ベルリン郊外の森で切ってきたモミの木にクリスマスの飾りつけ。  わざわざ森まで行くところがなんとも。 金曜日になると、私のフラットメイトのセリーナ(イタリア人)は彼女の子どもとその友達のためにパンケーキを焼く。 私もまるで彼女の子どもであるかのように、横...

ベルリン郊外の森で切ってきたモミの木にクリスマスの飾りつけ。 
わざわざ森まで行くところがなんとも。



金曜日になると、私のフラットメイトのセリーナ(イタリア人)は彼女の子どもとその友達のためにパンケーキを焼く。


私もまるで彼女の子どもであるかのように、横から“Ummm, Yummy!”とパンケーキの香りを大げさに鼻で吸い込む仕草をすると、「エミの分もあるよ!」と彼女は焼き立てのパンケーキを一枚くれた。ごめんね、欲しいっていうジェスチャーではなかったのよ。パンケーキをどうしても食べたい子どもの浅はかな悪知恵のようで少しバツが悪い。 

パンケーキの材料は、小麦粉とミルク、卵、とてもシンプル。焼きあがったら、バターとキャラメルソースをかけて頂く。

キッチンでがやがや騒ぐ子供たちのイタリア語を聞きながら、ママは大変だね!という意味を込めて、「金曜になると、いつもパンケーキを焼かないといけないね!」と私は言った。

彼女はため息交じりに、イエスと答えたけれど、その後で続けた。

「でもカルロが大きくなった時、金曜はマミーがいつもパンケーキを焼いてくれて、友達と食べたって思い出してくれればいいな。そういう思い出って、消えないでしょう?」

彼女がにっこりと笑ってそう言うと、私の頭の中に小さい頃の思い出がフラッシュバックした。


お休みの日に雨が降ると、私の母はいつもドーナツをつくってくれた。それこそ小麦粉とミルク、それからバターとかの材料に(詳細はわからないけれど)、白砂糖がまぶしてあるだけのとてもシンプルなものだった。けれど、私たち子どもたちの小さな胃袋と満足感を満たしてくれるには十分だった。

ふわふわと柔らかい小麦粉を触りたくてしょうがなかったこと、ドーナツを形にする前にペロッと味見をする時のちょっとした禁断の味、ドーナツを揚げる音を聞きながら待っている時が一番楽しみだったこととか、砂糖をまぶした瞬間のときめきとか、確かに忘れてない。 

あれはまだ、古いおうちにみんなでぎゅうぎゅうになって暮らしていた時のこと。


揚げたてのドーナツの味は、外で遊べない子どもたちの欝々とした日を何か特別なものに変えてくれる魔法みたいだった(でも私は、小さい頃からインドア派だったので、皆が家の中にいることがうれしかった!)。

少し焦げてしまったドーナツをわざわざ父が選んで食べていたことに私は気が付いていた。「お父さん、それ焦げてるよ」というと、「お父さんはこれが好きなんだよ」と父が言った。父が好きというそれは何かとても甘美なもののように見えた。私はそれが食べたくてしょうがなかったけれど、その焦げたドーナツは私やきょうだいの口に入ることはなかった。

甘いドーナツの味はお母さんの味。苦いドーナツはお父さんの味。



何回かこのブログにも書いたけれど、私は雨の日が嫌いではない。むしろ好きだ。

こういう思い出から雨の日が始まれば、雨の日を嫌いになんてなるはずがないよね、とそのことを親に感謝した。

もう亡くなってずいぶん経つけれど、今でも大好きな作家の森瑤子さんは生前、午後4時になると家族も誰もいないリビングで一人でジントニックを飲むのが好きだったらしい。 午前中に家事をすべて片付けて、昼から取り掛かった執筆を午後3時までに目途をつけて、すべて片付いたリビングで一人...

もう亡くなってずいぶん経つけれど、今でも大好きな作家の森瑤子さんは生前、午後4時になると家族も誰もいないリビングで一人でジントニックを飲むのが好きだったらしい。

午前中に家事をすべて片付けて、昼から取り掛かった執筆を午後3時までに目途をつけて、すべて片付いたリビングで一人でよく冷えたジントニックを飲む時、「生きていてよかった」と思うのだと、

同じく作家の山田詠美さんが女性誌のエッセイで書いていた。

まだ若かった詠美さんが、「なぜ午後4時なんですか?」と尋ねると、森さんはそんなこともわからないの?と言いたげに、

「午後3時のお酒はただの自堕落、午後5時からのお酒はカタギの人でも飲めるじゃない」と言っていたのだそう。

午後4時のお酒、作家にだけ与えられた権利。 


私もいつか午後4時のお酒に酔いしれてみたい!と思ったものだった。




何が言いたいかというと、今日私も午後4時からお酒を飲んでいたということ。



もちろん仕事はそれまでに終わらせたけど、作家でもない私の午後4時のお酒は自堕落以外の何物でもないなぁ・・・と思ったという話。



午後4時の、生きててよかった!というお酒はまだまだ飲めそうにない。いつか飲める日がくるんだろうか。 

おしゃれ感も何もない写真で恐縮です・・・


ドイツの冬が好きだ、とドイツ人たちに言うと、彼らは一斉に眉をしかめる。「こんなに毎日曇り空なのに、どこがいいのさ!僕は嫌いだね」と彼らは口を揃える。 ドイツ人とこの手の話をしていておもしろいな、と思うのは、彼らにとっては寒さはそこまで苦ではないらしいということ。彼らの口から出...

