7月1日でドイツに来て、1年が経つ。(ベルリンに到着したのは7月2日だけども)ベルリンに来る前も、ベルリンに来てからも、「なんでベルリンなの?」と聞かれることがよくあるけれど、はっきり言って、理由はない。  寝ても冷めてもロンドンと言い続け、あんなに恋焦がれたUKなのに、ユース...

7月1日でドイツに来て、1年が経つ。(ベルリンに到着したのは7月2日だけども)ベルリンに来る前も、ベルリンに来てからも、「なんでベルリンなの?」と聞かれることがよくあるけれど、はっきり言って、理由はない。
 寝ても冷めてもロンドンと言い続け、あんなに恋焦がれたUKなのに、ユースモビリティビザ(他の国で言うワーキングホリデーのこと)の抽選漏れの憂き目に合い、だったらフランスかなー、パリはいつかは住んでみたいと思ってたし。でもビザの申請が複雑すぎる、大阪までビザを申請に行くのも面倒すぎる、と延ばし延ばしにしていた矢先、フランスワーキングホリデーの申請要綱が突如変更になり、パティシエや料理人等の専門職以外の人は応募出来なくなり、だったらドイツかー、ドイツかー、ドイツなのか?という感じでドイツに来た。
そもそもドイツという国に微塵も興味がなく、むしろドイツ人なんて結構苦手だったし、ワールドカップの試合等でドイツが勝っても「おもしろくない試合しやがって」と言う様だった。でも「ドイツであってドイツではない」というベルリンにはいつか来たいと思ってたし、というよりThe ドイツという街(ミュンヘンやデュッセルドルフやフランクフルトのこと)には住みたくないと思っていたので、完全に消去法でベルリンに来ることを決めた。 
が、来るや否や、即座にベルリンに恋に落ちた。季節がよかったのかもしれない。6月以前、9月以降にここに来ていたら毎日灰色の雲が垂れ込めるこの街を嫌いになっていたと思う。
 それでもやっぱりお金もなかったし、ドイツ語も当然話せなかったし、勉強する気もなかったので、2ヶ月くらい滞在したら否応無しに日本に帰国せざるを得ない状況だった。その時29歳で、30歳を区切りにワーキングホリデーのビザは取れなくなるし、大陸を跨ぐ引越しを繰り返していたのでそういう生活に疲れ果てていた頃でもあったので、これが最後の海外遠征だろうと思っていた。
 10月、当たり前だけど、見事にお金がなくなった。そろそろ帰国しなきゃな、でもベルリンが好きだな、まだここにいたいなぁと思っていたところ、偶然仕事が見つかった。さらには就労ビザも下りた。他人から見てどう見えるのかわからないけど(ある程度は想像付くけれど)、もちろん楽しいことばかりじゃなくて、こないだ日本に帰る前なんて、「もう日本に帰りたい!!」と思うほど落ち込んでいて、日本に帰ることが目前まで見えて来てたのに、日本に帰ったら帰ったでまさかの失恋騒動で、日本に帰る機会をこれまた逃す。そしてまだベルリンにいる。 
こないだこの話を友達にしていたら、「それは自分で出せなかった答えを目の前に“はいっ!”って出された感じだね~」と言われた。私はこっちに家族がいるわけでもないし、まだまだ自由が効く身なので、どこで暮らした方が自分にとって1番良いか常に迷っている。
 でもきっとそれはベルリンなんだと思う。
 夏なんて犬の糞で匂い立つし、おかげで蝿も多いし、道路はがったがたなのでハイヒールなんて履けないし、誰がどう見ても美しいという街ではないし、6月も終わりだと言うのに普通に寒いし、首都なのに欧州の優等生・ドイツのお荷物的立場で貧乏で、それでもベルリンが好きだ。
「自分の人生なのに、好きなように生きなかったら意味ないじゃん?」という自由な雰囲気も、多様性に富んでいるところも、なんとなく残念なところも、心の底から光に憧れる感じも、暗い過去も未来に向かって進んでいくその様子も、そしてどこかさみしいところも。 
私のタイプの男性像に似ているからかもしれない。私のタイプの男性は「尊敬できる人」ではなく、「尊敬できない部分を見た時にそれでも愛せる人」だった。ベルリンは私にとってまさにそういう街だと思う。あーここが残念!でもむしろそこが愛しい!というような。それでもベルリンが私をいろんな悩みや煩悩から解き放ってくれた部分はとても大きく、あんなにいろんな国に住んでみたいと思っていたのに、もうこの街以外に住みたいとは思わなくなった。それはたぶんロンドンでもパリでも東京でもなくて、私にとってはベルリン以外の都市では有り得なかったと思う。
 

