなくてはならないと思いつつ、同時に避けていた場所でもあった。見たくはない事実を直視することはいつだって難しいものだ。

中庭はカフェになっています。


2列目の中ほど、黒い服を着た人がオットー・ヴァイト氏。


この後ろに、“隠れ部屋”があった。
敷地内へ入るとそこはとてもピースフルな印象だ。アーティストたちがたくさんの絵を描いているからかもしれない。そして現在は博物館として保存されている工場内に入る。そこは69年前から時が止まっている。

 そこで初めて、オットー・ヴァイト氏の写真を見たのだが、ドイツ人にしては小柄な体型がとても印象的だった。あの頃のまま残された作業台からは、今にも話し声が聞こえて来そうだった。1933年以前のそこは、愚痴や冗談、そして笑い声に溢れていただろう。会社で働く私たちの1日と同じようだっただろう。もしかしたら従業員の子供たちが中庭で遊んでいたかもしれない。ドイツ人、ユダヤ人、関係なく、ただ平等に太陽の下で。しかし、時代は容赦なく、彼らから希望や人間の尊厳、すべてを奪っていく。 

オットー・ヴァイトの尽力も空しく、大戦末期ほとんどの従業員がゲシュタポに連行され、そしてかの悪名高きアウシュヴィッツでその命を落としている。オットー自身は終戦の2年後、亡くなっている。

私は、ベルリンの狂気の12年とオットー・ヴァイトの戦後の2年に思いを巡らせる。オットー・ヴァイトという人は亡くなるまでの2年間をどのように過ごしたのだろうか。私には彼が従業員を守れなかった悔しさの中で生きたような気がするのだ。もちろん、そんなこと、私が想像するに過ぎないのだが。「想像力が豊かだね」と言われればそれまでなのだが、それでもベルリンにいると、過去が目の前に広がるような錯覚に陥ることがよくある。古い教会に行くと、涙が勝手に出てくることもある。人々の悲しみや祈りや光への強烈な憧れ、自分の感情ではないものを感じることがよくある。

この街はそういうところ。

「ナチの犠牲者としてのユダヤ人」ではなく、彼らが生きた証を感じられてよかった。彼らの日常を感じられてよかった。それは「戦争は悲惨だ、レイシズムは悪だ」と等しく大切なことではないだろうか。

どうか彼らが安らかに眠れますように。
 

今日は大好きな母の誕生日です。朝、母に電話したら、「毎年晴れるのに、今日は曇りなのよ~」と遠い遠い故郷の天気を教えてくれました。 桜が咲く季節だからか、私は母の誕生日が大好きです。そして母の誕生日にはいろいろな思い出があります。 愛する妻のために、せっかく父が花束とワインを...

今日は大好きな母の誕生日です。朝、母に電話したら、「毎年晴れるのに、今日は曇りなのよ~」と遠い遠い故郷の天気を教えてくれました。

桜が咲く季節だからか、私は母の誕生日が大好きです。そして母の誕生日にはいろいろな思い出があります。
愛する妻のために、せっかく父が花束とワインを買って来たのに「んー。あたし、むしろビール派!」と言って父をしょんぼりさせたことや(今日もそのことを思い出して父と一緒に笑いました)、高校を卒業したての頃、母のために弟と一緒にディナーを作ったことや、もっとずーーと前、私が10歳くらいの頃、弟とSEIYUのマックスファクターに行ってその時はわかりもしなかったマニキュアをプレゼントしたことや、Gジャンの袖にチューリップを一輪忍ばせて、家に持って帰って母を驚かせようとしたものの、温かさでチューリップが全開になって、自分の過ちに本気で泣きそうになったこととか。(父の誕生日は父の誕生日でこれまたいろんな思い出がありますが、それはまた別の機会に)それらの思い出たちは微笑ましい気持ちにさせてくれると同時に、なんだか切なくもあります。 

今年の母の誕生日は、母とのいくつかの約束のうちの1つだった絵本を彼女にプレゼントしました。私は、小さい頃からひたすら本を読んでいる子供だったからか、「えみちゃんは絵本を書いたらいいと思うな!」といい続けていた母にやっと報いることが出来ました。文章は私が書いて、挿絵はアーティストの友達で母が愛して止まないミズハに頼みました。私の未熟な文章に素晴らしい挿絵をつけてくれたミズハに心から感謝します。英文は自分で付けましたが、完璧からは程遠いことはよくわかっているので、昔うちにホームステイしていたアメリカ人の女の子に校正を頼みました。先ほど、郵便局の方が無事に母の元へ届けてくれました。 