ドイツの冬が好きだ、とドイツ人たちに言うと、彼らは一斉に眉をしかめる。「こんなに毎日曇り空なのに、どこがいいのさ!僕は嫌いだね」と彼らは口を揃える。

ドイツ人とこの手の話をしていておもしろいな、と思うのは、彼らにとっては寒さはそこまで苦ではないらしいということ。彼らの口から出るのはとにかく天気、日照時間のこと。日光を浴びれないことは彼らの精神状態にどこまでも悪影響を及ぼすらしい。


私はと言えば、寒さについてはほぼ毎日不平を言っている。曇り空については実はそこまで苦ではない。10代の頃から憧れたヨーロッパの空はたいていが曇り空だったので、憬れ続けた世界の中にいるという事実がやはり今でもうれしいのだと思う。 

さて、そんなドイツの11月。

ついにクリスマスマーケットが始まった。





ベルリン歴3年半にして初めてカイザー・ヴィルヘルム記念教会の中へ。
外側は第二次世界大戦中、爆撃を受けて壊れた時のまま。
きらびやかな地区にその姿が残っていることにその意味を感じる。 

この教会の前でクリスマスマーケットは開催されている。

Kudamm (ベルリンの随一のショッピング街)で買い物をしたついでにクリスマスマーケットに寄っただけだったけれど、物色するより何よりもグリューワインに飛びつく。温かいワインはなんと人の体を温めてくれることだろう!

ドイツの冬のこういうところが好きだ。寒さの中たまたま見つけたカフェやクリスマスマーケットでグリューワインを飲む。体の中に温かさがじんわりと染みていくと、なんだかとても幸せな気分になる。

「なんか幸せだね!」と言いながら、笑い合う瞬間、冬って悪くないなと思うのだ。

目抜き通り(一応)



2012年から細々とずっと続けてきたブログだったのに、なんと更新が約5ヶ月もあいてしまった。 書くことがなかったわけではないけれど、なんとなくこのブログときちんと向き合えないまま、時だけが流れてしまった、という感じだ。 とても時間が経ってしまったけれど、今やっとまたこちら...

2012年から細々とずっと続けてきたブログだったのに、なんと更新が約5ヶ月もあいてしまった。

書くことがなかったわけではないけれど、なんとなくこのブログときちんと向き合えないまま、時だけが流れてしまった、という感じだ。

とても時間が経ってしまったけれど、今やっとまたこちらでも書きたいなと思えるので、今日からまた再開することにします。美しいドイツとベルリンのことをちょっとずつ書いていけたらいいな。 

さて、週末はKrumme Lankeという湖へ。題名は「秋の湖」となっているけれど、冬の間違いではない。ドイツ人たちの定義によると、どうやら今はまだ秋なのだそうだ。こんなに寒いのに…と思うが、ドイツ人がそう言うならそういうことにしよう。


ドイツの森と言えば・・・昔読んだヘンデルとグレーテルを思い出す


数ヶ月前はここで瑞々しい緑のエネルギーをもらっていたが、今度は足元で人の目を楽しませてくれる。 

いろんな形の葉っぱたち。色とりどり


足元に敷かれた葉っぱの絨毯を子どものように蹴散らしながら歩いてみると、葉っぱの乾いた音がする。遠くからは、鳥たちが水辺で戯れる音が聞こえてた。静かだと、逆にいろんな音が聞こえてくる。森の中の動物たちの息遣いまで聞こえてきそうだ。

と耳を澄ませてみるも、聞こえて来たのは遠くに走る車の音だけだった。 






そろそろ動物たちも冬眠に入る季節なんだろうか。


また春が来て、新しい緑たちが芽吹くころに戻ってきたい。

海外で暮らしたいと思いながらも、ワーキングホリデーや留学以外では外国に長期滞在するのは難しいと思っている方も多いですよね。 私もそうでした。実際に私はスペイン→留学、オーストラリア→ワーホリ、シンガポール→就職、ドイツ→ワーホリ、就職を経て今年の6月に無事にフリーランスビザが...

海外で暮らしたいと思いながらも、ワーキングホリデーや留学以外では外国に長期滞在するのは難しいと思っている方も多いですよね。

私もそうでした。実際に私はスペイン→留学、オーストラリア→ワーホリ、シンガポール→就職、ドイツ→ワーホリ、就職を経て今年の6月に無事にフリーランスビザが取れました。
 
 今回は自身の記録も兼ねて、フリーランスビザの取得準備について書いてみたいと思います。ドイツでビザ問題を抱える誰かの役に立てれば幸いです。


■ドイツ・フリーランスビザ取得の前は何ビザだったの?

余談として書いておきます。

私の場合は、2013年7月にまず観光ビザでドイツに入国しました。ドイツのワーホリビザはドイツ国内で取れるので、私は日本で取得せず、ベルリンでワーホリビザを取得することにしました。

ワーホリで滞在している間にベルリンで仕事が見つかり、2013年の11月から現地企業で働き始めました。この時はまだワーホリビザでしたが、半年も経たないうちに外人局(Ausländerbehörde) にて就労ビザに切り替えることになります。 

ドイツで就労する場合、最初から期間制限なしの契約をもらえる場合と、最初の2年は1年ごとの更新、2年が経つと期間制限なしの契約をもらえる場合があります。私の場合は後者です。  

私は2014年の2月にワーホリビザから前会社で働くための就労ビザに切り替えましたが、最初の1年目は2014年11月までしか契約がなく、まずは2014年2月から11月までの9か月間のビザをもらい、11月のビザの更新で、2016年の2月までのビザをもらいました。

本来であれば会社の契約は2015年の11月までだったのでビザもその期間発給されるはずですが、なぜか4ヶ月余計にもらえました!

通常会社を辞めた時点でビザが失効しますが、私の保持していたビザは即失効ではなく、ビザが発給された2月までは有効とのことでした。会社を辞めた11月から2月までの4ヶ月の間にフリーランスのビザに向けて準備することができたので、これは本当にラッキーでした!おじさん(あの時の外人局の担当の人)、ありがとう!

 日本大使館に問い合わせても「即日失効です」と回答があり、同じ時期に別の会社を辞めた人のビザは即失効だったりと、保持するビザによっては即日失効タイプのものもあるので、外人局にお問い合わせすることをお勧めします。


■フリーランスビザの準備は何をすればいいの?

というわけで、まずは外人局の予約がないことには前へ進みません。 
 
予約はここから。

Ausländerbehörde
http://www.berlin.de/labo/willkommen-in-berlin/termine/#welche

注意事項は、とにかく予約が取れないこと!

ビザ失効ギリギリで予約を取ろうとしても、予約は数ヶ月先ということになってしまい、その間にビザが失効してしまう!という恐ろしい事態にもなりかねません。ビザの更新をしたい日から逆算して3か月程前には空いている日がないかチェックしておきましょう。  

実際に持って行った書類たちはこちら!