あの時やっぱりこうしておけばよかったと思うこともいっぱいあったし、日本を出たことが自分にとってよかったのかはやっぱり今でもわからないけれど、“旅行”という小さな意味ではなくそれ以上に“経験”という意味で、日本を出てから見てきたいろいろな景色を見なかった方がよかったとはやっぱりどうしても思えない。そう思えた時、やっとそれ以前の過去を否定する必要もないとわかった。でも勘違いしてほしくないのは、日本を出た方がいいと言っているわけではなくて、私にとってそれが大きな転機だったという意味以上はない。目の前にあるものを愛せる人はやっぱりとても幸せなことだと思うから。反対に目の前にあるものを愛せなくて苦しかったら、出て行ってもいいと思う。日本というくくりではなくても、職場でも今住んでいる場所からでも、その環境から。ベルリンがあなたを待っているかもしれない、いないかもしれない。でもここはホープレスたちが夢見ることが許された場所です。 

 いつかビザ問題や、今以上に打ちひしがれたり、いろんな事情でどこか違うところに移住することもあるかもしれないけど、今は世界で最も愛する街に住めてやっぱり良かったと思う。

さて本日は親友の誕生日。いつもにこにこしてる彼女。これからももっともっと幸せでいてね!

ベルリンへ帰る前日、ちょうど日が沈む頃、筑後川を見に行った。私は筑後川のほとりで育ったからか川が大好きで、やっぱり世界中いろんなところに行っても筑後川を臨む風景以上に好きなものはこの世にはないと思う。夕陽が水面に反射してきらきらと光る様子や、河川敷で少年達が野球をしている風景、繋...

ベルリンへ帰る前日、ちょうど日が沈む頃、筑後川を見に行った。私は筑後川のほとりで育ったからか川が大好きで、やっぱり世界中いろんなところに行っても筑後川を臨む風景以上に好きなものはこの世にはないと思う。夕陽が水面に反射してきらきらと光る様子や、河川敷で少年達が野球をしている風景、繋がれた船たち、それからもうすぐ海に辿り着く感じがたまらなく好きなのだ。 

海も好きで、あの身に纏わり付くような湿気や、濡れた砂の不快感、それから波の音、それらもどうしようもなく好きだけど、海がない場所には住めても、川のない街に住みたいと思ったことはない。

もう立ち上がれないと思った時、私はいつも筑後川を見に行っていた。今後の人生のために大きな決断をしないといけなくて、それが正しいのかさえわからなかった時、昇開橋と呼ばれる赤い橋を見ながら、一人でずっとOasisを聞いていた。もう思い出したくもないシンガポール時代、1番懐かしいと思っていたのも筑後川のその風景だった。 

「川が好き」と人に言うと、山の方にある清流と勘違いされるのだけれど、正直に言ってそういう川に私は興味がない。きれいだなとは思うけれど、魅力を感じない。私はどちらかと言うと、下流の川が好きだ。山の奥で川が発生して、いろんな街を通って、すべてを飲み込んで、汚れてもただただ流れて行く、そういう川のただずまいが好きなのだ。世界に何が起こっても、私が悲しんでいても、100年前も100年後もそこを悠々と流れて行く様が好きだ。   

それは人の一生に似ていると思う。嬉しいことや楽しいこと、悲しいことがあって、時には汚れることも必要だけど、すべてを飲み込んでただただ流れて行く。でもきっと、何もなかったことにはならない。もう見えなくなっても、濁流に飲まれて二度と浮かんでこなくても、それがなかったわけじゃない。  

私は、この風景を人生であと何回見ることが出来るのだろうか? シュプレー川も愛してるし、メルボルンのヤラ川も好きだった。プラハのモルダウだって見たし、いつかはブエノスアイレスのラプラタ川も見てみたい。でもやっぱり筑後川の力強い美しさには敵わない。それは自分が生まれてからずっと見てきたものだから。そしてどこにいても帰れる場所だということも今はやっと理解出来た。  

来年も、また帰ってくるね。

 “And all the roads that lead to you were winding
And all the lights that light the way are blinding
There are many things that I would like to say to you
I don't know how

I said maybe
You're gonna be the one who saves me ?
And after all
You're my wonderwall”

-Oasis Wonderwall より 

日本へ2週間帰国していたので、いろいろと書くことはあるはずなのに、まさかの最終日から!笑  ** 日本への帰国最終日は、陶器で有名な有田へのショートトリップをした。せっかくの帰省中だというのに、とあることがきっかけで後半はまったく元気が出なかった。 まー、はっきり言って...

日本へ2週間帰国していたので、いろいろと書くことはあるはずなのに、まさかの最終日から!笑 

**
日本への帰国最終日は、陶器で有名な有田へのショートトリップをした。せっかくの帰省中だというのに、とあることがきっかけで後半はまったく元気が出なかった。

まー、はっきり言って、失恋です。かなり複雑で、ふざけた話で、何を今更言ってやがるんだ馬鹿野郎と思われることを覚悟で言わせてもらうなら、私は日本にいる人がずっと好きだった。20代の前半からずっと付き合っていた人だった。勝手に日本から出て行って、スペイン、オーストラリア、シンガポール、そしてドイツ、いろんな国に行っていろんな人に出会ったにも関わらず、さらにだいぶ前に別れたというのに、私は結局その人が好きだったのだと思う。