 絵本については、自分の文章や内容に課題が残るけれど、世界観は自分らしいものが出来たのではないかと思います。自分が見てきたものや聞いたもの、そして本当は見なくて良かったもの、知らない方が幸せだったことを詰め込みました。今お見せできないのが残念ですが、いつか見て頂ければ幸いです。他にもいくつかアイデアが浮かんでいるので、もっとちゃんと絵本に取り組みたいなと思いました。  


昔から「瓜二つ」と言われるほど似ている母と私。自分でも年々年を追う毎に母に似てきているのがわかります。いつもいつも私の見方でいてくれる母。そして大好きな父。  

あなたたちが30年間思ってくれたことと等しく、あなたたちの娘もいつもあなたたちを思ってます。

世界中、どこにいても。

最近、もうちょっと髪や頭皮について考えようと思い立ち、シャンプーとヘアマスクをオーガニックに変えてみた。ドイツに来てから髪は2日に1回しか洗わないので、少しでも良いものを使いたい。 「髪を2日に1回しか洗わない」の文章に「!!」と思ったあなた。そうだよね。私だって2013年ま...

最近、もうちょっと髪や頭皮について考えようと思い立ち、シャンプーとヘアマスクをオーガニックに変えてみた。ドイツに来てから髪は2日に1回しか洗わないので、少しでも良いものを使いたい。

「髪を2日に1回しか洗わない」の文章に「!!」と思ったあなた。そうだよね。私だって2013年までは毎日髪を洗う女子だったさ。日本ではそれが普通だった。でもドイツで髪を毎日洗ってる女子なんていないんじゃないかしら。「水が無駄だし、頭皮に悪いよ」と言われた時の衝撃と言ったらなかったね。それがドイツの習慣だからそれに従っているというより、硬水+カルキのせいで、髪がばさばさ、かつ頭皮がすごく乾燥するので、毎日洗ってたら大変なことになるんだよね。 

で、シャンプーをオーガニックに変えたという話。ドイツはオーガニック製品がとても充実しているので、困ることはない。どのオーガニックのシャンプーがいいのかいろいろ実験中。 

感想は、どれを使っても「すごくいい!」。というか私の場合、髪が健康的になりすぎて、巻けないという問題が・・・。髪に問題を抱えているあなた、是非オーガニックのヘアケアをお勧めします!

と、言ってはみたものの、今回のブログのタイトルは「ドイツ人について」。話には続きがあるのです。

このオーガニックのシャンプー、お勧めしたいくらいいいのだけど、匂いがね~びみょー。男の子ってさ、シャンプーの匂い、好きじゃない?やっぱり「いい香りするね」と言われたいじゃない?

いい匂い、しません!

そしてそのへんがドイツらしいよね。「効能はいいんだから香りなんてどうでもよくない?」みたいなね。日本人からしたら、いやーそうだけどさ~・・・」と思うところなんだよね。 そもそも日本人の本領ってここからじゃない?プラスαのサービス、みたいな。なくても困らないけど、あったらもっと幸せ!というか。 

でもドイツ人の場合は、
「シャンプーとは髪の毛を洗う液体であり、良い香りを纏うためのものではない」 以上!
という感じ。それ以上、議論の余地もなし。
お風呂だって、「お風呂は体を洗うための手段であり、リラックスするための手段ではない」以上!
食事も「食事は生きていくために必須のものであり、エンターテイメントではない」以上!
「化粧なんてしなくたって、着飾らなくってもあなたの美しさが変わるわけではない」以上!

で、前述のように髪を2日に1回しか洗わなくても「それが、何か?水を無駄にしない女性の方が素敵だよ」となるわけです、はい。

うまく説明できたかわからないけれど、ドイツ人ってこういう人たち。 

たまにむかついたり、愛しいと思ったり。 

世界中、どこで働いていようともストレスから解放されることなどないとつくづく思う今日この頃。日本みたいに無意味に長時間仕事場に拘束されることはないけれど、外国で働くってやっぱり大変。 このブログは、「外国で働きたい!」とモチベーション高い人にはまったく役には立たないことは必須だけれ...