1.パスポート

2.パスポート用の写真(3,5 x 4,5 cm)

3.ビザ申請書  (Antrag auf Erteilung eines Aufenthaltstitels)

4.履歴書 
私は英語で持っていきましたが、余力があればもちろんドイツ語に直した方がよいです。
 
*5.健康保険
私は雇われていた時にTechniker Krankenkasse(TK) というドイツの公的保険に入っており、現在もTKを使っています。

ですが、フリーランス用の保険費用は月250EURと高額のため、現在はKSKというアーティストのためのお得な保険に切り替える手続きをしています。私の場合は、すでに3年ドイツにいるので旅行保険の対象外ですが、ドイツに来たばかりの人はドイツの旅行保険に入っている人も多いです(例:Hanse Merkur) 。 

*6.家の契約書または権利書 

7.大学の卒業証明

8.住民登録(Anmeldebestätigung)

9.モチベーションレター 
なぜドイツでビザを取る必要があるのか、私の仕事がどのようにドイツと関係していて、どのようにドイツに貢献できるのかをアピールします。ここは熱意が大事!


ほとんどの書類は英語で持っていきましたが、このモチベーションレターだけは友達に頼んでドイツ語訳してもらいました。 

10.ポートフォリオ 
ライターの場合いらないかな?と思いましたが、念のため。私はウェブで掲載された記事をスクリーンショットで撮って、A4の紙に2枚ほど出しました。 

11.3年間の収入見込み (Ertragsvorschau)
これはテンプレートがあるので、それに書き込むだけ。

12.貯金残高
私はドイチェバンクの残高(オンラインバンキングでプリントアウト可)と、日本の口座をユーロ建てにして残高証明を出しました。

*13.推薦状 5枚ほど 
これが一番手間がかかりました!クライアントの方に、「ライターといつどこで出会い、今までどのようなことをして、今後はどのようなことを一緒にして、いかなる報酬が発生するか」をお伺いし、それをうまく文章にして、英語なり、ドイツ語なりで作成し、サインを頂きました。  

*14.契約書 2枚  

もし契約書があれば持って行ったほうがよいでしょう。
 

私はモチベーションレター以外はすべて英語で書類を作りましたが、ドイツ語で作成するに越したことはありません。 


■ビザ取得当日は何を聞かれたの?


-健康保険
担当の人は書類にはすべて目を通していたようですが、私の場合は仕事内容についてはほとんど聞かれず(モチベーションレターのおかげ??)ひたすらに健康保険が問題でした。

実は6月の申請は二度目。一度目の申請の時に、会社員からフリーランサー用の保険に切り替えた証明ができないと言われ仮ビザを出されていたのです。

2回目はばちっと切り替え証明を持参したのですが、まさかの一言。

「支払いの金額がわからない」 

この一言で、顔面蒼白。まさかの出直し・・・?と頭をよぎりましたが、担当の人がTKに電話をかけてくれ、TKが速攻でファックスを送ってくれたので、事なきを得ました。

ほんと、危なかった・・・。 

―家の契約書 
家に関しては、住所登録さえあればいいだろうという軽い気持ちで、念のためWG(アパートシェア)の契約書を持参しましたが、ここでもまさかの一言。

「これってだたのWGの契約書でしょ?実際に家を借りている人の契約書か権利書じゃないと意味がない」 と言われ、また出直し・・・?と思いましたが、「次回は持ってきてね」ということで終了。ほっ。

- 推薦状と契約書

私は推薦状を数枚持っていきましたが、「これって金額が書いてないじゃない。金額がはっきりわかる書類はないの?」と尋ねられました。私は契約書を持っていっていたので、具体的金額を提示したら納得してくれました。ただ契約書だと収入が具体的なため、場合によっては「全然稼げてないじゃない!」と突っ込まれる可能性もあるので注意が必要です。


と、私の場合はあまり仕事については聞かれず、ひたすらに保険が問題でした。

とは言っても、必要書類も当日聞かれる内容も担当の人によりますので、私のケースは一例でしかなく、他のブログを読むなり、人に聞くなりしてなるべくたくさんの情報を聞いた方がよいでしょう。 


■ビザ取得後は何をすればいいの? 

そういうわけで、私は2年間のビザが取れました!

ビザが取れたら、税務署に行って税番号(Finanzamt)を取ります(今、番号が郵送で届くのを待っている最中です)。 

長くなってしまいましたが、この情報が誰かの役に立てば幸いです。

Good Luck!

先日イタリアへのバケーションから帰ってきた。 数日前は燦々と輝く太陽の下で肌をこんがり焼いていたのに(毎年毎年、お肌に悪いので今年こそやめなければ、と思うのだけれど、毎年結局やめられない)、今日は曇り空の下にいる。 昨日の夕方、雨が降りだして、散歩からの...



先日イタリアへのバケーションから帰ってきた。

数日前は燦々と輝く太陽の下で肌をこんがり焼いていたのに(毎年毎年、お肌に悪いので今年こそやめなければ、と思うのだけれど、毎年結局やめられない)、今日は曇り空の下にいる。

昨日の夕方、雨が降りだして、散歩からの道のりをずぶ濡れになって帰ってきた。天気予報を見ていない私が悪いので、私には不平を言う資格がない。

それに、私は雨が好きだ。特に7月の雨は日本の梅雨を思い出させる。梅雨に悪い思い出がほどんどないのは、私が勝手に梅雨や雨をロマンチックなものと捉えているからだろう。

自営業となり、濡れながら会社に行かなくて良くなった今ではなおさらだ。ベルリンのアルトバウ(ドイツ語で“古い建物”のこと。主に戦前に建てられた建物のことを指すらしい)の素敵な窓から、うっとりと雨の風景を眺めている。 