私はもう日本に住んでおらず、ここ数年新たな日本での思い出がないためか、日本に戻ってくると3、4年前のまま時が止まってる。有田までの道のりでも、好きな人とこの道をよく通ったなぁ、あの時彼がこんなこと言ってたな、私はけらけらとくだらないことで笑ってたなとか本当に鮮明に思い出しては泣ける。部活動に向かう野球少年の後姿を見ては彼はきっとこんなんだったんだななどと思ってまた泣けた。あまりの鮮明さに眩暈がするほどだった。 

有田はドイツのマイセンと姉妹都市でもある程、焼き物が有名で、古い町並みが残されていて、私と姉はドイツの友達へのお土産を買ったり、写真を撮ったりした。翌日に帰るドイツでの2年目の生活が始まろうとしていた。ベルリンでまたがんばろうと思う反面、さみしさや愚かな自分への後悔や、いろんな感情が混在している感じだった。

ある程度の買い物を終え、焼き物が並ぶ通りから1本奥に入ったところに神社を見つけた。とても高い石畳の階段を昇る必要があったし、とても暑い日だったので、姉と上に昇る必要はないねと話していた。祖母の家にも行く予定があったので、そろそろ行こうかと言った矢先、私はどうしても階段を昇ってみたくなった。あの先には何があるのか、見る必要があると思った。私は10cm以上のハイヒールを履いたまま、石段を登った。かなりよろけながら。

そこにその風景はあった。有田焼きで作られた珍しい鳥居と獅子舞、飾り気のない本堂、それから飲み込まれそうな深い緑。振り返ると、有田町が一望出来た。私は、感動した。私は、この階段を昇るべきだった。もしここに有田焼の鳥居がなくても、私はきっとがっかりはしなかったと思う。

私は小さい頃から、好奇心が旺盛で、自分の目で確かめないと気が済まない人だった。何冊も何冊も本を読んでも、自分の目で見ないことは信じられない人だった。だから、私は日本を出たのだと思う。そこに何があるのか、ただ見たい人だった。その一方で、この数年は「外の世界を知らなければ、私は幸せでいられただろう」と思う日々でもあった。いつまで経っても上手にならない英語や、メンタリティの違い、仕事・・・うまくいかないことばっかりだった。この苦しさを選ぶために、大好きだった彼との日常を捨てたとしたら、人生とはなんと滑稽なことだろう。そして私は自分の人生を選ぶために、彼をとても傷つけたこと、苦しめたこと、それを心の底から後悔していた。思い出す彼の姿は、いつも苦しそうだった。 
 私が外国になんて憧れなければ、望まなければ、犠牲にしなくて良いものがあった。何かを選ぶ時には、すべては選べない。そしてその自ら犠牲にしたものが自分の内面を食いちぎりそうなくらい大きくなっていたことも私は知っていた。前に進んでるつもりで、ただぐるぐると同じところを回っているだけだった。
 でも、この景色を見た時に私は悟った。私はここに来るべきだった。その他の選択肢は有り得なかった。階段を昇った先に何も無くても、私は昇らざるを得ない人なのだ。人にはどうでも良い景色だったかもしれない。でも私には意味があった。 
 
 なんだかとても大きな収穫をしたような気持ちになって、いつもより大金のお賽銭を献上し、彼の幸せを一生懸命祈った。彼1人で幸せになれないなら、彼の今の相方も幸せでいてくれますように。そうお祈りして、帰ろうと振り返った瞬間に、私はやっと気が付いた。 
 自分が苦しくても、いつも私のことを思いやってくれていた彼が、私が私の生きたい道を選んだからと言って、私を恨む筈がなかった。“犠牲”という言葉を使っていたのは、私の自分に対する後悔なのだとやっと気がついた。誰も私の人生のために存在していない、誰も私の人生の犠牲になんかなっていない。彼は彼の人生を生きているだけだ。私が悲しんでも、彼を悲しませるだけだろう。彼はそういう人だった。そして彼が悲しいとき、私もやっぱり悲しかった。

有田からの帰り道、相変わらず彼のことを思っていた。彼もこういう気持ちでこの景色を見ただろう。彼が受けた痛みに比べたら、私のこの痛みなどなんでもないけれど、彼が見た景色を見れてよかった。私はそれを嬉しいとさえ思った。そして、もうこれ以上、同じ景色を見ることはない。一つの景色も。 

私の7年間、そしてその中での幸せだった数年間。「その記憶を死ぬまで忘れることはないと思う」との彼の言葉に、私は何を悲しむ必要があるのだろうか?どうか彼が、彼の太陽に焼けた腕に子犬のようにまとわり付いていた楽しそうだった私をどうか覚えてていてくれますように。 

彼と別れてからは、「彼みたいな人にもう一度出会えますように」と思っていたけれど、今はもう誰にもそれを望まない。それは意味のないことだ。 
私自身が彼のように優しい人になれますように。私の思考回路のすべてを支配していた、私の隣でいつも笑っていたあの男の子。幼い2人が記憶の中で、幸せに笑っていますように。 

ありがとうと言ってくれてありがとう。働きすぎないで。 私も、もう行くね。