世界中、どこで働いていようともストレスから解放されることなどないとつくづく思う今日この頃。日本みたいに無意味に長時間仕事場に拘束されることはないけれど、外国で働くってやっぱり大変。 このブログは、「外国で働きたい!」とモチベーション高い人にはまったく役には立たないことは必須だけれども、偶然にも目に留めてくれた人が頭の片隅に置いてくれて、将来子供を育てる時にでも思い出してくれればいいなと思う。

今日チーム内のミーティングで、1つのトピックについて皆で話し合うって言うことをした。職場環境を良くするためにみんなで意見を出し合おうというオーソドックスなものだったんだけど、私は結構まごついた。そもそも説明がうまく飲み込めてなくて、何を話し合っていいのかよくわかってなかったというのが大きいけど、皆、本当によく意見を出すなぁと関心したよ。そして意見がクリエーティブ!ばんばん意見を出して、どんどん進んでいく。早い。

私、こういうの、すごく苦手。意見、ない。たぶん他の話し合いでも意見ないけど、「職場環境を良くしよう!」なんて、日本人の私からしたら、これ以上何をどうするのさ!?って感じだし。

外国に住んでるとよく思うことだけど英語が話せたところで(私は言語にもコンプレックスがあるけど)、やっぱり文化の違いって大きいなぁと思う。欧米人の子達ってこういうディスカッションを小さい頃からずっとやってきてるんだろうな。言い訳になってしまうけれど、この慣れってすごく大きい。
思い出してみると、こういう機会を私はことある毎に避けてきたなぁ。「ディスカッションに積極的な人ってなんだかやる気のある人みたいでやだ」というくだらない理由で。日本にいる時はなんかすごく変なところにこだわってたなぁと思う。若さの成せる技なのか?  

英語教育が叫ばれて長い日本だけれど、今の子供たちはこういう場を持つ機会が私たちの頃より増えているのだろうか?英語教育だけを国際化への道だと考えてる大馬鹿野郎は文部省にはまさかいないでしょうね!?
子供を育てる時、国際的に活躍する人に育てたい!と思うのならば知って欲しい。それは英語が話せるだけじゃダメだ。依存体質の人はまず外国では暮らしていけない。自分の意見を明確に言えない人は埋もれて暮らしていくしかない(でも“自己主張”ではないのだよ、これが)。自分で考える力さえない人は愛想を付かされる。
これらのことは未だに私を悩ませるものだったりする。
最近近の日本の親達を見ていると、子供の可能性を広げてあげたいと思う親心からいろいろしてあげすぎて、逆に思考回路を奪っているのではないかと思う。そんなことしていると、考えない子供が育ってしまうのではないだろうか。そして結局、国際社会では活躍できない。  
 
私はまだ子供がいないので言いたいことを言えるけど、親には親にしかわからないとも思う。だから私は外国で暮らしたことのある人にしかわからないことを言うことにする。 

   今日はこの映画をチョイス。昨日から個人的に落ち込んでいたので、なんとなくクイーンを見たくなった。というのも、2年ほど前に前作を観た時に、「誰も完璧な人などいない。苦しんでいない人などいない。何かを犠牲にしていない人なんていない。イングランドのクイーン・エリザベスで...

 


 今日はこの映画をチョイス。昨日から個人的に落ち込んでいたので、なんとなくクイーンを見たくなった。というのも、2年ほど前に前作を観た時に、「誰も完璧な人などいない。苦しんでいない人などいない。何かを犠牲にしていない人なんていない。イングランドのクイーン・エリザベスでさえ」と思ったから。ただのエンターテイメント戦争映画(?)ではないんです、この映画。

今回はクイーンの治世初期からスペインの無敵艦隊を破り“黄金期”と呼ばれる時期までを書いている。今回も女王は多くのものを犠牲にして、イングランドのために生きていらっしゃいました。自分で選べる人生ではなかっただろうけれど、「クイーンとして生きる」と決めて、そのためにいろんなものを犠牲にする過程に(もちろんレベルはまったく違うけれど)すごく共感した。そういう意味で今日観るべき映画だったな。見終わった後はなんだかすっきり。

しかしながら・・・・

やっぱり私はイングランドVSスペインならば、やっぱりスペインの肩を持ってしまうのよね~。イングランドの洗練された教会も素敵だと思うけれど、あのスペインのごたごたしている感じの教会にどうしても親近感を覚えてしまうよ。そしてやっぱりスペイン語が好きだし、スペイン人の方が親しみやすいなー、なんて映画とはまったく関係のない感想を持ってしまう私。マドリッドから帰って来てからというもの、スペインが恋しくてしょうがない。スペイン語が恋しくてしょうがない。なんなら10年後はスペインに住んでるかもなぁ、なんて愛して止まないベルリンを裏切る想像までしてしまったり。でも今度はマドリッドではなく、バルセロナだな。

そして、この映画を観た後は英語がイングランド風になる私。下手な英語を聞くと、英語が下手になる私。方言も写りやすい。どんだけ影響受けやすいんだろう。

先日おもしろい記事を読んだので、それに関連することを少し書こうと思います。その記事の題名はずばり『ナンパをしないドイツ人』。リンクを張ろうと思ったら、なぜかもう見れなくなっていたので、少し説明。イタリアやフランスなんかに長く住んでいた日本人女性がドイツに来るとナンパが少なくて、び...