特にベルリンのこの季節の雨の日が好きだ。今の季節、ベルリンには緑が溢れていて、その緑たちが雨でさらに生き生きとして見えるのだ。

イタリアから帰ってくる時、今回は運よく窓際の席を与えられ、飛行機が降り立つ際にベルリン近郊の町を眺める機会に恵まれた。そこで改めて感じたのは、ドイツの緑の多さ。

イタリアの中でも南部に入るサルデーニャにいたせいか、ドイツの緑がいつもよりも目に染みた。しかし、ただの緑ではない。そのほとんどが森だった。

さすがにベルリン市内は都会なので、緑が多いと言っても森と言うほどではないし、私が上空から見ていたのがどの街にあたるのかよくわからないけれど、上空から街を見渡すと、大昔のドイツ人たちいかに森を開拓して街を作り、家を建てたかということがよくわかった。

ドイツ人らしいなと思ったのは、必要以上の伐採をせず、家や街のスペースのみ伐採していたことだった。しかし調べてみると、ドイツでも200年程前環境破壊が盛んに行われた過去があり、その反省から今では自然の保護に力を入れているんだとか。 



今、私の部屋から見える、中庭にしては多すぎる本数の木たちももしかしたらかつての森の名残かもしれない…と、得意の妄想で楽しむのだった。かつて森に属していた木だったにせよ、人工的なものだったにせよ、戦後新たに芽吹いた命である可能性が高いけれど。


木々が鮮やかな緑を保つのも残りわずか。もうすぐ色づいて、そして散っていく。

北国の短く美しい夏を、皆さん楽しんで。




少し前のことになるけれど、 6 月 15 日晴れてドイツでのフリーランスのビザが取れた。 去年の 9 月にその頃勤めていた会社から「翌年の契約更新は出来ない」と告げられ、当時は本当に打ちひしがれた気持ちだった。 2012 年から 2014 年に...



少し前のことになるけれど、615日晴れてドイツでのフリーランスのビザが取れた。


去年の9月にその頃勤めていた会社から「翌年の契約更新は出来ない」と告げられ、当時は本当に打ちひしがれた気持ちだった。

2012年から2014年にかけて本当に嫌なことばかりあって、2015年は「やっと暗闇から抜け出せた!今後はもう楽しいことが待っている!」ととてもポジティブに物事を捉えられるようになった時期だっただけに、契約解除には本当に失望した。

その頃はまだフリーランスでビザを取得できるとは夢にも思ってなかったので、『帰国』が現実として自分の前に突き付けられた感じだった。 

経済的にも不安だらけだったし、ビザの心配もあってほとんど八方塞がりのように思えた。でも、意外なことが私に元気をくれた。

それは「2014年の夏以上に最悪なことはない」ということ。

あれに比べたら、こんなのなんでもない!とさっさと起き上がって、前を向いて歩き出せた。そこで初めてベルリンでのフリーランスのビザの準備に取り掛かった。 

申請した職業は文筆業。それは私がずっとやりたかったこと。実力が伴っていないことなんて自分が一番知ってるから、ずっと誰にも言って来なかった。 

「いつか、いつか」と思ってたことがこういうプロセスで実現するとは思っていなかったけれど、とにかく最初の一歩を前に踏み出せたことをとても嬉しく思う。それがずっと自分にはできなかったから。 



実は3月に1度目の申請をしたのだけれど、保険の切り替えができておらず、却下。今回2度目のチャレンジで取得できた。

ビザが取れたのは6月15日。その日某SNSが2年前の出来事を知らせてくれた。


あの日、私は泣きながら空港にいた。来るはずのない人を空港で待っていた。 


それ以来あの日飛行機に乗ったことは正解だったのかわからなかったけれど、こうやって自分の好きな街に住めて、好きな人たちに囲まれて、好きなことをやりはじめたことが私の答えなのだと思う。 

あの日、飛行機に乗ってよかった。 




日曜日仕事を終えて一息ついていると、「アイスクリーム食べに行こうよ!」と呑気な誘いの電話が入る。「ビールの方がいいな」と言うと、「いや、アイスクリーム」と彼は譲らない。    身支度をして外に出ると、あまりの眩しさに目を細める。日本よりも日...







日曜日仕事を終えて一息ついていると、「アイスクリーム食べに行こうよ!」と呑気な誘いの電話が入る。「ビールの方がいいな」と言うと、「いや、アイスクリーム」と彼は譲らない。 

 

身支度をして外に出ると、あまりの眩しさに目を細める。日本よりも日差しが強いと感じる。冬場は何日も太陽の光なんて見ないのに、今の季節のベルリンは光に満ちている。長い間待ち続けた光。それでも、北国の夏はあまりにも一瞬だ。 

ポツダマープラッツでアイスを食べて、まだまだ終わらない光の中、散歩をする。 
CBDと言えるべき場所から15分ほど歩いただけで、キラキラとした緑の中にたまにウサギなんかを見つけて、子供みたいに騒いでしまう。  

歩き疲れた頃、公園を見つけた。芝生の上に汚れなんて気にせず寝転がると、
飛行機が空を切り裂いているのが見えた。

「飛行機事故とフェリーでの事故なら、一瞬の痛みで終わる飛行機事故がいいなぁ」なんて不吉な話をしながらもなんとなく幸せで。

誰かの誕生日を祝うラテンの音楽が聴こえていた。
誰だか知らないけど、おめでとう。

そんな日曜日の夕方。

         71 years ago today WWII end here in Germany.  昨日今日とベルリンは信じられないくらいの快晴で、5月もまだ半ばだと言うのに夏日だった。 午後shöeneberg を歩いていたら、つまづきの石の側に白い薔薇...


         71 years ago today WWII end here in Germany. 

昨日今日とベルリンは信じられないくらいの快晴で、5月もまだ半ばだと言うのに夏日だった。

午後shöeneberg を歩いていたら、つまづきの石の側に白い薔薇が手向けてあるのを見つけた。

後から気づいたけれど、今日はドイツの終戦記念日だった。

この金色の石はつまづきの石と呼ばれていて、ナチによって迫害された人たちの情報が刻まれている。
一人一人の名前と、ナチの迫害による強制国外退去の年とその後の消息が書かれており、その人が昔住んでいた家の前に埋め込んである。本当におびただしい数のつまづきの石がベルリン市内に存在する。悪名高きアウシュビッツという表記も見ることもあれば、遥か彼方の上海という表記を見ることもある。

歩いていてこの石を足元に見る度に、私は今でもはっとして、顔を上げてしまう。そして彼らが住んでいただろう場所をじっと見てしまう。

その場所で起こった70年以上前の狂気と、ナチの迫害以前の彼らが過ごした平穏な時間の両方が見えるような気がして。

あの過ちを2度と繰り返さないように、この石は埋められている。


忘れそうになったら、この石でつまづくように。つまづく度に、思い出すように。 

‪#‎berlin‬ ‪#‎germany‬ ‪#‎8thofmay‬ #1945 ‪#‎theanniversaryoftheendofthewar‬

今日、銀行口座の振込や残高などをチェックしていた時のこと。 何やら不審な引き落としが!!! そんなにたいした額ではないけれど、私の口座からお金をむしり取ろうとする不届き者は誰!!??とよくよく調べて見ると・・・ 泣く子も黙る某有名企業であった・・・・ なぜお金を...

今日、銀行口座の振込や残高などをチェックしていた時のこと。

何やら不審な引き落としが!!!

そんなにたいした額ではないけれど、私の口座からお金をむしり取ろうとする不届き者は誰!!??とよくよく調べて見ると・・・

泣く子も黙る某有名企業であった・・・・


なぜお金を引かれる理由があるのだ! いや、ない!

まずは即刻取引先銀行に電話をして、これがなんなのか調べてもらったけど、さっぱり心当たりがなく。



次はカスタマーサービスに電話をして調査を依頼。若い男性が対応してくれる。
私はドイツ語がまったくだめなので、英語での対応を希望する。
まずは、事情を説明。

私:「身に覚えのない請求が来たんだけど~。XXっていうサービス受けたって書いてあるんだけど、私、そんなサービス申し込んでないんだよね~」

CS(以下カ):「そっか~(カチャカチャパソコンのキーボードの音) で、君は子供いる?」

私: 「え?子供?(なんかわからないけど) ううん、私、シングルだよ」

カ:「Super!」 (ドイツ人たちがよく使う「すごい、素晴らしい」と意味。「わかった」という意味もある) 

スーパー!とは言ったものの、彼自身、何か自分でも察するものがあったらしく、

カ:「あ、いや、そういう意味じゃないんだ・・・。決してそういうつもりでは・・・」


と彼が言った瞬間、2人で大爆笑。日本だったら有り得ないよね、この感じ。 


カ:「いや、ほら、子供がいると子供が勝手にサービス入会してたってことがあるじゃない?」

私:「大丈夫、わかってるから 笑」

カ:「今調べるから、メールアドレス教えてくれる?」

私:「もちろん!えっと、Charlie のCに、OrangeのO、アット ジーメイルだよー」

カ:「え?もう一回言って? コカコーラのCに、オバマのO??」 

私:「アメリカか!」

と心の声は置いといて、冷静に(笑いながら)回答。 


この会話を交わした後、「じゃ、電話切った後メール送るから、それにオンラインバンキングの明細のスクリーンショット取って返信してね~」

と、始終ゆるーい感じで電話を終了。 数分後にメールが来たので、それに返信。

長くなったけど、ここがポイント!

ドイツ人にメールを送る時は、
・要点をクリアに!
・とにかくロジカルに!

ダイレクトさが命の彼らなので、下手な説明をすると「で?ポイントは?」と普通に聞かれるので、
二度手間にならないためにも、一度の説明ですべてを終わらせる気持ちで説明することが大切。

もちろん、ほとんどの場合は終わらない、残念ながら。 
(そしてドイツ人の苦情メールは意外とながったらしいメールだということも知っている。) 

それで、ビジネスメールのようなメールを送り付けた次第であります。
早く解決するといいなぁ。 


しかしながら、生活をするとは日々トラブルに巻き込まれることよ・・・。
そして人間は強くなるね・・・。 

ちなみに、夏にクロアチアに行った時の航空券代金は未だに返金ならず。
メールをストーカーのように毎日送ってたけど、完無視。

いや、あれはスペインの会社だった。まぁね・・・ドイツ式メールは効果発揮しないよねぇ。

**この問題は、解決しました!** 

I like rain. When I am waiting for rain stop, lot of memories recall Suddenly. I like these nostalgic feelings. Not bad.#Berlin #Germ...

12星座【限界突破力】ランキング 蠍座はギリギリ命の瀬戸際で驚異的なパワーを発揮! | i無料占い 先日なにげなく見つけたこの12星座にまつわる記事。 その名も「12星座限界突破ランキング」、12星座の中で最も試練に立ち向かう星座をランキングしたもの。...



先日なにげなく見つけたこの12星座にまつわる記事。

その名も「12星座限界突破ランキング」、12星座の中で最も試練に立ち向かう星座をランキングしたもの。

私はその結果があまりにもその通りで大爆笑(個人的に) 

自分の星座・蠍座は堂々の一位!まぁ蠍座ってこういう立ち位置だよね・・・と自分でも納得。

しかしそれ以上にとても気になったのが二位の牡羊座。

抜粋すると

第2位 牡羊座……牡羊座の辞書に限界の文字はない!
 牡羊座の場合、そもそも「もうダメだ」とは思わないのです。どんなときもなんとかして前に進みます。倒れるときも、前のめりです。「限界なんてものは、気持ちが作り出しているんだ!」というのが牡羊座の考え方です。けれど根が単純なので、押してダメなら引いてみるとか、駆け引きとか取引といったことは苦手です。まっ正面から力勝負で立ち向かいます。相対する敵が大きく強いほど、牡羊座の闘争心が燃え盛るのです。仕事でも恋愛でも、限界を超えるたびに、たくましく強くなっていきます。」
これを読んだ瞬間、私はこれまでの30年以上の自分史で、とある一つのことに納得した。
「牡羊座=私の母」 
だから、うちの母はあんなにも前向きな人だったんだ!!
母はとにかく前向きな人で、「えみちゃん、前を向きなさい」とよく私に言ってきかせていた。
ポジティブと言えばポジティブだけど、もはやポジティブという言葉すら超越して、ひたすら「前へ」と進もうとするのが私の母。ポジティブでもネガティブでもどっちでもいいけど、とにかく前へ!という性格の持ち主の人なのです。 
以前、ブログにも書いたことがあるけれど、
「転んだら、ただでは起きるな!」というのは母の言葉。
「そうは言ってもお母さん、人間、前に進みたくない時だってあるよ・・・。今は後ろを向かせてよ・・・」と私は思うことがあるけれど、「前に進まなかったら、意味ないじゃん?」的な母の言葉で最終的に私たちはいつも救われている。 
小さい頃、バックでの駐車が下手な母に父は「ここをこうやって、こうしたらバックでもスムーズに駐車できるよ」と助言した。そしてその時母が言い放った一言。
「私、前向きやけん、後ろは振り返りたくなか!」