先日おもしろい記事を読んだので、それに関連することを少し書こうと思います。その記事の題名はずばり『ナンパをしないドイツ人』。リンクを張ろうと思ったら、なぜかもう見れなくなっていたので、少し説明。イタリアやフランスなんかに長く住んでいた日本人女性がドイツに来るとナンパが少なくて、びっくりするとか。ドイツ人は一般的に言って、そこまでナンパをする国民性ではない・・・との記事。そういうところ、日本人と似てますよね、云々。

激しく納得。

クラブとかでは声をかけられるけど、そうじゃなかったら別に声なんてかけられない。でも絶対にトルコ系だと思う人たちは、やたらウインクしてくる 笑。 

この記事を読んだ後で、思い出したのがオフィスでのこと。イタリア人とスペイン人とフランス人は全然違うチームに属していても話しかけてくる。ナンパ心じゃないにしても、話しかけてくる。英語には“How are you?”という便利な言葉がありますからね。しかし。ドイツ人や北欧系の人に気軽に話しかけられたこと、ない。皆優しいけど、そういう気軽さは、まったくと言っていいほど、ない。

先日スペイン人に行った時に改めて感じたことは、スペイン人の会話は“How are you? (Que tal?)”に前後して、“Que guapa!(なんてかわいいの、なんてキレイなの!)”というところから始まる。街中を見てみても、スペインの女性は女らしいというか、とてもグラマラスな人が多い。それに比べてドイツ人女性はハンサムな女性が多いと思う。イタリアやフランスもグラマラスな女性が多いことを考えると、この男性達の褒め言葉やナンパな気質が女性が女性であることを助けているのではないかとさえ思う。 

私は「自分磨き」という言葉が、どうも苦手で、そういうこと言われるとなんだかちょっと困った気持ちになってしまう。向上心は大切だ。でも、女性は男性によって磨かれるべきものだと思う。「自分磨き」や「女子力」に代表される言葉の男性不在に私はさみしいものを感じる。男性があってこその女性だよ。そして逆もまた叱り。男尊女卑とかじゃなくて、お互い不可欠な存在と言う意味で。 

そう言う意味で、ラテン男子に磨かれてこそラテン女子たちは輝いていることがよくわかる。

さて、硬派(?)なドイツ人男子と日本人男子をパートナーに持つドイツ人女性と日本人女性。どんどん男性的になってハンサムガール化していく前者とどこまでもガーリー化が進む後者。その対極に驚くばかり。

 もう長いこと忘れていたけれど、ずっと若い頃、私はとある男性と付き合っていた。昨日彼のことをふと思い出した。そして私が彼にお願いしたことを。 私よりもずっと年上だったその人は、その頃もうすでに若くはなかった。いろんなことを諦めていた。いろんなものを犠牲にしていた。彼の人生はペ...

 もう長いこと忘れていたけれど、ずっと若い頃、私はとある男性と付き合っていた。昨日彼のことをふと思い出した。そして私が彼にお願いしたことを。

私よりもずっと年上だったその人は、その頃もうすでに若くはなかった。いろんなことを諦めていた。いろんなものを犠牲にしていた。彼の人生はペインフルだった。彼はいろんなものに縛られていて、もうほとんど身動きさえも取れないでいた。それとは対象に、私はまだ若く、希望に満ちていた。少なくとも、今よりは。

「君を見てると、自分の若い頃を見てるみたいだ」
彼は私を見てはそう言った。彼が捨てていかざるを得なかったものを、私はその時まだ持っていた。彼はきっと、いくつかの過程で彼が無くさざるを得なかったものが強烈に恋しかったのだと思う。 