「いやいや、母よ」と家族みんなが思ったけれど、すべてを受け入れる蟹座の父は、母がこういう態度に出ると、沈黙で寛容を示す。私は、子供ながらに、「そんな突破の仕方があるんだ・・・」と目から鱗がポロリと出たものだ。 
数年前、母と話していたら母がこんなことを言い出した。
「お母さんね~、とにかく「前へ」って言葉が好きやんね~。やけん、お母さん提案があると。お母さんが死んだら、戒名には“前”という言葉を入れて欲しか」
か、かいみょう?(死んだ時にお寺から頂くアレのことね。誕生日に縁起でもないけど) 

戒名に「前」って・・・。死しても尚、前向き!! 
やっぱり「倒れる時も前のめり」。 
そういうわけで本日は彼女の誕生日。おめでとう、お母さん。
いつまでも元気でいてね。
ちなみに、牡羊座の星座の形は「後ろを振り返っている羊の姿」。
2人の子供を背中に乗っけて前だけ見て爆走していたら、なんと一人の子供を落としてしまったのだそう。その瞬間、“はっ!しまった!!!”という姿が星座になっているらしい。おもしろい!

Yesterday♥ #Berlin #Germany #sky #sunday Emi Ogataさん(@emiinberlin)が投稿した動画 - 2016 3月 27 10:41午前 PDT

Yesterday♥

#Berlin #Germany #sky #sunday

Emi Ogataさん(@emiinberlin)が投稿した動画 -

土曜から日曜にかけてとても天気がよかったベルリン市内。 天気がいいと、「外に出なくては!光を浴びなくては!」というほとんど強迫観念にも似た衝動に駆られて、公園でピクニック。 皆同じことを思うのだろう。こういう日のベルリンは「人が涌...








土曜から日曜にかけてとても天気がよかったベルリン市内。

天気がいいと、「外に出なくては!光を浴びなくては!」というほとんど強迫観念にも似た衝動に駆られて、公園でピクニック。

皆同じことを思うのだろう。こういう日のベルリンは「人が涌く」。 

ピクニックの予定だったけれど、最終的に曇ってきたので近くのカフェへ場所を移そうとしたところ、気がついた。

「時計がない!!」

しかもその時計、7年前に亡くなったおばあちゃんの形見・・・。 

もしかして家に置き忘れたということも考えられるし、あわてふためいてもしょうがないので、とにかく家に帰ってから探すことに。

机の上を見ても、いつも置いている場所を見ても、見当たらず・・・


駅まで歩いて見たけど、見当たらず・・・

バンドが切れた?穴にきちんとささってなくて歩いてるうちに落ちた??
しかも音楽聴いてたから落ちても気がつかなかった・・・くすん。 


私は不幸なことが起こった時はなるべく「不幸中の幸い」を見つけるようにしているので、
「このおばあちゃんの時計は、自分がつらい時いつも一緒にいてくれた。
今無くなるということは、おばあちゃんが“もう大丈夫だよ”と言ってくれてるということかも」
と思うことにした。

そっか、そっかおばあちゃん、そういうことなんだね・・・私はがんばって生きて行くよ・・・

と話を収束に向かわせようとしたところ、ふと思った。 

いや、だが、待て。

うちのおばあちゃんは、世間知らずな人だった。
佐賀から一度も出たことがないのに、こんなベルリンなんて異国の地で彼女を一人にしてしまった。


と考えが至り、なんだか祖母をベルリン市内で迷わせたような変な気分になってしまった。

こういう考え、「念が宿る」って考えはやっぱり日本的なんだろうなぁとふと思い、これもまたいつか書いてみたいテーマだなと思ったのでした。メモメモ。 


せめて善い人が拾ってくれますように!おばあちゃん、ごめん! 



最近、もはやアデルが嫌いだ。  去年なんてHelloが至るところで流れていた。もうさ、やめてくれないかな~ アデルはこの曲で何人の人を泣かせたんだろう。 男性が未練たらしい曲を歌うのは想定の範囲内だけど、女性はいかん。 あんな悲しいHow are you?ってある?...

最近、もはやアデルが嫌いだ。 

去年なんてHelloが至るところで流れていた。もうさ、やめてくれないかな~

アデルはこの曲で何人の人を泣かせたんだろう。
男性が未練たらしい曲を歌うのは想定の範囲内だけど、女性はいかん。

あんな悲しいHow are you?ってある?
中学1年生で習うようなこんな一文、今まで死ぬ程口にしてきたけど、
このhow are youはいかん。 

元気かな、元気だといいな、でも今はもうそれさえ聞くことはない、とでも言うようなね。 

もうさ、こんな悲しい曲歌わなくてよくない?!?と私は怒りすら沸いている。 
そしてまた、PVのアデルの元恋人役の人のしがなさがこれまたなんとも言えない味で。 

そしてHelloの次は、When We Were Youngって。 
これもまた泣かせようとして!


そして極めつけは、The BRIT Awards 2016   よ!
アデルがBRITs Global Success Award  に輝いた時のこと。

もうね、もらい泣きしてしまうよ!!

これね。 




そりゃぁこの人の曲を何回も聞きたいって思ってしまうよね。その結果18年ぶりにオアシスの記録も破られてしまうよね。


結局アデルが大好きだってことね!

以前暮らしたことのあるシンガポールのことを仕事で使うので調べていたら、驚くべきことが。 まったく、なーーーんにも覚えていない!! 自分がシンガポールの時に使っていた銀行のことを調べる必要があったんだけど、そもそもどこの銀行かすら覚えていない。というか、誰が口座開設した...

以前暮らしたことのあるシンガポールのことを仕事で使うので調べていたら、驚くべきことが。


まったく、なーーーんにも覚えていない!!


自分がシンガポールの時に使っていた銀行のことを調べる必要があったんだけど、そもそもどこの銀行かすら覚えていない。というか、誰が口座開設したの?私??

という具合に記憶に空白が・・・。人の記憶ってこんなにいい加減なんだろうか。
人間とは自分に不都合なことはバンバン忘れていくのね・・・。
オーストラリアの時はANZ銀行って覚えてるのにな。本当に抹消したかったのだと思われる暗黒のシンガポール時代。


ここは私が住んでたところではないけれど、こういうところに住んでいた。
ベルリンの風景とは大違い。ベルリンにこんなところあったらちょっとした観光地になるよね。


いつかは泊まってみたいラッフルズホテル。いや、私はフラトンホテルくらいで。


いいなぁ、トロピカルのこの雰囲気。
と、今は思うけど、
こういうの見ても、

はたまたこういうの見ても、

なーーんにも感動せず、

こういうお花たちにも癒されず。



何を食べてもおいしくもなく。


そうなんです。私は病んでいましたよ。

そもそも、なぜ私がシンガポールに行くことになったかって?

それはまだ2012年、オーストラリアはメルボルンにいた頃のこと。
私は2011年9月にオーストラリア入りしたので、2012年の9月にオーストラリアを出る必要があった。

もともとオーストラリアに行く前もイギリスにずっと行きたかったんだけど、
1月申請のイギリスのワーホリとはタイミングが合わず、オーストラリアで虎視眈々とイギリス行きを狙ってた。 

で、9月。1月までは数か月あるし、何より5月に日本に一度帰国しなくてはならない状況だった。そこで、2012年9月から2013年の5月までの8か月、どこで過ごすかという問題があった。

1.日本で8か月間滞在→5月にイギリス渡航 
2.オーストラリアのセカンドワーホリを取得して5月までオーストラリア滞在→イギリス渡航
3.ニュージーランドのワーホリ取得して5月までニュージー滞在→イギリス渡航 

以上がそもそもの私の選択肢だった。

1.日本に8か月間滞在 
これは一番最初に消えた。8か月も日本はつらい・・・という理由

2.オーストラリアセカンドビザ
オーストラリアで2年目のワーホリを取得するためには、3か月の農場仕事をする必要があった。それをクリアすると2年目のビザがもらえるという仕組み。

ギリギリまで農場で働く予定してたんだけども・・・

行きたくない!!農場仕事なんてしたくない!!ビーチで日焼けは大歓迎だけど、野良仕事で日焼けなんて絶対に嫌!!ハイヒール履けない場所に住みたくない!!

との理由により、断念。

そこで急遽出てきたのがニュージーランドの第3案。

3.ニュージーでワーホリ
ニュージーランドは人も優しいって聞くし、自然もたくさんだし、住むにはいいよね♥


と、自分を説得してみたものの、
私、別に自然派じゃないし、やっぱり田舎には住みたくない(ニュージーランドに失礼) 

との理由により、さっさと断念。

そして出て来たのが、まさかの第4案、シンガポール。

4.シンガポールで半年ワーホリ→5月にイギリス 
まだその頃はシンガポールのワーホリに申請出来て、しかもその期間が半年だったので、
最適のプラン~♥と思い、シンガポールへ移動。その頃はまさか就労ビザがあんなに簡単に取れるとは思ってもおらず。 

その結果、人相と人格が変わる程、病む 笑 
今では笑い話だけど、それはそれは記憶がすっぽり消えてしまうほど、病んでいた。 


が、しかし。最近ここ数年を振り返ってみてあることに気がついた。 

私はこの3年間、さんざんシンガポールの悪口ばっかりを言ってきたんだけど、よくよく考えてみると病み始めたのは2012年のオーストラリアの頃からだったことに気がつく。

そう。

もはやシンガポールのせいではなかった!


シンガポールが嫌いなマレーシア人たちと一緒になって文句ばっかり言ってごめんなさい(隣の国ってどこも似たような事情よね)。ベルリンでもシンガポールは最悪だと流布してごめんなさい。

あの時あんな精神状態じゃなかったら、「住む」という間違った選択をしていなかったら、シンガポールはむしろ好きな国の一つだったんじゃないかなとすら思う。ここにも選択ミスの恐ろしさよ。


よって、シンガポールは無罪!!

冤罪事件として私史に名を刻む。こういう日が来るなんて・・・。いや、でも本当につらかったのよ? 

でも、じゃあやっぱりあの時に戻ったとして、また4つのオプションから一つを選ばないといけないとしたらどうか?

そしたら、私はまたシンガポールオプションを選ぶと思う。 

理由は簡単。

オーストラリアのど田舎で泥まみれ、汗まみれになりながらさわやかに働くことよりも、
私はシンガポールできれいに化粧して病む方を選択する。 

ま、こういう女ですよ、私は・・・。ベルリンでももはやヒールの靴なんて履いてないけどね・・・  


4つの中からだったらシンガポールオプションを選ぶけど、実際には違うオプションがあったはず。
ここが病んでいる人の恐ろしさだと思う。視野が狭くなり、正当な判断ができない。

オーストラリアの時、自分が病んでることさえ気がつかなかった。そもそも自分の国に帰りたくないって・・・。

病んでる時とは自分で気が付かないものなんだな、と思う。今後視野が狭くなることがあれば、この頃の時を思い出して、「自分は大丈夫かな?」と問いたい。そして視野が狭くなっていることを気が付かせてくれる人たちに囲まれていたい。 


シンガポールにはいつかまた行くことがあると思う。またいつか行きたいと思う。住むのは嫌だけど、旅行はやっぱり楽しいと思う。もしくは、大いなる野心を持ってシンガポールドリームを叶えたくなる日が来たら、このビジネスの街に乗り込む日もあるかもしれない。ないと思うけど。 

今度シンガポールに行ったら、自分はこの国をどういう風に見るんだろう。それはやっぱり楽しみだ。 

2014年シンガポールについて

あの美しい人がこの世を去ってから3週間近くが過ぎようとしている。 つい先ほど夕食を摂っていたら、ラジオから彼の1969年発表のSpace Oddityが流れてきた。 聴いていたら不覚にも涙が出てきてどうしようもないので、さっさと食事を切り上げて一か月ほど放置していたブログを...