なぜ私はそれを彼にお願いしたのだろうと今ではわからない。でも私は彼にだけお願いしたことがある。長く付き合った彼にも一度も言ったことはない。後にも先にも彼だけだ。 
「私があなたより先に死んだら、私の骨を盗んでくれる?」
それはきっと、「私が死んだら、一緒に死んでくれる?」と同じくらいの情熱で。彼は「そんなこと親に頼んでくれよ」と困った顔をして苦笑いしたけれど。その時私はまだ日本にいて、狭いお墓に埋もれることがどうしても耐えられなかったから、私が死んだら骨を海に流して欲しいと本気で思っていたのだ。そしたら世界中どこにでも行ける気がしていた。それをやってくれるのは、彼しかいない気がした。きっと私の親は面倒くさがって、私の望みを叶えてくれなさそうになかったから。 

彼は私との約束を覚えているだろうか。私が死んだら彼は私の骨を盗んで、海に流してくれるだろうか? 

残念ながら世界を旅した今では、死んだら自分の生まれた土地で眠りたいと思うようになってしまったし、私もいろんなものを諦めたし、私の人生なんてすっかりホープレスになってしまった。もうきっと、あの頃彼が好きだった私はもういないだろう。彼はそれをさみしいと思うだろうか。それとも変わらぬ包容力で見守ってくれるのだろうか。
 私は私の白い骨を抱えた滑稽で忠実な彼を想像して、笑ってしまう。そしてあの時の彼の困った顔や、その後笑い転げたことを思い出す。あの時聴いていた音楽や、話したこと、夜の感じまで。  

なぜこんなことを思い出すのだろうなと考えていたら、今日は彼の誕生日だった。

数年前の今日、私は彼と一緒にいた。もう何年もおめでとうと言っていない。今後も言うことなどないだろう。私の人生で一度だけ、あの年の彼の誕生日だけ一緒にいただけなのだから。 

彼があの後どういう人生を送ったか、今どうしているのか興味もないけれど、彼を思い出すと思い出す言葉がある。
それは、昔読んだリルケの言葉。

“男に心から愛された経験をもつ女は一生孤独に苦しむことはない”

それが一瞬だったとしても、そういう瞬間を持てた人間はやはり幸せだと思うのだ。 

5年ぶり(というかほぼ6年ぶり)にスペインに行ってきました!1月に3月末までに有給を消化しないといけないことがわかって、どこに行こうって考えた時、1番最初に頭に浮かんで来たのがマドリッドでした。私は2008年に8ヶ月間だけですがマドリッドに住んでいたのでちょっとした里帰りのような...

5年ぶり(というかほぼ6年ぶり)にスペインに行ってきました!1月に3月末までに有給を消化しないといけないことがわかって、どこに行こうって考えた時、1番最初に頭に浮かんで来たのがマドリッドでした。私は2008年に8ヶ月間だけですがマドリッドに住んでいたのでちょっとした里帰りのような気分でした。「そうだ、マドリッドに行こう!」と決めてからの私のどきどきと言ったらなかったです。旅行を続けていくと、残念なことに“旅行に行く高揚感”はあまり感じなくなるものです。なのでそういうドキドキしてる自分すらなんとなく新鮮で、嬉しかったのです。

マドリッドに着いて、5年前と同じカジェ(道のこと)を歩いたらどれほど感動することだろう、泣いてしまうかもしれない、なんて思っていましたが、感動したのも一瞬でその後はまだ自分がここに住んでいるような感覚になりました。愛して止まないベルリンの存在も忘れてしまうようなそんなひと時でした。 

私はベルリンでもスペイン人たちと仲が良いので、よくスペインの話を聞いていました。1番仲の良いスペイン人の子が「あなたの知ってるスペインはもうないよ。経済危機ですべてが変わってしまった」と言っていたので、やはり身構えるものがありました。ただ、マドリッドに行ってみると、表面上は何も変わっていないように見えました。季節がよかったのかもしれません。長い冬が終わって、希望の春を迎え、とてもエネルギーに満ちているようにすら見えました。

ただ、スペイン人とちょっと話してみると、やっぱり経済危機はスペインに暗い影を落としていることもよくわかりました。スペイン語を習っていた先生、友達、それから道を聞いて立ち話したおばあちゃん、タクシーの運転手、誰もが悲観的になっていたのは事実でした。

3年前の東日本大震災の時、私は被災しなかったけれど、スペイン人の友人たちが日本に向けて送ってくれた言葉、“Fuerza”(強くあれ/日本語にしたら、「がんばれ」的な意味合いになるんでしょうか)を彼らに送ります。

奇しくも、スペインに旅立つ前読んでいたのはアーネストヘミングウェイの「日はまた昇る」。
日はまたきっと、昇る。