あの美しい人がこの世を去ってから3週間近くが過ぎようとしている。

つい先ほど夕食を摂っていたら、ラジオから彼の1969年発表のSpace Oddityが流れてきた。
聴いていたら不覚にも涙が出てきてどうしようもないので、さっさと食事を切り上げて一か月ほど放置していたブログを開く。

私がその美しい人を知ったのは、1998年。当時、私は15歳の頃の話である。

ちょうどその年、1970年代のロンドンを舞台にした『ベルベッドゴールドマイン』が封切られ、音楽をこよなく愛する親友が彼の名前を連呼していた(注;この映画に彼が出ている訳ではない)

 私は彼の音楽を聴いて育ったというよりも、中高生時代、死ぬ程好きで、ほとんど心の支えだったThe Yellow Monkeyの吉井さんが彼に多大なる影響を受けた、というので私も間接的に影響を受けたに過ぎない。

それでもグラムロックの煌びやかさや美しさ、そして儚さのようなものは中学生ながらに衝撃を受けたものだった。デヴィッド・ボウイ、ロンドン、グラムロック。ど田舎で一刻も早くあそこから抜け出したいと思っていたティーンネイジャーには眩しすぎるものばかりだった。艶やかなのに、渇いていて、キラキラ光っているのにクールな世界。それが彼が私に見せてくれたものだった。

そして結局、自分がロンドンに長い間憧れていたのはそのせいだったと思う。私の初恋の国はイギリスだった。彼一人というよりも、グラムロックを経て、90年代のオルタナティブロック、それから00年代のガレージロック、とにかくUKの音楽シーンがひたすらに好きだったからだと思う。

もちろん、アメリカのロックバンドも好きだし、ヒップホップも大好きだけど、「このバンドいいな」と思ったバンドがいて、調べてみるとほとんどUK出身なことに驚く。結局、UKサウンドが好きなんだと思う。
 
最近同じくUK出身のアークティック・モンキースのアレックス・ターナーがこんなことを言っていた。 
「彼は、すべてのレコードのDNAの中に存在していると言っても過言ではない。長い期間を経てデヴィッド・ボウイの影響が様々な音楽に取り込まれているんだ」(NME Japanより) 

デヴィッド・ボウイがいなければ、音楽史はだいぶ違うものになっていたんだろう。


ありがとう、ボウイ。東の果てのど田舎の中学生にキラキラとした世界を見せてくれてありがとう。新しい世界を見せてくれてありがとう。今、私はあなたが数年過ごしたベルリンにいます。

私が唯一持っていた彼のアルバムは1977年に発表された『Low』
彼がベルリンに住んでいた時に作られたアルバム。私はこれを佐賀で聴いていたんだよ。

ベルリンのとある街角


Rest in Peace...

少し出遅れましたが、明けましておめでとうございます。 タイトル通りなんですが、ブログのタイトル変えました。 Amor.com改め、 amorphous  +にしました。 事情はいろいろ長くなるので、割愛・・・ しかしながらブログのタイトルって難しい。 ベルリン...

少し出遅れましたが、明けましておめでとうございます。

タイトル通りなんですが、ブログのタイトル変えました。

Amor.com改め、amorphous +にしました。

事情はいろいろ長くなるので、割愛・・・

しかしながらブログのタイトルって難しい。

ベルリンにちなんだタイトルにするかどうかは最後まで迷ったんですが、あまりベルリンの情報を書いていないことと、もしベルリン関係のタイトルにすると別の都市に引っ越した時にまた別のタイトルを考えなくてはいけないということで、ベルリンは結局タイトルに入れないことにしました。

まぁ、今のところ別の都市へ引っ越す予定はないんですが、私は長年夢に見続けているスペイン移住をあきらめたわけではないので・・・

個人的には
・Favourite Worst Berlin
にしようと思ってたんですが、やっぱりこれは誤解を受けそうなのでやめました。

ちなみにこれはArctic Monkeys の2枚目のアルバムで、死ぬほど好きなFavourite Worst Nightmareのタイトルから。ベルリン大好き~♥だけではなく、嫌いな部分も結構あるので、このタイトルがよかったと言えばよかったけど、まぁワーストベルリンって英語表記するのは気が引けました。

・Life in Berlin
ブログ村のタイトルは実はこれになっているんですが、やっぱりおもしろくないので、なし。

・30代女子のベルリン日記、、、的なもの
今考え付いたものですが、そもそも案としてもなし。

・Berlin Wonderwall
最後の最後までこれにしようと思っていたのですが、結局ベルリンを外したのでボツに。
ちなみにこれも死ぬ程聞いたOasisのWonderwallから。 

とのことで、最終的にamorphous という英単語にしました。

以前のブログ名にちなんだ単語を探していたところ、この単語に出会い、これに決めました。
意味は、「無定形の、組織的ではない、型にはまらない」です。

20代後半「こうならなきゃ、ああしなきゃ、自分はこうでなくては」とかそういう葛藤に苦しんだので、別にそんなんじゃなくていいじゃん?という思いを込めてみました。 

で、説明文も変えてみました。 




これが以前の説明文だったのですが、今の自分にはこの文章がすごくセンチメンタルすぎて合わないなと思って変更しました。今の説明文は味気ない感じですが、今の自分の気分には合っているかなと。

別に忘れたくなかったら忘れなくてもいいけど、忘れたっていいじゃない、くらいの気持ちで生きて行きたいと最近は思い初めまして。人は変化していくものですね。

ところで、ブログを書き始めたのが2012年12月。

私はまだシンガポールに住んでいたのですが、その時は“住む土地”としての“ベルリン”という選択肢すらなかった時期です。

人生は望めばどんどん変化していくものだなと感じます。逆に変化しようと思わなければいつまでもそこにいることが出来るのも、それもまた人生です。要するにある程度は結局自分次第です。

2012年から10年後の2022年、自分がどうなっているのかとっても楽しみです。

では、2016年皆さんにとっていい年になりますように!
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